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おじさんパッカー 北欧編(27)

16.06.21

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世界一臭い食べ物 シュールストレミング

 

旅の出会い

 

マスターの話

 

午後8時過ぎ、宿舎に戻りそのまま隣接しているいつものレストランに顔を出す。今夜もシェフスペシャル(お任せメニュー)を注文した。ソーセージが3本、ジャガイモの蒸したものやサラダなどが大皿に盛られている。客が少ないこともあってか、シェフがわざわざ私のテーブルまで運んできて、「ストックホルムは気に入ったかね」と話しかけてきた。
「買い物しても消費税が高いね」というと、「消費税に限らず、所得税など他の税も高額だよ。稼いだ金の半分以上は国に取り上げられているよ。これはここスウェーデンに限らず、ノルウェーやフィンランド、デンマークなど北欧の国々では当たり前のことさ」。「よく国民から文句が出ないね」と彼の顔を覗き込むと、「医療費も教育費もすべて無料なんだから。その上、失業しても生活費や再就職のための職業訓練費用の援助もあるし、もちろん子育て費用も国が面倒見てくれている。不満どころか国に感謝している人の方が多いんじゃないの」と、思いもかけない答えが返ってきた。税を払うということは、国にお金を預けているのと同じ感覚らしい。詳しいことはわからないが、国が金をプールし公平に分配するという制度が定着しているようだ。「税金を納めた後に残った金はすべて使い切っても構わないからね。貯金することないね」と、彼は笑っていた。医療保険、学資保険、老後のためなどと将来に備えなければならない日本とは、だいぶ様子が違うようだ。

 

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見ているだけで臭気が立ち昇りそう

 

「ところで、シュールストレミングって知っているかい? 塩漬けのニシンの缶詰なんだけど、その強烈な臭いから、『世界一臭い食べ物』と言われているんだ」と、マスターが顔を近づけてくる。開封した缶詰から飛び出すヒドイ悪臭に隣近所から苦情が飛び交い、パトカーが駆けつける騒ぎあるというほどだ。「店にはとても置けないけど、近くのスーパーに売っているよ。せっかくスウェーデンに来たんだから、どのくらい臭いものか、日本に戻った時の話のタネに一度口にしてみたら」と、意地悪そうな目で見つめてきた。話を聞いただけでノーサンキューだね。

 

 

ブラジルからという二人連れ

 

帆船の甲板でぼんやり海を眺めていると、「シャッターをお願いします」と女性の声。振り向くと20歳前後の女性2人連れだ。中南米系の顔立ち。帆船の舳先に立ち、二人は頬と頬をくっつけ、満面いっぱいの笑顔でポーズをとった。背後にスウェーデン国旗がはためいている。その後、私も彼女とそれぞれツーショット。ブラジルから来たという彼女たちはニコニコと愛想がいい。思いがけない出会いになった。彼女たちと私の会話は、ポルトガル語、英語、日本語とまちまちの言葉が、甲板を行き来するが互いの頭には「?」「?」「?」が広がるばかりだ。「日本のこと知っている?」、「ブラジルはサッカーが盛んだね。ジーコ選手など日本でブラジルの選手が活躍しているよ」、などと声をかけるが彼女たちはただ笑っているだけで、いまいち、反応がない。互いに言葉がわからない中、身振り手振りで会話を続ける。

 

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ブラジルの二人連れ

 

彼女たちは、サンパウロからやって来た大学生だ。昨日、ヘルシンキからここストックホルムに来てこの後、デンマーク、ノルウェーに足を運ぶという。2週間ほど北欧4カ国を訪れるらしい。「サンパウロには日本人がたくさんいるよ。みんな真面目ね」 と、私が日本人と知るとほめそやしてくれる。そのうちの一人が何を思ったのか、「私いま同棲しているの。学校出たらすぐに結婚だね」と、初対面の私に親しげにそんなことまで話しはじめ正直驚いた。「私たちの所は40度近いよ。覚悟していたけどここはとっても寒い」と、彼女たちは互いに顔を見合わせ、唇を震わせていた。別れ際、「グットラック!」と、両手を左右に大きく振り、船外に消えていった。

