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おじさんパッカー 中欧編(8)

16.06.21

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ベルリン大聖堂

 

こんな立派な塔は日本にないだろ

 

きょうもリンデン通りを東に向かう。緑のじゅうたんを敷き詰めた公園の向こうに、けんらん豪華な彫刻をほどこした建物がどっしりと構えていた。ベルリン大聖堂らしい。緑色したドームのような屋根が青空に浮かんでいる。その壮大さと重量感は他を圧していた。この大聖堂の前庭はベルリン市民の憩いの場でもあるのか、家族連れや若い男女のカップルが、ベンチを埋めている。双眼鏡を取り出し、細部にわたって建物を眺める。古代神話に出てくるような神々らしきものや、馬にまたがる騎士、僧などの聖職者の行列と、まるで絵巻物を見るようだ。長い間、風雪にさらされて外壁は黒ずんでいるが、レンズの向かうには近世の華やかな時が刻まれている。

旅の記念に大聖堂をバックにシャッターを押してもらうおうと、人のよさそうでそれでいてしっかりしていそうな人を物色する。いたいた。30代そこそこ、白のTシャツにジーパンの男性。「押しましょうか」とばかり、近づいてきた。もしやカメラを持ち逃げされてもと、一瞬尻込みしたが彼はニコニコと迫ってきた。「大聖堂をバックにお願い」と注文をつけ、カメラを渡す。続けざまに3回シャッターを切って、「これでどうかね」とばかりに私の眼前にカメラを差し出した。大聖堂を背後にすえ、思い描いた構図だった。すぐさま彼もカメラを取り出し、「シャッター押してよ」ときた。どうやら彼も一人旅のようで、2週間ばかりの夏季休暇を利用して、ベルギーからやって来たという。

 

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ベルリン大聖堂前広場

 

自動車の組み立て工場に勤めているという彼は、私が日本からだと知ると、「日本の車は欧州でもよく見かけるね。トヨタ、マツダ、ニッサンとか。故障が少なく、燃費も良く、もちろん性能も…、大変な人気さ」と話し始める。「だけどね、かつてベルギーは世界でトップクラスの自動車生産大国だったことを知っているかい」ときた。彼の話によると、自動車産業が盛んになりだした19世紀末にベルギーには250社ものメーカーがあって高級車を世界中に輸出していたそうだ。ところが、第一次世界大戦で多くの工場が破壊され、世界の自動車産業に立ち向かう力を失った。20世紀半になると欧米の主要な自動車メーカーが、ベルギーに組立工場を設立して自動車の生産自体は続いたが、工場移転などでそれも先細りらしい。日本に先を越されているという口惜しさが、彼の言葉の端々に感じ取れる。
聖堂の中に足を踏み入れた。周囲は宗教画で埋め尽くされている。ドーム屋根から取り込まれているのか、天空からホールに数条の光が注がれている。まるで神の誘いのように。1時間ばかり大聖堂の周りで時間を過ごす。つぎつぎと訪れる人々。それも東洋系、アフリカ系、中東系、もちろん米欧の人たち。それらの人たちをぼんやり眺めているだけで世界旅行の気分だ。

 

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ベルリン博物館

 

聖堂の向こうに、アテネのアクロポリス(パルテノン神殿) を模したような石柱が見える。ここでも人の流れに沿ってみる。ベルリン博物館だった。化石などが所狭しと展示されている。建物の大きさや展示規模は、これまで訪れたノルウェー、フィンラン ド、スウェーデンなどの博物館とさほど変わらない。通り一遍に展示室を巡る。もっと知識があれば興味が尽きないのだろうが。ドイツに限らず西洋の博物館や美術館で驚くことは、常駐する係員が多いことだ。どの展示室にも必ず学芸員といわれる職員がいて、見学者の疑問に即座に対応してくれるのには驚く。展示品の購入費、施設の維持管理費、人件費など多額の費用が必要とされるだろうに、誰からも入場料をとらない。文化、歴史を国づくりの中心に据えているからだろうか。
リンデン通りは車の洪水だ。バス、タクシー、乗用車、トラックと。それに混じるように自転車が車道中央を抜ける。スピードも車並だ。「オイオイ、危ないぞ。転んだら死ぬぞ!」と、歩道から自転車の若者に声を発する。どうせ日本語はわかりっこないから、辛らつな言葉も平気だ。

 

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テレビ塔(ネット)

 

しばらく行くと、目の前に京都タワーを思わせる円筒形をした真っ白な塔が空に伸びていた。周りのくすんだ建物の中でひときわ目を引く。鉄筋コンクリート製のテレビ塔らしい。入り口付近に長い行列ができている。10代から20代の若者が目立つ。名古屋のテレビ塔のように、ベルリン観光の目玉なのかもしれない。
204メートルの展望台からベルリンの街が一望できる。大きな川がベルリン市街の東西を流れ、先ほど訪れたベルリン大聖堂や博物館のある場所は、島のように川の中州にある。展望ガラスに顔をくっつけて歓声をあげている女学生がいた。「あれ私の家」「あれ私達の学校」と顔を見合わせながらはしゃいでいる。田舎から来たお上りさんもいるようで、記念写真を撮ったり、東西南北に設置されている双眼鏡に群がったりとにぎやかだ。あまりの高さにうずくまっている中年女性もいた。直径30メートルにも満たない展望台は訪れる人たちで大変な混雑ぶりだ。

 

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テレビ塔展望台から見るベルリンの街(ネット)

 

「あんた中国からかい?」と、初老の男性が近づいてきた。私を日本人だと知ると、「ドイツも日本も戦禍から立ち上がり、立派な国になったよ。でもこんな立派な塔は日本にはないだろう」と、私を覗き込むように話し続けた。「40年ほど前、東ベルリン時代に造られたものさ。あまりの大きさに西ベルリンの連中が驚いてたよ。今でもね」と。どうやらおじさんは旧東ベルリンの人らしい。ベルリンの壁が崩壊して20年近くなっても、東西に分かれていたベルリン市民の心の壁はいまだに存在しているようだ。

午後7時、アレキサンダープラッツ駅から宿舎のあるオスト駅に向かう。朝から歩きづめで、膝に痛みを感じるまでになった。空席を見つけ思わず腰を下ろす。10分ほどでホテルのあるオスト駅に到着した。まだ太陽は高い。陽射しも厳しい。でも湿度が低いので空気がさらさらしていて、心地よい。