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おじさんパッカー 中欧編(3)

16.06.21

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ベルリンの壁崩壊 歓喜するべルリン市民(絵葉書より)

 

ブランデンブルグ門

 

午前7時10分目が覚め、こっそりと身を起こす。昨夜玄関前の中庭で騒いでいた若者達も、毛布を頭からかぶりピクリともしない。大きなガラス窓から朝日が容赦なく照りつけ、眠気まなこで洗面所に向かう。20代前後の若者が5,6人、聞きなれない言葉で話している。蛇口に体を寄せ、歯ブラシをせわしく動かしていると背後から「どちらから?」と、親しげに20代半ばの女性が声をかけてきた。日本からだと知ると、「訪れてみいたわ!」とタオルを頭に巻きつけながらおどけた。「この人、アルゼンチン、そしてオーストリア。ゆうべ友達になったの」と、初対面の私に紹介するなど屈託がない。彼女たちは安宿を梯子して、リュックひとつで世界を回っているという。見知らぬ人と接しても身構えることなく、親しげに話しかけてくる彼女たちの姿は、羨ましくもあり、危なかしくもあり、見ていて複雑だ。でも、若いときにこんな過ごし方があったら、自分の人生も少しは変わっていたかもしれないと、立ち去る若者達の背をしばらく見つめていた。
朝食でお腹にエネルギーを詰め込んで、8時過ぎベルリンの街に出陣だ。青空が広がり、黒ずんだビルの壁に陽射しが照りつける。ひなびたレストランの前を通りかかると、黒い前掛けの若い店員が店から歩道に看板や椅子を出していた。ほどなくオープンカフエの開店だろうか。駅まで一直線で結ばれたあちこち舗装の剥がれたでこぼこ道を、軋んだ音を響かせながら走る古い車。壊れたかけたコンクリート塀やひび割れたビルの壁が目につく。それにしてもオスト駅は、このような周囲の風景とは場違いと思えるほど全面ガラスでモダンだ。駅構内にも洒落た店が並んでいる。

 

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カイザー・ヴィルヘルム記念教会

 

8駅先のツオー駅で下車。こちらは旧西ベルリン。高層ビルも林立し東側との違いは歴然だ。爆撃で破壊された教会らしき建物が目に飛び込んできた。組み上げられた石が崩れ落ち、建物は真ん中から無惨にも抉り取られ、黒焦げのレンガが痛々しい姿をさらけ出している。ガイド書には、カイザー・ヴィルヘルム記念教会とある。ヴィルヘルム皇帝のために19世紀末に建てられたネオロマネスク様式の教会で1943年の空襲で破壊された。戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして、修復せずに崩れた姿のままで今日まできているようだ。まさにわが国の原爆ドームと同じだ。隣に八角形の新しい教会が建立されていた。目を移すと反り上がった瓦屋根が見える。瓦は濃い緑で紅柄を塗った柱が屋根を支える。どこか中国の神社のようだ。その社殿風の二つの社の真ん中に、唐風の構えをした鳥居がある。どうやらこれはベルリン動物園の正門玄関のようだ。それにしてもなぜ中国風?開園前で人影はなくひっそりと佇んでいた。パンダはいるのだろうか…。

 

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ベルリン動物園

 

