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おじさんパッカー 北欧編(26)

16.06.21

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空から見たストックホルム(ネットより)

 

ストックホルムの街かど風景

 

柳に飛びつく蛙

 

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激流に挑むカヌー

 

ガムラ・スタンに通じる橋の上から、大勢の人たちが欄干に身を乗り出して波立つ水面を見下ろしていた。覗き込むと青や緑のカヌーを操って懸命に激流を上るヘルメット姿の若者達が見えた。階段状に堰が設けられ、右側からまるで渓流のように激しく水が落ち込んできている。10艇ほどのカヌーがいるが、ことごとく急流に跳ね返されていた。そのたびに橋の上の見物客から「あ~」と大きなため息がこだまする。それでも下流からパドック(カイ)をプロペラのように回転させ、押し流されても繰り返し、繰り返し激流に挑む若者たち。まるで日本の諺にある「柳に飛びつく蛙」のようで、失敗しても何度も挑戦する姿に「頑張れ! 頑張れ!」と、思わず日本語で大声を上げている自分に気づく。

 

王宮・衛兵交替式

 

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スウェーデン王宮衛兵交替式

 

ガムラ・スタンのあるスタッツホルメン島の北東の角にスウェーデン王宮がある。イタリアバロック、フランスロココ様式の重厚な石造りで、60年近くかけ1754年に完成されたという。これまで代々王室の居城として使われていたが、1982年に幼いお子様のために空気のきれいな静かな環境を求めて、ストックホルム郊外の宮殿に生活の場が移され、今は空き家になっている。70クローネ(950円)を支払い王宮に入る。見学は1、2階部分だけ。宮殿に一歩踏み入れると、壁一面に描かれ歴代皇帝の肖像画や金銀の装飾が見学者を包み込むように迫ってくる。どの部屋も美術工芸品や武具、絵画、また貴金属などの戦利品で埋められていた。かつて使っていたという、国王の寝室や子ども部屋といったプライベートなところまで公開されている。どの部屋の天井にもフレスコ画や彫刻が隙間なく埋められていて、その荘厳さに圧倒される。ここにはかつてノルウェーやフィンランドを併合するほど栄えた、スウェーデンの栄華が凝縮されているようだ。
中庭で衛兵の交替式に出くわした。軍服に身を包んだ20人ほどの若者が、青地に黄十字の国旗を掲げて王宮正門に整列してい た。大きく足を上げ、銃剣をかざし、まるで仕掛け人形のように動きに寸分の狂いもない。そして全くの無表情。彼らの踏み鳴らす足音だけが広い城内に響き、あまりの迫力にあたりの空気が一瞬凍りつく。取り巻きの見物客もこわばった感じだった。

 

船上結婚式

 

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歓声に手を振る新郎新婦

 

王宮につながる石畳の階段を下り水辺に出ると、眼前に白い船体が横たわっていた。船上では盛装した人たちがシャンペングラスを高く掲げている。「何ごとですか」と隣の男性に声をかけると、「結婚式だよ」という。真っ白のドレスに頭からレースをなびかせた新婦とタキシードの新郎が、桟橋から見守る人たちに両手を広げ愛嬌を振りまいている。日本ではめったに見ることのできない光景にしばらく佇んでいた。「結婚おめでとう」とでも言ったのか、誰かの掛け声で道行く観光客をも巻き込んで一斉に拍手が湧き立った。私も思わず力いっぱい手を叩く。その時一瞬、新婦と目が合い、にっこりと人懐こい微笑が返ってきた(ように思った……)。

 

俳  句

 

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ハイクに見入る若者

 

しばらく歩くと、石膏作りの白い牛の周りに3、4人の若者が物珍しそうに集まっていた。彼らは牛の背中を覗き込みながらなにやら読んでいる。一首の俳句が、牛の体を埋め尽くすように墨で黒々と書かれていた。若者の肩越しから顔を出すと、「夏近し その口たばへ 花の風」とある。若者の一人がチラリと私に視線を向けてきた。「あなたの国の言葉でしょう。読んでみてよ」と言わんばかりの目だ。「なつちかし……」とそのまま声を出そうとしたが、もし「どんな意味か?」と訊ねられでもしたら…。英語もしどろもどろ、ましてスウェーデン語なんてとんでもない。冷静を装い、悠然と大またでその場を離れる。こんな時こそ日本の文化を語って、日本人として男を上げる時だったのに、そそくさとその場を立ち去る自分に情けなさがこみ上げる。振り返る と、赤シャツの若者が両手を合わせ牛に向かってお辞儀を始めた。彼がどのように思って手を合わせているのだろうか。もしやインドの聖なる牛を連想しているだろうかね。

 

帆船ホテル

 

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波間に浮かぶ帆船ホテル

 

ストックホルム最終日の夜、ようやく帆船ホテルに泊まることができた。受付ロビーを抜け向かいの入り江に出ると3本マストの帆船が浮かんでいる。期待に胸を膨らませて指定された船室に入る。天井が低くまるで穴倉のようだ。小さな丸窓から薄日が差し込むが暗く、不安だ。船室には二段ベッドが3個あったろうか。入り口近くのベッドの上段に荷物を置く。ロッカーはあるが鍵はないので日本から持ってきていた南京錠を吊り下げた。
この帆船は1888年に海軍の練習船として建造されたもので、役目を終えユースホステルとして再利用されている。100年以上も前から、若者たちがこの部屋で寝泊りし訓練に励んでいたのだと、天井や柱に残る当時の傷に目をやりながらしばらく船室で時を過ごす。
その夜、驚いたというより大変迷惑なことが私にも降りかかってきた。夜11時を過ぎ全員が寝静まった頃、向かいのベッドから突然大声がした。イスラム教の人だろうか、どうやらお祈りが始まったようだ。目を凝らすと正座するアラブ系の若い男性が薄明かりの中にぼんやり浮かんでいる。30分以上は続いたろうか。同室のほかの者も諦めているのか…、文句も言わず黙っている。宗教上のことだから、もし止めようものなら大変なことになるのかもしれない。そんな警戒感からかみな我慢。私もお祈りが早く終わることを、毛布をかぶりながら祈った。それにしても、明日旅立つという最終日の夜、ぐっすり眠りたいのに……、とんだことになった。