 

 

ユースホステルで出会った日本人

 

家具職人Yさん

 

滞在3日目、日本人青年と同室になった。名前はYさん。34歳だという物静かな家具職人。ストックホルム郊外の町で一ヶ月ばかり家具製作の研修を終え、帰途、ここストックホルムに立ち寄ったようだ。彼の営む工場は木曽檜の集積地である長野県の上松にある。赤沢休養林にも近いという。出身は醒ヶ井、私と同じ滋賀県だ。それを耳にして急に彼に親近感をおぼえ話が弾んだ。建築関係の会社に勤めていたが家具に興味をもち上松の家具専門学校で学び、卒業と同時に独立。おもに注文生産で、お客さんの好みに合わせたこだわり家具をつくっているらしい。専門学校で学んだ仲間が周りにいて、彼らを代表して北欧家具の勉強にスウェーデンに来たという。「北欧家具を日本に紹介したいね」と、カンナ、鋸、ノミとずっしり重い道具袋を携えて旅を続けている。「明日、帰国するけど、日本に戻ったら私の工場にぜひ来て頂戴よ」と、名刺をくれた。(日本に戻った3か月後、私は彼の工場を訪れた)

 

 

ペンション経営の中年夫婦

 

東伊豆の伊東市でペンションをやっているという中年夫婦(旦那さんは63歳)が話しかけてきた。コペンハーゲンからレンタカーで昨夜やってきて、明後日、オスロからベルゲン、ドーボへ足を伸ばすらしい。一週間後にコペンハーゲンに車を返し日本に戻るという。私もドーボから船でノールカップまで行き、南下しヘルシンキからここストックホルムにやってきたのだと話す。
岡崎出身という旦那さんは、客商売をしていることもあってよく喋る。外国旅行にもよく出かけているとあって、ストックホルムの観光地やみやげ物、料理などの話題も豊富だ。2時間ばかり旅の話で盛り上がる。狭い食堂に私たちの日本語が飛び交ってい る。他の客は特に意識しない。いろんな国の人たちが立ち寄る所だから、異なった言葉が飛び交うのは日常なんだ。

 

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夕やみ迫るガムラ・スタン

 

 

一人旅を続ける若い女性

 

フランスからやって来たという25歳になる日本人女性がいた。Yさんと3人でこれまでの旅の話で盛り上がる。彼女はパリでバイトして、その金で北欧を周遊しているらしい。日本を離れて半年、「旅の先々で話し相手がいるから」と、一人旅でも何の不安もないとたくましい。日本の両親とは全く連絡をとっていないらしい。「心配しているだろうな。でも私は毎日がウキウキよ」と、くったくない。「女性の一人旅って怖くない?」と彼女を覗き込むと、「これまで半年の間、怖いことなんかなかった。むしろ楽しいことばかりだった」と笑顔が弾ける。「西洋人は女性には親切だよ。荷物を持ってくれたり、道案内してくれたりと。何といってもレディファーストの国々ばかりだもの。日本で旅した時のほうが危険を感じたもの」。そして話を続ける。「ただ、宿舎だけは前もって確保しておくの。おもにユースホステルだけど。暗くなってから女一人が宿を探すのは、どこの国でも危険ね。これから先も、一人で世界のあちこちを巡る生活を続けます」と、あっけらかんと話す。まことに頼もしい。
「お母さん、心配しているんじゃない。電話してあげなよ」と、年配者としてひとこと忠告を入れると、「電話? いまさらね。何かあったの!とかえって心配ちゃうかも……」と、甲高い声ではしゃいでいる。「明日、デンマークへ向かうのでこれで失礼します。また、どこかで会えるといいね。お母さんに電話するんだよ!」と、彼女に念を押すと、「わかった」と明るい声が戻ってきたが…、どうだろかね。私は出立の準備もあって席を離れる。Yさんと彼女は、まだまだ話が尽きないようだ。