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おじさんパッカー 英国編(25)

16.06.22

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ウィリアム・シェイクスピア

もうひとりのシェイクスピア

 

2011年に制作されたイギリスとドイツの合作映画、「もうひとりのシェイクスピア」を近くのレンタルショップで借りてくる。この映画は、表題通り劇作家ウィリアム・シェイクスピアの数々の作品は別人によって書かれたとする歴史サスペンスだ。

16世紀末、オックスフォード伯爵エドワードが宰相である義父とその息子のロバートへの不満を演劇の形で書き記していた。身内の私生活を暴く内容だけに、顔見知りの劇作家ベンに頼み匿名で発表していた。貴族階級の権力争い、人間と社会との矛盾、人間心理の不可解さといった心の奥底をあぶり出したエドワードの書いた芝居は、すぐさまロンドン市民の心をとらえる。歓喜に湧く観客が舞台に向かって「誰がこの物語を作ったの。顔を見せて頂戴!」と叫ぶなか、ベンの友人で役者でもあるシィクスピアがとっさに舞台に上がり、「私がこの作品を書きました」と、挨拶してしまう。その事実を知ったエドワードは戸惑いながらも、そのままシェイクスピアに原作者の振りをさせることにした。こうしてシェイクスピアは「劇作家ウィリアム・シェイクスピア」として振る舞うこととなったのだ。その後もエドワードが紡ぎ出す作品は全てが高い評価を受け、それに伴い、シェイクスピアは有名作家として扱われるようになるというもの。

 

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映画のパンフレット

 

これは映画の話だが、18世紀に「シェイクスピアが本当の作者なのか?」という論争が、演劇関係者の間で起こっていたことは事実のようだ。シェイクスピアが書いたことに疑いを持つ“反ストラスフォード派”と呼ばれる人たちは、一連の作品の作者はオックスフォード伯爵エドワードに間違いないと主張している。理由として、エドワードは1年4ヵ月の間、ヨーロッパ大陸を旅しており、さらにはシェイクスピア作品の舞台として登場するイタリアの街パドヴァ、ミラノ、ヴェローナ、マントヴァ、フィレンツェ、そしてシエナを訪れている。そのほかにも「ハムレット」は、エドワードの伝記かとも思えるほどに、彼の人生に酷似しているという。
ストラスフォード出身のシェイクスピアについて、読み書きのできない商人の息子が「ベニスの商人」、「リア王」、および「ヘンリー五世」のような英文学の最高傑作といわれる作品を書いたなんて多くの人には信じられないという。さらに、シェイクスピアが小さな村で受けた教養では、世界の文学を語るほどの広範囲で十分な知識を得ることは不可能で、また彼が外国旅行をしたという証拠はなく、まして外国語を学んだということはないと。
一方、シェイクスピア本人が書いたという“ストラスフォード派”の人たちは、間違いなくストラスフォード出身のウィリアム・シェイクスピアが、37作の戯曲と154作のソネットを書いたと信じている。シェイクスピア作とされる全ての作品は、富と名声を求めてロンドンに向かった天才劇作家自身が書いたものなのであると。

 

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ホーリー・トリニティ教会

 

「“ストラスフォード派”と“反ストラスフォード派”どちらが正しい学説であるのか」は、シェイクスピアの死後450年経った今も、論争が続いているのだろうか。
決定的な証拠や確証が現れるまで、この論争に白黒をつけることはできないが、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」や「ヴェニスの商人」、「真夏の夜の夢」、「ロミオとジュリエット」など、多くの傑作がこの世に残された。これらの作品が我々の心に生き続いている限り、シェイクスピアが何者であろうと、その作品の価値が変わるものではないと思う。

彼の眠るホーリー・トリニティ教会を訪ねた。教会は、エイヴォン川のほとりに静かにたたずんでいる。川面を覆い隠すように両岸から柳の枝が垂れ下がり、昼でもなお暗い幽玄の世界を映し出していた。水鳥たちやリスにも出会えることができた。辺りは静まり返り、川の流れと同じようにとてもゆったりとした時間が流れている素敵な場所だ。彼はこの教会で洗礼を受け、この教会に眠っている。これまで見た、ヨークやエディンバラ、リヴァープールの教会に比べると規模は小さいが、シェイクスピアが眠っていることで世界に知られ、大勢の人たちが訪れるという。

 

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エイヴォン川のほとり

 

1616年シェイクスピアは52歳でこの世を去っている。彼のお墓は教会の祭壇の前にあり、その隣には妻のアン・ハサウェイや身内も眠っている。墓石には、シェイクスピア自身が書き記したという「遺骨を動かそうとする者に対する呪いの碑文」が刻まれていた。

シェイクスピア
友よ。願わくば、ここに埋められた遺体を掘るなかれ。この墓石をそのまま置く者は福を受け、
私の骨を移す者は呪はれるだろう。

 

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シェイクスピアの墓と呪いの碑文(ネットより)

 

かつて「シェイクスピア別人説」などが話題に上るたび、新たな証拠調べのため発掘して調査したらという声もあったらしいが、この呪文で450年経った今も、お墓には手が付けられていないという。

英文学の最高傑作といわれ人類の遺産となった、シェークスピアの作品の数々。作者の詮索より偉大な作品がこの世に生みだされたことを喜ばしいことだと思うべきなんだろうと、改めて思う。