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おじさんパッカー 中欧編(11)

16.06.21

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五色のチューリップ畑(ネットより)

 

アムステルダムへ

 

「さあ、オランダに向かうぞ」と、ベッドから体を起こし、大きく手足を伸ばす。大きなガラス窓から射し込む朝日が、収穫前の稲田のように部屋の隅々を黄金(こがね)色に染めていた。日本よりはるかに緯度の高いドイツでは、夏のこの時期、夜中でもぼんやり明るく、午前4時頃にはすでに雲間から太陽が顔を出している。朝食をすませ、チェックアウトの手続きにフロントに顔を出す。40過ぎの男性が、眠そうな目をこすりながら奥から出てきた。「お世話になりました。ベルリンをたちますがパスポートを返してもらえますか」と声をかける。「宿泊代の支払いが先ですよ」と、いきなり返された。VISAカードで清算した後、領収書とパスポートが手渡される。すぐさま自分のものか確かめ、「やれやれ」と思わず胸をなでおろす。ベルリンに滞在中、命の次に大事なパスポートが無事に戻ってくるのかと、そのことがずっと頭から離れなかった。人目を避けて、こっそり腹巻に取り込みこれでよしと「ポン」と軽くお腹を叩く。

 

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時刻表示盤(ベルリン オスト駅)

 

たしか8時31分にこのオスト駅を発車するはずだが…、10分前になってもお目当ての電車の時刻表示が出ない。チケット売り場で「アムステルダム方面の電車は?」と声をかけると、「この駅からは出ていない」と、冷たい返答。昨日、ここで教えてもらったのにと時刻表を見せて食い下がるが、女性駅員は無表情だ。「アムステルダム方面は別の駅からだよ。ついておいでよ」と、脇でチケットを買っていた中年男性が声をかけてくれたので、彼の後について電車に乗り込む。20分ほどして、「私はこのまま乗って行くが、あなたはこの駅でアムステルダム方面行に乗り換えなさい」と、やさしく声をかけてくれた。周りは雑草が伸び放題の空き地が広がり、人の気配がしない寂れた駅だ。乗り換え駅名も時刻も食い違ってしまったので、昨日、オスト駅の案内所で教えられた時刻表を捨てる。これからは自力だと腹をくくる。

 

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このホームからオランダへ(ベルリン オスト駅)

 

「アムステルダム方面の電車はどこから出ますか」と、時折通る駅員や乗客などに訊きながら、ようやくアムステルダム方面の電車が停車しているというホームにたどり着く。車内は空席が目立つ。ところがよく見ると、どの席にも何やら書かれた紙が背もたれに差し込まれているじやない。途中の駅から乗り込んでくる予約席の表示だ。これじゃ座る席がないじゃないかと戸惑ったが、「注意されたらそのとき対応すればいい」とばかり、表示を無視して車両の中ほどの窓際に席をとる。9時10分、電車が動き出した。ドイツの東端ベルリンからオランダまで、東から西へとドイツ全土横断の旅が始まった。5分ほどで街並みが切れ、線路の両側を針葉樹の樹林帯が果てしなく続く。遠くの景色を楽しもうとしたが、樹木で完全に視界が遮られる。まるで天井のないトンネルを走っているようだ。

 

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菜の花畑(ネットより)

 

うつらうつらして目を開けると、一面、地平線まで行き渡る黄色の海。満開の菜の花畑が厚い絨毯のように、びっしりと敷き詰められている。ところどころ、茶色の麦畑があったり、緑の牧草地だったりと色とりどり。地上に描かれた広大なパッチワークが、眼前に広がっている。真っ赤なベレー帽にモスグリーンの制服に身を包んだ若い女性と中年男性が、車両の前後から黙って入ってきた。日本だったら入り口で一礼して「まことにご迷惑をおかけいたしますが、ただいまから乗車券を拝見させていただきます」とくるところだが、ここドイツでは何の前触れもない。周りの乗客がキップを取り出し始めたので、「検札」だと気づく。駅に改札のないドイツでは、こうして車内で抜き打ちに検札を始めるようだ。背もたれに顔を伏せながら、腹巻から乗車券を取り出した。回ってきたのは20歳くらいのテレビアイドルを思わせるかわいい娘さんだ。うっとり見ていると、いきなり私の眼前に彼女が右手を広げた。乗車券を受け取ると、30秒ほどながめ無言で私の手に戻した。「この電車はアムステルダム方面行きですか」と声をかけた。「ヤア(はい)」と弾んだ声が戻ってきた。キップを腹巻に戻そうと視線を落とすと、ベルトが緩んでいて下着が飛び出しているじゃない。うら若い車掌さんにこんなだらしない格好を見せてと、思わず顔を赤らめるがあとの祭り。彼女は何食わぬ顔で、前席の男性にキップの提示を求めていた。

 

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ハノーファー駅

 

11時27分。ハノーファー駅に停車した。ドイツ中央部にある都市で、国際見本市の町として世界に知られている。雪崩をうつように大勢が乗り込んできた。大きなリュックの旅行者、自転車を持ち込む人、家族連れなどで、車内は息苦しくなるほどに乗客で詰まった。ハノーファーを出て2時間ばかりが過ぎたろうか。上下とも迷彩服に身を包んだ20代半ばの兵士(?)が、突然やってきた。車内に一瞬、緊張が走る。「パスポートを!」と、尖った厳しい目で私の顔に視線をおく。慌てて腹巻からパスポートを取り出す。彼はしばらく目を通し、私の顔を覗き込むと無言でパスポートを私の手に戻し、次の座席に向かった。どうやらドイツとの国境を抜け、オランダ領を電車が進んでいるようだ。入国審査というところか。ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツと渡ってきたが、このような物々しい格好での、審査はなかった。ここ「EU(ヨーロッパ連合)」は、ひとつの国として国境を廃していると聞いていたので、入国審査らしきものがあるのは意外だった。

 

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風車小屋(ネットより)

 

ドイツの単調さに比べて、オランダの車窓は飽きさせない。チューリップ栽培が盛んで赤、黄、紫と色とりどりに大地がどこまでも彩られている。風車が目に止まる。達磨を見るようにどっしりと腰をすえた頭から、地上スレスレの長い羽根を伸ばし、ゆったり、ゆったり動いている。列車が停車したので、ちなみに手元の時計で測ってみた。一回転一分近くかかっている。秒針と同じくらいだ。しばらくして、青く茂った麦畑の向こうに、真っ白な船体が見える。まさか海があるわけじゃないのにあのような大きな船がと、双眼鏡を取り出す。デッキも備えたクルーザーのような立派な船だ。視線を左右に移すと、緑の草原から真っ白い船体があちこち顔を出している。「あれは農作業の船さ」と、物珍しそうに眺め回すのを見かねたように、隣のおばさんが説明してくれた。「オランダは国土の大半が海面より低い。湿地帯が多い田畑の周りに、運河が網の目のように張り巡らしてある。その運河が農道になっていて収穫物の運搬や人の移動には船が重要な交通手段になっているの。風車もそう、低い土地から水を汲み上げたり、石臼で粉をひいたりする動力源なの」。私の質問にぽつりぽつりと答えたおばさんの話をまとめると、こうなる。
家が建て込んできた。赤茶色の屋根が軒を接するように群がっている。幅30メートルはあろう運河に沿って、家並みが列をなしている。遠くにハイウェーが白く光っている。いよいよアムステルダムかと、座席から腰が浮く。15時37分。途中、乗り換えにもたもたしたが、ようやくアムステルダム中央駅に着いた。