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おじさんパッカー 中欧編(5)

16.06.21

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石畳を補修するおじさん(ベルリン)

道路補修のおじさん

 

「戦勝記念塔シーゲスゾイレ」がそびえ建つロータリーから少し脇にそれた木立の中に、立像が見え隠れするので近づいてみた。見上げる銅像の主はドイツ帝国統一の立役者ビスマルクらしい。鉄血宰相として知られるドイツ初代帝相ビスマルクといえば、近代日本とも密接な関わりのある人物だ。明治維新の頃、近代国家建設に苦悩する伊藤博文や大久保利通たちがビスマルクに教えを乞い、新生日本の礎に大きな影響を与えたといわれている。自転車で来ていた青年に声をかけ、ビスマルク像を背景にシャッターを押してもらった。私を画面の真ん中にすえたためか、肝心のビスマルクの頭が切れている。銅像より私を中心に据えたかったのだろうが、もう二度と来られないだろうから、ベルリンの地に立つビスマルクの顔を入れてほしかったのに。

 

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頭の切れたビスマルク像

 

行き交う車の喧騒を避け、森に入り込む。30前後の男性が真っ黒な大型犬を3匹も連れてやって来た。いずれもノーリードの放し飼い状態で、こちらに向かってくるじゃない。思わず後ずさりする私の顔を見た男性は、「大丈夫、なにもしませんよ」と軽く会釈を返してきた。そういわれてもまるで黒ヒョウが迫ってくるようで、身を固くして道の脇に身を沈めていた。彼が口笛を吹くとまるで訓練を受けた盲導犬のように、3匹は彼の足もと近くに体を寄せ、うずくまった。この後も彼は、口笛の長短、高低で3匹の動きをものの見事にコントロールしている。「犬と子どものしつけはドイツ人にまかせろ」、という諺があるという。地元の人の話だと、ドイツには犬のしつけをする学校が数多くあるらしい。犬を預けて訓練してもらうタイプ、飼い主と一緒にトレーニングスクールへ定期的に通うタイプ、トレーナーさんが自宅や近所の公園まで来てくれて、個人もしくは少数で訓練を行うタイプ など。これらのしつけは法律で義務づけされているわけではないらしいが、ドイツでは「犬を飼うにはきちんとしつけをする」というのが飼い主の義務らしい。だからということで電車、バス、タクシーなどの公共交通機関への犬の乗車が認められているという。そんなことを知らない私のような観光客には、大型犬の放し飼いは恐怖だ。

 

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ノーリードの犬

 

森を抜けしばらく歩くと、はるか前方に「赤シャツ」がいる。それも、ハンマーを路上に叩きつけているではないか。「何ごとか?」と近づくと40前後の男性が、歩道を修復している。めくり取られた10センチ角の小石が、何百と小山のように積み上げられていた。そこから一個一個選び出し、路面にはめ込んでいるのだ。「写真いいですか?」と近づくと、「ヤア(いいよ)」と中腰のまま、彼は休むことなくハンマーを振り続ける。「新しくしないのですか?」。「これまで使っていたものを敷きなおすのよ」。「だいぶ磨り減ってますね。形もまちまちだし…」。「そう、私の爺さんの頃からの石さ。いやもっともっと昔からあったかもね。よく分からない。それを元の場所に、きちんと置くのさ」と、彼は作業の手を緩めることなく、律儀に話してくれた。「石畳の車道だってそうだよ。何十年も前のものを繰り返し使っているよ。建物だって、何百年と変わっていないさあ。だからいつまでも落ち着いて住めるのさ。街並みも変わらないし。いいだろう!」。額に汗をにじませ、黙々と一人でハンマーを打ちつける彼の背中から、自分達の街への愛着と誇りのようなものが広がっている。

 

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これまで通りが一番さ

 

森が切れたところにあるティエルガルテン駅から、ホテルに向かう。通勤帰りのサラリーマンでホームは混雑していた。夏のこの時期、日本だったら白のワイシャツ、紳士ズボンが定番だが、こちらではTシャツあり、セーターあり、綿パンあり、ジーパンありと、まるで遊びから帰ってきたときのような服装だ。「格好より仕事の中身だぜ」といったところか。仕事帰りにちょつと一杯ということもなく、家族の待つ我が家に向かうそうだ。
オスト駅に下り立つ。駅の売店で日本経済新聞が目に留まった。日本から空輸しているらしい。時差もあって2日遅れの日付、4.5ユーロ(約500円)で購入。日本だったらせいぜい100円そこそこだ。新聞を握りしめ、駅構内の寿司屋で夕食。ビールと盛り合わせを注文した。10ユーロ(約1500円)。30歳そこそこのマスターがテーブルまで運んできた。思わず「日本人ですか?」と正すと、ベトナムからだとドイツ語と英語を交えて答えた。日本には行ったことはなく、寿司の握り方はここドイツで学んだという。寿司はいまや世界の共通語で、看板も「Sushi」とある。「ドイツでも人気だよ」とマスターが右手親指を突き出していた。

 

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ベルリンの寿司屋

 

ジョッキを片手に箸でにぎりを摘みながら、新聞をむさぼるように読む。これほど日本語に焦がれたことはこれまでなかった。寿司も日本での味と大差ない。シャリも酢が効いていて口に合う。ただ、わさびの味がしない。もしかしたら抜いてあるのかもしれない。この国の人たちは、舌がしびれ、鼻にツーンとくるのが苦手なのかも。日本人にとっては、たまらないものなんだけどなあ。わさびの利いてない寿司なんてなあ。この味がわからないドイツの人はかわいそうだ。
「改革なくして成長なし!」と、小泉さんが郵政民営化を叫んでいる。まるで思考停止したように同じフレーズが一面から始まり、何面にも渡って載っている。国民に催眠術でもかけているようだ。日本ハムが頑張っている。そろそろ名古屋場所が始まるようだ。客のいないのを幸いに、4人がけのテーブルを一人占めして新聞を広げる。脇を通る中年夫婦が、「変わった新聞を読んでいるなあ」とばかり、横目で私の顔を覗き込んでゆく。すきっ腹に食べ物を詰め込むように、日本語が体の奥深くまで満たされてゆくのを感じる。
午後9時前、ホテルに戻る。玄関前の広場で、若者たちが古びたベンチに腰をかけ談笑している。東洋系、インド系、もちろん欧米人も。若い頃から多くの民族と交流することはいいことだ。定年後の旅も悪くないが、人生に活かすならもっと若い頃にこのような旅をしてみたかったなあ。20代前後の若者たちがはしゃいでいる光景を見ながら、はるか彼方に過ぎ去りし我が時間を想う。