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おじさんパッカー 中欧編(10)

16.06.21

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旅行案内所

 

にわか日本語教室

 

いよいよ明日、ベルリンを離れアムステルダムへ向かう。ドイツの東の端ベルリンからオランダへと、ドイツ平野を東から西に横断する旅になる。アムステルダム行きの時刻を聞くため、オスト駅の案内所の窓口に顔を出す。40過ぎの女性が、無表情にキーを叩き、乗換駅も記された時刻表を打ち出してくれた。私が希望した午前8時31分発の電車は予約が必要だという。「全席、座席指定にでもなっているのか」と、怪訝な顔で係の女性を見たが、私の疑問に答えず無表情で3ユーロ請求された。
案内所でもらった時刻表を手にしながら歩き出す。ベルリン最後の夜だから、美味しいドイツ料理でも奮発するかと駅構内のレストランを物色するが、まだ夜9時前だというのにもうシャッターを下ろしている店が目立つ。駅の外に出てそれらしき店を探すが、人影もなく店先は暗い。その内お腹の虫がなりだしたので駅構内に戻ると、寿司屋のマスターと目があった。彼は右手を挙げ、声をかけてきた。ベルリンに到着した夜、この店で食事した私の顔を覚えていたようだ。

 

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寿司屋(オスト駅構内)

 

マスターはニコニコして愛想がいい。ドイツ最後の夕食に日本食もあるまいと思ったが、マスターの笑顔に引き込まれるように店に入る。ビールとにぎり寿司を注文した。日本でもあまり口にしない贅沢な夕食になった。私が寿司を食べ終えるのを待っていたかのように、マスターがお茶を持ってきた。「日本のお茶?」と聞くと、「ベトナムのもの」と、英語で返ってきた。彼は手に紙とボールペンを持っていて、日本語を教えてほしいという。「いらっしゃいませ」、「ご注文は」、「どちらから来られましたか」、「どれくらいベルリンにおられますか」、「お味はいかがでしたか」などなどすぐさま使える言葉を、という。彼の持参した紙に私がローマ字表記で書き、そしてすぐさま私が読み上げる。彼も私の言ったことをオウム返しで口をつく。通路にはみ出している寿司屋のテーブルが、にわか日本語教室となった。「何をやっているのだろう」とばかり、電車から降りてきた仕事帰りの人たちが、物珍しそうに私たちを覗き込みなが通り過ぎてゆく。マスターはすごく真剣だ。この短い時間にどん欲に日本語を吸収しょうと、商売そっちのけで私と向き合った。

「おいしかったですか」には、「オイシカ タデス カ」とマスターは、私の口の動きをじっと見つめて声を出すが、日本語になっていない。そうじゃなくて、「おいしかった ですか」と、「オイシカッタ」で区切らないと通じないよ。「いかがでしたか」には、「イカ ガ デシ タカ」となる。偉そうなことはいえない。私の英語もこの程度なんだろう。辛うじて通じているのは、相手が私の言わんとすることを推し量ってくれているからだ。そう感じた私は、マスターが口を尖らせて苦しそうに発する一言、一言に、「オーケー ベリー グー」と右手親指を突き上げて彼の眼前に押し付けると、満面に笑顔が広がる。マスターも親指を突き出し「グー」と、おおげさにはしゃぐ。とにかく、日本人に何か訊ねる時には、「○○○ですか」と、語尾に「デスカ」をいれればそれでいいのだからと、念を押す。
3人の客が店にやって来たのを見たマスターは、慌ててカウンターに戻った。私はゆっくり席を立ち、接客するマスターに視線を合わせ「さようなら」と手を振ると、彼は「サヨ ウナラ」と大きな声で返してきた。

 

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残されたベルリンの壁(ネットより)

 

さてベルリンの印象ですが…。通りがかりの私のようなただの観光客でも、建物のたたずまいといい、通りの明かりといい、街を行く人々の表情といい、かつてベルリンの壁で遮られていた東と西では、はっきりとした違いを感じ取ることができる。日本食レストランに立ち寄った時、ベルリンに住んで10年以上が経つという50歳前後の日本人男性と話をする機会があった。「長い間、祖国が分断されていたがようやくドイツが統一され、さぞドイツ国民は喜んでいるでしょうね」と声をかけると、意外な答えが返ってきた。「東西統一のためにもうけられた『連帯税』が結構高いんだ。この国に住むすべての勤労者は毎月、所得税の5.5パーセントを連帯税として連邦政府に払い続けている。もともと、所得税や消費税などこの国の税率は日本などに比べると高い。その上にだからね」と、顔を曇らせた。この連帯税はおもに、社会主義時代に荒廃した旧東ドイツの道路や住宅の修復に充てられたり、旧国営企業が閉鎖されたために仕事がなくなり、早めに年金生活に入った旧東ドイツ人の年金原資に充てられたりしている。いわば、社会主義体制に40年間支配されて、発展が遅れた地域への経済支援であるという。

 

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かつてのベルリンの壁の跡

 

「旧東ドイツの失業率は西側の2倍もある。そのため職を求めて西側に移住する若者が絶えず、旧東ドイツの人口は毎年減っている。政府が巨額の資金をつぎ込んでいくら道路や建物などを修復しても、旧東ドイツが今なお自分の足で歩けない状態では、どうしょうもないよ」と。そしてさらに、「このドイツを目の当たりにして、経済体制の異なる二つの国を合体させることが、いかに大変な事業であるかを痛感させられるよ。もしもいつの日か韓国と北朝鮮が統一を達成した場合、韓国が背負い込む経済的な負担は、ドイツとは比べられないほど巨額なものとなるだろうね」と、彼は口をつぐむ。
ベルリンの壁が崩壊し、ドイツ統一がなされたことを知った私たちは、もろ手を挙げて心から喜んだ。しかし、二つの政治体制が融合するまでには莫大な資金と、とてつもなく長い時間がかかるということを、彼の話からようやく知り得た感じがした。