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おじさんパッカー 英国編(13)

16.06.22

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スコットランド国立博物館

 

「ハギス」食べたかい?

 

「よく眠れたか?」と、全身黒装束に身を固めたヒッピーまがいの若者が、私が横たわっている上段ベッドに顔を突き出してきた。「よろしくね」と、彼は私にこの宿に来て最初に声をかけてくれたスコットランド生まれの青年だ。はた目には異様な格好をして、だらしなく無精ひげを生やしているが見かけによらず人懐っこい。
「朝飯まだなんだろう。案内するよ」そういうと、私の手を取り部屋を出た。階段を昇り食堂に顔を出す。部屋の入り口で小銭の入った空き缶を前にした若者が、顔見知りらしく黒装束に右手を軽く上げ、会釈した。「この宿は食事がついていないから、彼があらかじめ宿泊客のために買いおいた物を食べるのさ。一律1.9ポンド(約380円)で好きなだけとればいい」、そう私に言うと黒装束は、隣接するロビーで盛り上がっているバックパッカー仲間たちの所へ行った。

 

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ユースホステル 食堂

 

1ポンドコインを2個テーブルに置くと、店番の若者が空き缶から1ペンス取り出し、私の手に戻した。テーブルの上には大小3種類ほどのパンと、大びんに満たされた何本もの飲み物が無造作に置かれている。パン2個、牛乳とオレンジジュースをカップに注ぎ入り口近くのテーブルにつく。私のようにこうしたパンを買っているのは少数派で大半の宿泊客は自分たちで食材を持ち込み、片隅にある調理場で料理したものを仲間で口にしている。湯気が立ちのぼる焼いたばかりのソーセージやサラダやハムが大皿に盛られている。パンをかじり、冷たい牛乳を飲み下しながら「食べたいなあ」と、そんな目線を知らず知らずに向けている自分に気づく。
とりあえず満腹した。しばらく食堂で時間をつぶす。ほとんどが20歳前後の若者だ。北欧やドイツなどでもユースホステルは若者で賑わっていた。とはいっても中年夫婦も家族づれでやって来ていた。欧州のユースホステルは若者中心じゃなく、老若男女が利用するのが一般的らしい。それも大半が自炊。ホテルには必ず調理場があり、鍋、フライパン、包丁などの調理器具や皿などの食器も備えられていて無料で利用できる。1週間、中には1ヶ月逗留するグループもあるというから。日本のように高級旅館、温泉めぐりなどと贅沢な旅に比べるとこちらの人たちは、お金をかけずに長旅を楽しんでいるようだ。

 

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国立博物館 内部

 

きょうもエディンバラの街に出た。「日本の特設コーナーもあるから…」と、黒装束の勧めもあってスコットランド国立博物館へ足を運んだ。外観は黒ずんだ石の壁に被われ、数百年もの時を経たと思われる古びた建物だ。ところが足を一歩踏み入れると吹き抜けのホールがあり、ホールを取り巻くように各階の展示室が見渡せるおしゃれな空間が広がっていた。
この国立博物館は、世界中から集めたユニークな展示品が魅力らしい。1860年代に開館され、自然科学に関するものや、陶器やガラス類などの装飾美術品、さらに古代エジプト美術や東洋の美術品など多岐にわたっている。スコットランド魂でロンドンの大英博物館と張り合っているのか、規模も大きい。

 

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日本の展示コーナー

 

黒装束が言っていた日本のコーナーがあった。縄文時代、弥生時代と時代区分され土器、埴輪、古代の刀、石室まで。室内に鳥居を立て、実物大の茶室を造り、桂離宮の模型を置く、といったかなり斬新な展示。遠く離れたスコットランドにこれだけ本格的な日本紹介の展示があるのにはびっくり。さらにパネルには日本人の心や、もてなしの精神などが日本語で書かれていたのには驚いた。

あちらこちらをブラブラしていて、気がつくと駅近くのホリルードハウス宮殿(イギリス王室の宮殿)の前にいた。見学時間が過ぎたようで閉門された鉄柵越しから中を覗いていると、「なんだ入れないのか!」と、脇で舌打ちするおじさんがいた。ウェールズから来たという赤ら顔の中年男性だ。「せっかく北の果てスコットランドくんだりまで来てやったのに…」と不服そうだ。「あんたは?」と、私に視線を向けた。「日本から」というと、「まいったなあ、日本からか。それじゃ文句言えないな。オレは遠方からといってもイギリス国内だからな」。おじさんは何を思ったのか、宮殿広場に人影を見つけると、「日本からわざわざ来ているんだって、この門を開けてあげなよ」。両手で鉄格子を揺すり、まるで牢獄から叫ぶ囚人のように大声を張り上げた。ほかにも5組ほどの観光客がいた。おじさんは交渉団長のように執拗に声を上げていたが、宮殿の職員はちらっと視線を向けただけで宮殿内に消えた。「スコットランドは気候も寒いが、人も冷たいね」と、おじさんは吐き捨てるように鉄格子から離れた。

 

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ホリルードハウス宮殿 門扉

 

夕食にとウェイバリー駅構内のファストフード店に入りハンバーガーセットとコーラ(5.29ポンド約1060円)を注文した。電車の発車までの短い時間にお腹を満たそうとする人たちで店内は込んでいた。一般的にこちらの人たちは、ワインを飲みながらああでもないこうでもないと、お喋りしながら時間をかけて食事するのがこれまでだった。ところが近頃、変わってきたという。マクドナルドなどアメリカからのファストフードが幅を利かせてきたようだ。とくに若者達に人気だ。街を歩いていてもハンバーガーをほおばる若者の姿が目につく。日本でもよく見る光景だ。「イギリス文化を壊すでない!」と、これまでの習慣を重んじるお年寄り達は愚痴っているらしいが、若者達はそんなことどこ吹く風だ。また、歩きながら食べる人も多い。紙袋からポテトチップやサンドイッチを取り出し、口からあふれんばかりに「ムシャムシャ」とおかまいなしだ。これもまた年寄り達の顔を曇らせているという。

 

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スコットランドの郷土料理『ハギス』

 

「あんたはよそ者らしいが、『ハギス』食べたかね」と、向かいの席でコーヒーを口にしていた60過ぎの男性が私の顔を見た。ハギスはスコットランドの郷土料理らしい。羊の内蔵をゆでてミンチにしたものに、オート麦やタマネギ、香辛料などを混ぜて蒸したもの。羊の内臓からしみ出る脂の臭みなどがあって、スコットランド以外の人たちは口にすることをためらうという。「北国スコットランドは寒い。寒さに耐えるためにもこの脂をしっかり体に取り入れるんだ。北極圏のイヌイットのようにね」と、おじさんは話す。ホテルに戻って黒装束に訊くと、「脂濃くっていつまでも口の中がネバネバしているよ。日本人の口に合わないかもね」と、笑っていた。

日が陰りはじめた。鎧をつけた騎士が今にも飛び出して来そうな、この古色蒼然とした中世の佇まいの街並みを行く。「作家のJ・K・ローリングがここエディンバラを舞台に『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き上げたのはうなづけるなあ…」と、そんな思いで歩く。ナショナルギャラリーのあたりから、人一人通るのが精一杯の狭い道を抜ける。朽ちかけた壁石がむき出しのままだ。地元の人しか使わない、いわば抜け道だ。側溝に白く濁った水が澱んでいた。台所から流れ出たのか足元から魚の臭いがする。夕げを囲んでいるのか、子どもの甲高い声もする。窓からもれる灯に日本であれ、エディンバラであれ人々の営みは変わらないなあと、そんな思いで夜道を宿に向かった。