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おじさんパッカー 中欧編(15)

16.06.21

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ホテルの窓から眺めるアムステルダム市街

 

そんなに脅かさないでよ…

 

朝食を終えてルームキーを預けにフロントに顔を出すと、「きょうはどこへ行くのかね」と、赤ら顔ででっぷりした50前後の男性がカウンターから声をかけてきた。「近くの運河沿いに骨董市が開かれているから行ってみるといいよ。アムステルダム市内のあちこちでフリーマーケットや朝市などが開かれているが、運河沿いの出店は有名だから、大勢の人でにぎわっているよ。少し足をのばせばアンネ・フランクが身を隠していた部屋や画家のレンブラントが住んでいた家だってあるよ」と、笑顔で話しかけてきた。「はるばる日本から来たんだからせいぜい楽しんできてよ。そうそう近くに娼婦がたむろする飾り窓だってある。日本にもあるかい? ただ、そのあたりは色々な人種のたまり場になっていて、犯罪件数も多く危険地帯だからね。あんたのように街の事情がわかっていないよそ者はいいカモだね。それに、そんな小さくてひ弱な体つきだったら、それらの連中にかかったら、財布やショルダーバックをかっぱらう前に体ごとどこかに運ばれるよ。けっして脅しじゃないよ。そんな事例はこれまでにも何回もあったんだからね。楽しむなら危険承知でやるんだな。明るいうちはめったなことはないが暗くなると危ないね。地元の我々だって、近づかないからね。日本であんたの帰りを待っている人がいるんだろう。くれぐれも用心しなよ」。橋の上でニセ警察官に囲まれた話をすると、「そういうのがいるんだ。そんな連中はアムステルダム市民じゃなく、よその国か地方の街からやって来る食いつぶした連中なんだ。そいつらがアムステルダムの評判をけがしているのだ。困ったものだ」と、唇をかみしめた。人の良さそうなおじさんの忠告をしっかり腹に詰めて、街に出た。

 

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運河沿いの骨董市

 

ホテルのおじさんにいわれた道筋を行くと、運河に沿ってテントが帯状に連なっているのが目に入る。長さ1キロはあろうか、白や黄色のテントが列をなし、まるでお祭りの屋台村に迷い込んだようだ。日本でもそうだが、露天といえば骨董品だ。ここアムステルダムでも道路にはみ出すように、銀色のつぼ、水差し、色あせた絵画、ランタン。そのほか何に使うのだろうかと思われる鉄の塊。何だか知らないものがごみ溜めのようにうず高く積み上げられている。買う気もないのに、それらの一つ一つに目をやっていると、店番をしていたヒゲ面のオヤジが、「これなんかどうかね。400年近く前に使われていた年代ものさ。レンブラントも手にしたかもしれないぜ」と、ススで黒ずんだ鶴の首のような水差しを持ち上げ笑っている。レンブラントを持ち出して売りつけるとは…ね、と呆れていると「冗談だよ」といった目で私を見つめ「これ、安くしとくよ」と、槍の穂先のような金具を私の眼の前にしつこく差し出してきたので、黙ってその場を離れた。

 

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殺到する女性客

 

テント村には、鍋釜といった日用品から、本、絵、古着、中古自転車なども売っている。日本でいうと使わないものを売りさばく、フリーマーケットでもあるようだ。品物を見るより、店番をしているオランダの人を見るのもいい。金髪を束ねた若い娘さんがニッコリ微笑んでくれたり、でっぷりしたおばさんが、体を押し出すように足の踏み場もない店の奥から出てきたり、10歳くらいの少女が目をくりくりさせて「どうですか」と声をかけてくれたりと、街の人たちのいつもの笑顔が輝いている。

