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おじさんパッカー 中欧編(7)

16.06.21

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ドイツ戦没者追悼施設(ネットより)

 

ノイエ・ヴァッヘ

 

ウンター・デン・リンデン通りを、人ごみにまみれながら東へ進む。たてがみをなびかせ雄々しく吼えるライオン、矛と盾で身構える裸体の勇者、天空を翔る馬など美術館や博物館でもお目にかかれない美術品が惜しげもなく路上や橋の上を飾っている。ベルリン子には見慣れた風景らしく、なに食わぬ顔で通り過ぎてゆくが、私にはこのまま素通りするのは勿体なくて、脳裏に焼き付けようと立ち止まり、それらの彫刻群をじっと見つめていた。「橋の上で何をしているのか」とばかり、ただぼんやり佇むそんな私を道行く人が覗き込むように、怪訝な顔で通り抜けて行く。

 

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贅沢な橋

 

橋のたもとにさしかかった時、古びた建物に人々が吸い込まれてゆくのを見て、それらの人たちに誘導されるように私も後に続く。入り口に衛兵が緊張した面持ちで立っているじやない。銃こそ構えていないが、この建物のまわりだけは、ただならぬ空気が漂っている。人の列に従い館内に足を踏み入れた。小体育館ほどもある大きな広間にたった一つだけ、高さ1メートルばかりの像が置かれていた。天窓から射しこむ陽光がスポットライトのように像を浮き立たせている。像には息絶えた息子を抱きかかえた母親の姿が彫りこまれていた。ぐったりしたわが子に視線を落とし、悲しい目で息子を慈しむ母親。死んで十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻、ピエタと重なる。像の表題には、「ファシズムの犠牲になった息子を抱く女性」とある。

 

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息絶えた息子を抱く母親像(ネットより)

 

この像は、ドイツの彫刻家が1937年に第一次世界大戦で死んだ息子をイメージして作ったものらしい。日本ならさしずめ、戦場で傷つき亡くなった息子を嘆く母親を思い浮かべる。30人ほどが像の周りを取り囲んでいる。見学者はいちように真剣な眼差しを向けていて、物音一つしない室内は張りつめた空気で息苦しい。薄汚れた灰色の壁に囲まれたこの広いホールには、この像が一個だけポツンと据えられているだけ。物々しい警備といい、大勢の見学者といい、この建物はよほどいわれのあるものかもしれないが、通りすがりの旅行者の私には知るよしもない。帰り際に警備の兵士と目が合ったが、これまで見たこともない厳しい視線が跳ね返ってきて、思わず身をすくめた。

 

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息絶えた息子を抱く母親像(ネットより)

 

どうやらこの建物は、1818年に衛兵所として建てられたノイエ・ヴァッヘと呼ばれるものだ。やがて衛兵所は世界大戦戦没者慰霊館として改築され、戦後「ファシズムと軍国主義の犠牲者慰霊館」として使用され、現在では「ドイツ戦没者追悼施設」になっている。さしずめ日本政府が設置した戦没者慰霊施設の「千鳥ケ淵戦没者墓苑」のようなものだろうか。建物の入り口付近に「追悼慰霊碑」とかかれた碑文が掲げられていた。日本に戻って調べた日本語訳には次のようにある。

碑文:「戦争と暴力支配の犠牲者に」(全文)
ノイエ・ヴァッヘは、戦争と暴力支配の犠牲者を追悼し記念する場所である。
我々は追悼する、戦争によって苦しんだ諸国民を。 迫害され、命を失った その市民たちを。世界戦争の戦没兵士たちを。戦争と 戦争の結果によって、故郷において、また捕虜となって、そして追放の際に命を落とした罪なき人々を。▶我々は追悼する、幾百万の殺害されたユダヤ人たちを。殺害されたシンティとロマの人々を。血統や同性愛の故に、あるいは病気や身体の弱さの故に、殺されたすべての人々を。▶我々は追悼する、生きる権利を否定されて、殺害されたすべての人々を。▶我々は追悼する、宗教的或いは政治的な信念のために 、死ななければならなかった人間達を。暴力支配の犠牲となり、罪なく死を、迎えなければならなかった人々を。▶ 我々は追悼する、暴力支配に対して抵抗し、その命を犠牲にした女たちや男たちを。▶我々は称える、良心を曲げるよりはむしろ、死を受け入れたすべての人々を。▶我々は追悼する、1945年の後に 全体主義的独裁に反抗し、迫害され、そして殺害された、女たちや男たちを。

 

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碑 文(ネットより)

 

両肩にのしかかる重い空気。たった一つの像を取り巻く人々の表情は硬い。過去の過ちを悔い、平和を願う思いが像を見つめる人たちの目からも強く感じられる。それは、過去の過ちを二度と繰り返さないという、無言の決意なのかも。
重苦しい気持ちから解放され、気を取り直して再び歩き出す。5分も行くとガラス張りの洒落た建物が目に入った。「何でも見てやろう」とばかり、入り口ドアを押す。らせん階段にそって、2階へ。「歴史博物館」とある。2ユーロ(約300円)支払い館内に。照明を落とした展示室の正面にナチスのハーケンクロイツ(「卐」逆まんじ)の大きな旗がスポットライトに浮かんでいた。旗の周りを鉄兜(ヘルメット)、ナチの軍服、勲章がまるで模様のように飾り付けられている。まさに、映画やテレビで見るナチスドイツそのものだ。さきほど戦没者施設を見学してきた後だけに、ここでもまた気分が沈む。
子どもの甲高い声がする。小学生の一団が校外学習できていた。説明する学芸員が、「君達の生まれる前、ヒットラーという独裁者がいたんだ」といったようなことから話し始めた。ドイツ語の説明はところどころしか聞き取れない。子ども達の真剣な眼差しに引き込まれるように、子ども達のあとについて展示場を回る。ユダヤ人虐殺の映像、強制収容所の写真、日本の展示会でも見た女性の髪の毛の山、人の脂肪で作った石鹸など目を覆いたくなるようなものばかりだ。

 

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ナチスのポスター(ネットより)

 

目を背ける子どももいたが、なかには一心にメモを取る子もいる。30分ばかり子ども達と一緒に館内を回った。このむごたらしい、嫌悪感一杯の展示品をこの子たちはどう見たのか。「君達、けっして忘れてはいけないよ。いま見たこの事実を。私達ドイツ人が過去にこんなひどいことをしてきたということを!」と、学芸員は結んだ。過去に犯したドイツ人の戦争責任を子ども達に赤裸々に語り継ぐこと。これが二度と過ちを犯さない最良の方法であるとドイツの大人たちは強く感じているようだ。「過去に目をつぶる人は未来にも目をつぶる」。元ドイツ大統領ワイツゼッカーさんの言葉が浮かんできた。
偶然とはいえ2つも戦争施設を見て、沈んだ気持ちで通りに出た。目があった中年女性が何を思ってか「元気を出しなさいよ!」と言わんばかりに、私に優しく微笑みかけながら通り過ぎた。戦争の悲惨さを見せつけられて、私がよほど深刻な顔をしていたのだろうか。(施設内は撮影禁止のためネットを転用した)