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おじさんパッカー 中欧編(14)

16.06.21

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この直後、サングラスの男に囲まれる

 

パスポートコントロール!

 

それは突然の出来事だった。運河巡りを終え、市街地の広がる南の方に向かって運河沿いに歩いていた。前後左右、この街のどこを歩いても運河が視野に入る。運河が網の目のように街を被っている。つい先ほど船から見た光景を、今度は陸上から眺めることになった。絵葉書から飛び出したような景色が目の前に広がった。街の語源にもなっている幅100メートルはあるアムステル川が南に大きく蛇行し、3本の川と合流していた。その合流地点の中央が大きな池になっている。満席の観光船が3隻、エンジンを止め乗船客が水辺の風景を楽しんでいた。川面に張り出すように7階建ての建築群が池の周りを取り囲んでいる。私も水面に写る木々や中世の香りが今に残るたたずまいの建物を、うっとりと眺めていた。アムステルダムの景勝地のひとつらしく、橋の上には20人ほどの観光客がいて欄干に寄り掛かるように、運河と建物が織りなす光景をじっと見つめている。

人の気配を感じて振り向くと、ニコニコしながら私を見つめている40過ぎの男性が橋の中央に立っていた。胸に大きなカメラを下げている。視線が合うと「シャッターを押してくれませんか」と、英語で声をかけてきた。韓国ドラマ「冬のソナタ」のヨン様に似て、目じりの下がった優しい笑顔と物腰の柔らかいしぐさをしていた。「いいですよ」とばかり、一眼レフの高価そうなカメラを受け取る。カメラを握った両手に手ごたえのあるずっしりとした重みが伝わってくる。ヨン様に向けカメラを構えるが、彼はなぜか人々が注視している運河の向こうの背景に身を寄せず、橋の中央に立ったままだ。「橋の欄干を背にするんじゃないの?」と、彼に目くばせすると「こっちに来て」という。彼の指示する方向に近づきレンズを向け、シャッターを押そうとするとまた、「もっとこっち」と、観光客で賑わう橋上のビューポイントから遠ざかるように、どんどん、橋のたもとのほうに彼は移動する。「なんか変だぞ」と、ファンダーから彼を見詰めたまま首をかしげているとすかさず、「私は警察官だ。パスポートコントロール(パスポート点検)」と、黒のスーツにサングラスをつけた二人の男性が私の前後を挟むように立ちはだかった。見上げるような大男が壁のように私の視界を遮ぎる。「何事か?」と状況が呑み込めず、ただカメラを抱えたまま、無言で立ち尽くしていると、「ここではなんだから近くの事務所に来て」と、背中を押してくる。私は「NO~!」と、やや大きな声を出す。指名手配者でもないのに、路上でいきなりパスポートを出せなんてありえない。これはやばいと、体全体に緊張が走る。

私にシャッターを押してくれといった男性は、その様子を離れた所からじっと見つめている。どうやらこの二人とは仲間らしい。絶景ポイントだけに、橋の上は見学者でにぎわっている。私が囲まれている様子に気づいた中年男性が、ゆっくりと近づいてきた。それを目にしたサングラス男は「ここはまずい」とでも思ったのか、「こっちへ来い」と、橋の袂の建物に目をやり命令口調で迫ってきた。パスポートは腹巻にしまってある。部屋に連れ込まれ、ぬいぐるみ剥されたら…と、脳裏をよぎる。ここは逃げるに限るとカメラを足元に置き、車の行き交う広い道路に向け歩き出した。サングラスの一人が追いかけようとしたが、カメラの男が「止めとけ」と目配せした。二人のサングラス男は仁王立ちのまま、立ち去る私の背に鋭い視線を浴びせ獲物を逃した腹いせか、「オ~」と私の背中めがけて叫んでいた。少し離れたところから橋の上に目をやると、カメラ男やサングラスの二人組の姿 は、橋から消えていた。きっと、旅行者狙いのグループだろう。空港で読んだ「安全ガイド」にカメラを使ったこのような事例があったことを思い出した。北欧からドイツとこれまでの旅ではこのようなことは一度も経験していない。欧州も南下するほど治安が悪くなるとは聞いていたが、本当だった。

 

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このあたりで道を訊かれた

 

気を取り直して、運河沿いを歩き出す。それぞれの街並みは運河で切り取られ島のようになっている。まるで運河が額縁のようだ。水の街といっても、海辺に広がっているストックホルムとはまた趣が違う。「○○街区へ行きたいが」と突然、若いカップルに声をかけられた。急いでいるようだ。「日本から来たばかりで分かりません」と右手を左右に振った。彼らはやや不満そうな顔で「何、知らないの!」と、やや苛立った目を向けてきた。「昨日今日来たばかりの外国人に道を尋ねるなんて、君達の方が非常識だ」と口にしながら、肩を組みながら不満そうに立ち去る彼らの背中をしばらく見つめる。とはいえ「いっときとはいえ、彼らに頼りにされたのだ。現地の人間と思われたのだから…、まんざらでもない」と、思わず一人ほくそえんでいた。

 

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住宅団地

 

運河を離れて、脇道にそれる。ブランコが見えた。気がつくと団地の一角にいた。砂場にプラスチックのスコップが突き刺さっている。青いビニールのボールがそのままだ。つい今しがたまで、子ども達がここで遊んでいたんだろうか。脇のベンチに腰を下ろす。5階建ての棟が列をなしている。子ども達の声はない。静かだ。先ほどの黒メガネの兄ちゃんの顔が急に迫ってきた。あの時、うっかりついてでも行こうものなら、とんでもないことになっていたかも。旅先では特に一人旅では、一瞬たりとも気が緩められないことをあらためて実感する。これからの旅もある。あのサングラスの兄ちゃんたちは、そのことを気づかせてくれたのだ。ありがとうよ。欧州を旅して思うが、こちらの国の人たちは、外国人、とくに観光客と見ると親しみのある目で近寄って話しかけようとする。他所の国から来たという認識はないようだ。それもそのはず、街を行く人たちは白あり、黒あり、黄色あり、大柄あり、小柄ありといろいろな国の人たちでごった返している。陸続きの国々だけに人の行き来に制限はない。日本で、日本人が外国人に道を尋ねるなんてことはあるだろうか。