大きな声がするのでそのテントに近づく。人だかりができている。何事かと、人を掻き分け顔を出す。古い携帯電話が並べてある。若者が、あごヒゲをつけたアラブ系の店主と激しいやりとりの真っ最中だ。察するに、若者は携帯電話のカバーが欲しいらしい。ビニールに密封された商品を手に取り、「自分の携帯の寸法に合ったら買うのでつけさせて欲しい」と。ところが店主は「ビニールカバーを外したら売り物にならない。本当に買うのか」と疑っている。若者は「合えば買うから。金はある」と、ジーパンのポケットから店主の前に財布を投げ出した。「封を切ったら買って欲しい」、「大きさが合えば買う」と、互いに押し問答が続く。「金をもらうまで品物は渡さない」を繰り返す店主と若者の間に、若者が投げ出した使い古された皮製の財布がぽつんとある。しだいにヒートアップする二人。店を取り囲むように騒ぎを聞きつけた人の群れ。私はいつの間にかテントの最前列、若者の右脇まで押し出されていた。店主と若者のバトルを目の当たりにしていた。10分くらい押し問答が続くがらちがあかない。互いに自分の立場を変えない。口論する二人の顔を見比べるが、互いに一歩も引かない。時には、にらみ合ったまま沈黙が続き、険悪な空気が漂う。すぐには決着がつきそうにない。せっかくアムステルダムまで来ているんだ。こんなところでいつまでも過ごすわけには行かない。だけどことの顛末も見たい。異国民のバトルを見届けたい。そんな思いに後ろ髪を引かれるように、その場を離れた。

 

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中華街(ネットより)

 

入り組んだ小道を曲がると、中華料理店の看板が飛び込んできた。道路に沿ってびっしりと赤や黄の見慣れた中華風の模様が道路にはみ出している。昼過ぎとあって、白人や黒人、黄色系と人種のるつぼのように、店の前を人が行き交う。ガラス越しに顔を近づけると、厨房から中国人らしき料理人がじろりと鋭い視線を飛ばした。「入るのか、入らないのか、どっちだ」そんな意思が伝わる。どうやら、中華街に迷い込んだようだ。「ニーハオ」と、小太りのおばさんが声をかけてきた。私を中国人と思っているようだ。何も言わずにいると、おばさんは中国語でまくし立ててくる。右手の指をかざしながら、二つ、三つの店を指し名物料理の宣伝でもしているようだ。一方的に話し続けるおばさん。その脇に鳩が豆鉄砲を食ったように呆然と立ちつくす私。そんな二人に目をやる通りがかりの人たち。この空気感。すっかり異国の日常生活に溶け込んでいるような実感を覚える。おばさんの言っていることがさっぱり理解できないが、額に汗を滲ませて懸命に店の紹介をするおばさんの顔に、異国でたくましく生きる中国人の姿を見る。この男は話にならんと思ったか、「チャオ!」と舌打ちして、おばさんは人ごみに消えた。「『チャオ』ってイタリア語じゃないの」。ここはオランダ、なんでイタリア語。あのおばさんいったい何ものなの。ビニール袋を下げていたからスーパーの帰りなのだろうか。きっと、中国の人と話がしたかったのかもね。日本人でごめんね。

 

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アンネ・フランクへ 長蛇の列(ネットより)

 

アンネの日記」を残したアンネ・フランクがナチスの手から逃れるため隠れ住んだという家に向かう。運河の東側にびっしり並んだ5階建てのレンガ色の建物の一つから、長蛇の列が数百メートルほど伸びている。周りのビルを取り囲み、通りを超えて運河沿いにまで人の流れが続く。「どのくらいで入れそうですか」と、最後尾の家族連れに訊くと、「さあ、3、4時間はかかるんじゃない。閉館が午後7時だからこの分だと入れないかもね」。このあたりはホテルのおじさんの言う危険ゾーンの一角だ。暗くなる前にホテルに戻ることを決めた。アンネ・フランクは、1942年7月から1944年8月までの2年余りをここでじっと身を潜めていたのに、私は4時間も待てないなんて情けない話だ。