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おじさんパッカー 英国編(24)

16.06.22

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ロイヤル・シェイクスピア劇場

 

あんた、パラシュートを持ってきたかい?

 

「シェイクスピアの演劇が観たいんだけど、どこの劇場がお勧め?」と、民宿のおばさんに話すと、「そりゃ『ロイヤル・シェイクスピア劇場』でしょうよ」と即座にいう。シェイクスピアが生まれ、晩年を過ごしたストラスフォード・アポン・エイヴオンには、シェイクスピア劇を専門にする劇場が3つある。スワン劇場、アザープレイス劇場、そしてロイヤル・シェイクスピア劇場。なかでもこのロイヤル劇場が一番古く格式が高いらしい。「何といっても『王立』なんだから」と、おばさんは、力を込めて私に勧める。

その劇場は民宿から歩いて15分ほどの所にあった。緑のじゅうたんを敷き詰めた大芝生園の先にあるレンガ造りの建物がそうらしい。正面玄関の掲示板に、昼の部「ロミオとジュリエット」、夜の部「リア王」の上演が案内されている。「当日券はあるだろうか」とか、「目が飛び出るほど高いんじゃないか…」、などと思いながら劇場前に佇む。不安はチケット購入だけではない。それ以上に気にかかったのは身なりだ。由緒ある劇場に入るのには、ネクタイ着用など、それなりの服装が要求されるのではないだろうか。といって、リュック一つで旅する私には、使い古されたセーターと旅の道中ずっと履き続けている、よれよれの綿パンぐらいで正装に値するような衣服は何一つ持っていない。「さて困ったぞ」と、劇場に出入りする人たちの服装をしばらく観察する。正装した人もいれば、普段着でチケット売り場に向かう人もいる。「入るか、入らないか」、そんなことを考えながら10分ほど、劇場正面玄関に佇んでいた。「せっかく日本から来たんだからね。劇場に足を運び、本場のシェイクスピア劇を観ないと後悔するから…」と、けさ話していた民宿のおばさんの声が背中を押した。

 

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劇場正面

 

「ロイヤル・シェイクスピア劇場」の玄関ドアを押し、キップ売り場に向かう。フロント前にしばらく立ち辺りを見回すが値段の表示が見当たらない。思い切って「昼の部。一番安い席ください」と、切り出すと「OK」と、10ポンド(約2000円)請求される。思ったより安いので拍子抜けした。

午後1時半、劇場のフロントへ。そのまま入場しようとすると、「このチケットの席は、外付け階段から上がってください。3階です」という。外に出て階段を上り、入り口の係員にチケットを提示すると、「この先の突き当たり」と、無表情に指さした。劇場の最上階、それも壁際の席だ。すり鉢のようにせりあがり、舞台がまるで噴火口のように真下に小さく見える。はるか下の舞台を前のめりになって覗き込んでいる私に、「あんた、パラシュートを持ってきたかい?」と、隣り席のおじさんがいきなり話しかけてきたので、思わずふきだした。なるほど、ここから落ちたら舞台に真っ逆さまだ。パラシュートとは…、こちらの人はユーモアがある。舞台近くの特等席から順にすり鉢状に立ち上がっている。見下ろすと客席はほぼ満席状態だ。舞台には数本の柱があり、一段高いところに板が渡してある。客席と舞台を遮る幕もなく、舞台装置は初めから終わりまで同じもののようだ。

 

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シェイクスピア像

 

午後2時、「ロミオとジュリエット」が開演。当然のことながら英語。それもマイクを使わないので、最上階のそのまた壁際にいるわれわれには声がはっきり届かない。幸い双眼鏡を用意してきたので、熱演する俳優の額の汗がライトに光っているのまでしっかり見えた。

舞台は14世紀イタリアの街、ヴェローナ。街を代表する2つの名家、キャピュレット家とモンタギュー家は対立状態にある。モンタギュー家の一人息子ロミオが、キャピュレット家の一人娘、ジュリエットに一目惚れするところから物語が始まる。
「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたは ロミオなの。お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」。
きっとこんな台詞が語られているのだろうが、最上階の壁際には全く届かない。谷底の舞台の周りは、歓声が上がり盛り上がっているのに。劇の中身はさっぱりだけど、シェイクスピアの生誕地の王立劇場で本場のシェイクスピア劇に間近に接し、大勢の観客と時間を共にしたこと、それだけで満足だ。

 

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「生きるべきか 死ぬべきか」ハムレット像

 

格式ある劇場だからネクタイ着用だとか、服装のことをいろいろ思ったがそれほどでもなかった。舞台に近い所の席には正装している人もいるが、大半はジャケットやTシャツの軽いものだった。観客は拍手したりして劇を盛り上げる。俳優と観客との一体感がすごい。演劇は、1時間半ほどで終了。「パラシュートのおじさん」は、笑顔で私にウィンクを投げかけ「いい旅を」とか何とか言って、ゆっくりと席をたった。

劇場を出てエイヴォン川にたたずむ。シェイクスピアの銅像が高い台座の上で遠くを見ている。シェイクスピア像の足元には、作品に描かれている4人の人物が控えていた。ガイドブックによると、悲劇を象徴するマクベス、コメディーを象徴するフォールスタッフ、哲学を象徴するハル王子、歴史を象徴するハムレットだそうだ。

 

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水鳥が舞うエイヴォン川

 

シェイクスピア像のある広場には、夫婦のペアや家族連れ、恋人たちがお手製のサンドイッチなどをぱくつき、延々と喋っている。子どもたちも転げ回るように芝生を駆ける。広場にはのどかでファミリーな風景が漂っていて、イギリス人の休日の過ごし方の典型例だという。

民宿に戻ると、おばさんが私の顔を見るなり、「どうだった?」という。「双眼鏡でようやく見える程度で、演劇の内容はさっぱり分からない」と返すと、「もっとお金を出して舞台に近いところで観ないと…、明日もう一度行ってみたら」と、けしかけてくるので「劇場の空気を吸っただけで十分」と、負け惜しみ半分で返す。