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おじさんパッカー 英国編(12)

16.06.22

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未完成の神殿と斜塔

 

北のアテネ

 

北のアテネ

 

エティンバラ城から東の方向にまっすぐ伸びる石畳の道を1キロ余り行くと、ホリルードハウス宮殿にぶつかる。宮殿といっても際立った装飾は施されていない。「旗が揚がっているから、今日はエリザベス女王はおられないようだね」と、通りがかりの人が気軽に声をかけてきた。この宮殿は15世紀から歴代スコットランド王の住居だった。現在ではスコットランドにおけるイギリス王室の宮殿として使われているらしい。

 

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ホリルードハウス宮殿

 

宮殿を右に折れるとホリルード公園に出る。公園とは名ばかりで、頂上がテーブルの様に平らな岩山が、いちめん緑の絨毯に被われた台座にどっかり居座っているだけ。車から出てきた4、5人の男女がジョギングシューズに履き替えながら、「仕事帰りなの。これからあの頂をめざすの。気分転換にいいよ。あなたもどうですか」と誘ってくれた。山肌が夕日でオレンジ色に染まり始めている。「登るとエディンバラの街が一望でき、真正面にはお城が見えますよ」の言葉に背中を押されて、彼らと歩き出す。ところがすぐに走りだし、見る見る彼らの背中が私の視界から消えていった。

 

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ホリルード公園

 

斜面に沿ってゆるやかな道が頂まで伸びている。ハイキング気分で一人、ゆっくりと足を運ぶ。小学生くらいの女の子の手を引いて下山する若い夫婦や、帽子を目深にかぶった中年男性とすれ違った。顔見知りでもないのにやわらかい笑顔で挨拶してくれる。人懐こい街の人たちとのこのようなふれ合いは、この街に長年住んでいるかのような気分になる。山道の脇にある岩の割れ目にテントを張って野宿している若者がいた。彼はサンデッキを持ち出し、夕日に全身を染めながら一心に本を読んでいた。

歩き始めて1時間ほどが経ったろうか、オレンジ色に輝く大きな夕日が真正面に浮かんでいる。思わず、足が止まった。城やエディンバラの街を茜色に染め抜いていた。こんな大きな夕日をこんな近くで見たことがこれまであっただろうか。わけ隔てなく優しく包み込む太陽。思わず「なぜ人は争うのか」、「殺しあうのか」、この光景に身を沈めれば、すべてに優しくなれるだろうに。と、思わず独り言ように口をつく。

 

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登山道

 

視線を変えると、夕焼け空のはるか先に海が光っている。谷間にあるウェイバリー中央駅のドーム型の屋根に列車が吸い込まれて行く。異国に身を置いていることも忘れて、道端の石に腰を下ろし目の前の光景に心を奪われていた。「お先に!」と、下山する中年夫婦。駆けるように登ってゆく元気な若者たち。こうして私の眼の前を次々とエティンバラの人たちが立ち去ってゆく。

カールトン・ヒル

 

「どうしてエデンバラが『北のアテネ』と呼ばれるのか、あの丘に登ればわかるよ」と話す同室の若者が指さす方向に、小高い丘が夕日に照らされていた。さっそく、「北のアテネ」に向かう。ウェイバリー中央駅の前を通り抜け、広い道路の脇に取り付けられた急な山道を登りつめるとカールトン・ヒルと呼ばれる丘の頂に出た。一面、低い雑草に被われたなだらかな広場が広がっている。名古屋の鶴舞公園にある「噴水塔」に似た石柱に取り巻かれた記念碑のようなものが目に入った。手元の資料には、「ネルソンモニュメント」と呼ばれ、1805年,スペインのトラファルガー岬沖でネルソン提督が指揮するイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を撃破し、ナポレオンの英本土上陸の野望を砕いた功績を称えるために建立されたとある。

 

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ネルソンモニュメント

 

さらに頂の奥へ足を運ぶと、石柱が建ち並ぶ巨大な建造物が目に入る。アテネのパルテノン神殿を模して建てられたというナショナル・モニュメントだという。この建物はナポレオン戦争で勇敢に戦った戦没者を祀るため、1822年に建設が始まった。ところが7年後、資金難に陥り建設を中断し円柱だけが並ぶという未完成の姿のまま、約200年近く経った現在も変わらず建っている。3面が12本の石柱に囲われ、屋根もなくコの字型に柱のみが林立していて長い年月、風雪にさらされたままだ。この未完成の建物が、エディンバラが『北のアテネ』と言われる所以らしい。

そのパルテノン神殿の柱に背もたれして何組もの若い男女が、両足を投げ出して夕日を眺めている。私も彼らのいる神殿によじ登ろうとするが、足が届かない。段差が胸の高さ以上ある。風雨で磨り減った大理石には足をかける場所もない。5,6回試みたが台座に体を乗せることができなかった。足の長さも、腕っ節も彼らにはかなわないと諦める。「どちらからですか?」と、若い男女が親しげに声をかけてきた。そして、「200年もの間、未完成のまま放置したままなんてエディンバラの恥だね。エディンバラ市民としては恥ずかしいよ」そう言うと、笑顔を交えながら彼らは立ち去った。

 

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神殿に集う若者たち

 

いつまでも沈まない夕日が、海面のはるか上に浮かんでいる。次第に茜色に塗り上げられる海。メルヘンチックになる幻想的な風景だ。芝生に寝転び、灰色がかった空を見上げる。メキシコから来たという若者5人組が、互いに肩を組み合いはしゃいでいた。「君もメキシコから?」というので「日本から」というと若者の一人が「似ているね」と、じっと私をみつめる。背格好といい、浅黒い顔つきといい確かに日本人とよく似ている。彼らが私をメキシコ人と見間違うのも無理ない。
そんなことで、親近感を覚えたのか「一緒にどう」と誘われ彼らと丘の周辺をしばらく歩いた。突然、彼らの一人が「これはすばらしい」と30メートルほどの塔を見上げる。石のブロックが何重にも積み上げられたものだ。ピサの斜塔のようにやや傾いている。まさかそこまで真似て造ったのではあるまい。「一つ一つのブロックが精巧に積み上げられている。すごい技術だ」と感激したかのように彼らはいう。「日本の五重塔は木造で均整のとれた四角錘だ。ただ単に石を積み上げたものとはわけが違う」と、お国自慢をするが「知らないね」と冷たい反応。手元に法隆寺五重の塔の写真でもあれば、「これを見なよ」と胸を張れたのに。これから旅に出かけるときは、建造物、遺跡、人々の服装、食べ物など、自慢したい日本文化の写真くらいは持っていないとね。別れ際に「お願い」と言われ、エディンバラの斜塔の前でメキシカン5人組に向けシャッターを切った。

午後9時前、丘を下りる。街灯に灯がともり、ようやく夜の帳がおり始めた。正装した男女がつぎつぎと劇場のようなパブに入ってゆく。物珍しそうにしばらく立ちすくんでいると、扉の両側を固めるように蝶ネクタイをつけたスキンヘッドの男性が、「何の用だ」と言わんばかりに鋭い視線を向けてきた。100キロはある大男。思わず背を向けてその場を立ち去った。
歩き慣れた駅前を抜ける。人の流れは絶えない。「夏のこの時期、いつまでも明るいからね、明け方近くまで外を出歩いているよ。暗くて寒い冬の分を取り戻さないとね」と、目が合ったおばさんがそんなことを口走っていた。