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おじさんパッカー 中欧編(6)

16.06.21

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ウンター・デン・リンデン通り(ネット)

 

ウンター・デン・リンデン通り

 

午前7時40分、一階の食堂に向かう。朝食の準備をしている金髪を肩まで垂らした20歳前後の女性が、「モルゲン(おはよう)」と満面の笑顔で迎えてくれた。今朝も一番乗りだ。色とりどりのパン、ハム、ソーセージ、ミルク、ジュース、オレンジ、サラダなどで中央のテーブルがまるで花壇のように華やいでいた。
午前9時過ぎ、ブランデンブルグ門の前に立つ。きのうまでは旧西ベルリンを中心にあちこち歩いたので、きょうは旧東ベルリン側に足を向けるつもりだ。この門は東西ベルリンの接点にあり、街歩きのスタート地点にしている。まだ時間が早いのか、門前に集まる人影もまばらだ。あの手回しオルガンのおじさんの姿もない。

日本人らしき男性が「どちらから?」と、声をかけてきた。懐かしい日本語に思わず顔がほころぶ。Tシャツに膝頭が白くなったはき古されたジーパン姿の男性。髪を短く刈っている。「横須賀から来た。会社も辞め、離婚もしたので全くフリーだ」と、初対面の私に一気に話しだす。外国の地で出会う日本人には、家族のような親しみを覚えるのだろうか。ぎこちない外国語を操ってここまでやってきたので、多弁になる彼の気持ちは私にはよく分かる。「退職金1000万もらった。親に500万渡してある。日本に戻ってからの生活費にね。残り500万円はこれから先の旅の費用さ。1,2年かけて100ヵ国ほどぶらぶらしてくるつもりだ」と、笑う。「これからどちらへ?」というと、「まだ決めてない。だけどきょう午後、ベルリンを離れるつもり。でもしばらくドイツにいるかもね。……わからないけど」と、屈託なく話し続ける。「42歳になった。長いことサラリーマン生活をしていたが『自分って何?』って、急にそんなことを思い始めたんだ。そしたら、居ても立ってもいられなくなってさあ!」と、彼はブランデンブルグ門を見据え、これまで心の奥底にうごめいていたわだかまりを、ベルリンの空に向け話し続ける。ブランデンブルグ門からほんの10メートルばかりの石畳に、私たちはまるで浮浪者のように、腰を下ろし足を無造作に投げ出していた。堰を切ったように溢れ出す彼の思いはなおも続く。「仕事でも行き詰っていたし、妻ともうまくいっていなかった。中間管理職という立場で上下から責められ、精神的に追いつめられていた。このままでは自分は潰される。自殺に追いやられるもしれないという恐怖感。なんとかここから逃げなきゃ。幸い子どもがいなかったので妻も離婚を承諾してくれた。会社には辞表を叩きつけてきたよ。内心、引き止めてくれるかもと思ったが、『ご苦労さん』の一言でおしまいさ」。♪サラリーマンは寂しい稼業ときたもんだ♪と、植木等を真似て大きな声で歌っていた。

 

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人影もまばらなブランデンブルグ門

 

バスから観光客が列をなして出てきた。お目当てはもちろん、「ブランデンブルグ門」。地面に座り込んだまま話しこむわれわれを避けるように、人の列が蛇行する。「人生の折り返し点を過ぎ、この旅で自分探しをするんだ。人生を2度生きる。格好いいでしょう」と言った後、彼は立ち上がり大きく背伸びした。左手に「欧州鉄道時刻表」を握りしめ、ブランデンブルグ門を背に私のカメラにおさまった。「日本を出て3週間。緊張の連続で疲れた。いちど日本に戻りたいね。それからまた、出かけるかもしれない」と話し、彼はブランデンブルグ門をくぐり抜け、西側に向かった。精一杯両手を広げ、「さようなら」と何回も叫んでいる。門柱の間から眺める彼の姿がだんだん小さくなる。何だか苦楽を共にした戦友との別れのような気持ちになった。彼の姿が消えた後、名前や住所はもちろん、電話番号も聞かされていないことに気づいた。門前での彼の写真は帰国した今も私の手元にあるが…、その後、どうしているかなあ。なぜかアフリカの砂漠をとぼとぼ歩く彼の姿がイメージされるんだけど。

 

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ウンター・デン・リンデン通り

 

ブランデンブルグ門から東西に伸びる大通りを東に向かう。ウンター・デン・リンデン通りといい、「菩提樹の下通り」という意味らしい。その名の通り両脇に菩提樹の並木が続いていて、森鴎外の「舞姫」にも登場してくる。
道の両側には、石造りの古めかしい建物が列をなしている。一階はレストラン、宝飾店、洋装店などと、洒落た店舗が軒を連ねる繁華街だ。何百年も経っていると思われる黒ずんだ外壁の建物でも、天井や壁、床は花模様の壁紙や色とりどりのタイルが敷き詰められていて室内はいたってモダン。古いものと新しいものが互いに共鳴しているようだ。ショーウィンドーから店の中を覗きこむ。ファッションモデルが店に出ているのかと、錯覚を起こすほどに流行の衣装をまとい、程よく押さえ込まれた化粧をした店員のにこやかな笑顔が迎えてくれる。買わなくともそこにいるだけで気分がいい。

 

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古本市(フンボルト大学)

 

しばらく行くと、古本市がたっていた。折りたたみのテーブルが何列も並べられ、本が山積みされている。学生らしき若者達が、お目当ての本を真剣に探している。降り注ぐ陽射しを浴びながら本選びとは贅沢だ。私も日本語の本を探すが、当然のことながら見当たらない。哲学、経済、医学など専門的な本ばかりだ。どうやらここはフンボルト大学の構内らしい。多数のノーベル賞受賞者を輩出した名門大学で、コレラ菌を発見したコッホもここで学び長く教鞭をとっていた。「日本の細菌学の父」といわれる北里柴三郎は、コッホに師事しこの大学で勉学に励んだ。そのほか森鴎外・高橋順太郎・寺田寅彦・肥沼信次・宮沢俊義といった日本の学術界を担った人たちもこの大学に籍を置いていたようだ。

 

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蔦のからまる校舎(フンボルト大学)

 

街を歩いていて思うことは、まずくわえタバコで歩いている人が目立つ。男女を問わない。ガンの発症率が高いと日本では周りの人に配慮して店内はもちろん、電車内や劇場など公共施設、さらには駅周辺や繁華街の道路上でも禁煙が強制されているのに。日本に比べタバコも高い。4ユーロくらいだから一箱600円ほどするのにね。さらには、道ゆく若い女性の服装だ。Tシャツ、ジーパンが一般的だが、シャツが異常に短い。へそ丸出し。靴ひもでも直しているのか、しゃがむと下着のパンツが半分ほど見える。お尻の割れ目まで。それが当たり前なのか、ご本人は恥ずかしいともなんとも思っていないようだし、道行く人も無関心だ。
困りごとはトイレがないこと。公衆トイレは皆無に近い。だから、店に入るか美術館など公共施設で用を足すようにする。駅構内でもトイレは有料だ。というよりトイレを清掃しいるおばさんが入り口で金を請求する。額は決まっていないが、2セント(30円ほど)わたす。トイレでお金を支払う習慣のない日本人には、とっても苦痛だ。トイレの回数を減らすと体に良くないが、どうしても我慢してしまう。一人旅もようやく慣れてきたのか、街を歩いていても余裕が出てきた。このところすっかりベルリンっ子にでもなったつもりで闊歩している自分に気づく。