ブランデンブルグ門を目指して東の方に歩き始める。地図に磁石を載せ、方向定めて足早に進む。小さな公園や食料品店が目につく。どうやら住宅地に迷い込んだようだ。スピッツのような小犬をリュックに背負った60過ぎのおばさんが、前方を歩いていた。追いつくなり「写真を撮らせてもらっていいですか」と、背後から声をかける。おばさんは、「ヤア(いいですよ)」と甲高い声。カメラを向けると、今にもリュックから飛び出さんばかりに、私をめがけて犬が吼え始めた。それでもおばさんは、何食わぬ顔で歩みを止めない。
電車を降りて2時間。いつの間にか深い森のなかに迷い込んでいた。短パンでジョギングする人、犬を連れている人、ぼんやりベンチに腰を下ろしひとり物思いにふけっている人などに出会う。どんどん森を分け入ると、ビキニ姿の女性が草の上で寝そべっている。日光浴らしい。大木で光が遮られて昼でも暗い。目を凝らすとポツンポツンと半裸で寝そべっている人がいるじゃない。なかには上半身を脱ぎ捨てた女性まで。いやはや目のやり場に困っちゃった。ここはやたら人が足を踏み入れる場所ではないんじゃないかと、逃げるように走り出す。と急に視界が開けた。車がかなりのスピードで走るのが見える。100メートルはあろう広い道路に出た。この道路は深い森をつき貫くように走っている。道端のベンチに腰を下ろし、地図を広げ、磁石をあてる。この道の先にブランデンブルグ門があるはずだ。東の方向に、それも300メートルそこそこだ。

 

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リュックから吠えたてる犬

 

道路わきにパトカーが3台止まっている。警察官が三脚にカメラを据えつけていた。物珍しそうに近づくと、若い警官が鋭い視線を向けたので思わずひるむ。どうやらスピード違反取締りの準備のようだ。三脚の上はスピードガンらしい。これからネズミ捕りが始まるとも知らず、目の前を猛スピードで走り抜ける車が後を絶たない。片側30メートルはある広い道路。はるか彼方まで信号はない。高速道路なみで、減速しろというほうがおかしい。捕まるところを見てみたい気持ちがつのり、遠巻きに警察官の動きをしばらく眺める。開始の指示が出ないのか、準備を終えた警察官が手持ちぶたさに立ったままでいる。20分ほどそこにいたがいっこうに始まりそうもない。ネズミ捕りにかかるネズミを見ることなく、その場を離れた。
歩き出すと、前方200メートル先に新聞やテレビで目にした城門が見える。15年ほど前、ベルリンの壁が崩壊し、ブランデンブルグ門を背景にして、街を分断していた壁にツルハシを振るベルリン市民の映像が、今も目に焼きついている。東西ドイツ統一の瞬間、人々がこの門の周りに群がり歓喜していた。その映像をながめ、遠く離れた日本から思わず拍手し、万歳したものだ。その歴史の象徴が目の前にある。ひと抱えをゆうに超える柱に抱きつく。サンドペーパーのような、ざらざらした感触が激動の歴史を思わせる。6本の柱すべてに両手を巻きつけ、頬をくっつけ、耳を押しあてる。ザワザワとなにやら聞こえてくる。日本からの遠来の客に、「よく来たな」とでも話してくれているのだろうか。

 

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ブランデンブルグ門

 

ブランデンブルグ門は旧東ベルリン側になる。東西が分裂していた頃だったら、とてもここに立っていることはできなかっただろう。それこそ、拉致、拘束され再び日本の土を踏めたかどうか。門前に広がる広場には、観光客や地元の人たち100人以上もが集まってきている。門を背景に思い思いに写真を撮り、肩を組みあい、手をつなぎ笑っている。数人の地元の子ども達が、鬼ごっこでもしているのか、甲高い声を上げ走り回っている。ベンチに腰を下ろし黙って遠くを見つめる老夫婦の姿も何組かいた。
15年ほど前、屈強な東ドイツ兵に取り囲まれていた険しい表情のブランデンブルグ門が、いまや穏やかな表情で集う人たちを包み込んでいる。平和の象徴と、世界に発信されたのもうなずけるようだ。ブランデンブルグ門を真正面に見据えて、十分ほど立ち尽くす。脳裏に浮かぶことは、壁を乗り越えて西ベルリンに逃れようとして射殺された多くの若者の顔。彼らの血が、東西の壁を解かした。いまいるここはそんな緊迫した所だったのだと、当時のニュース映像を想い浮かべながら、感慨を込めて真正面から門を凝視する。
今日は7月7日。日本風にいうと七夕だ。いまごろ日本では笹の枝に願い事を吊るす浴衣姿の子ども達の真剣な眼差しが、各地で紹介されているだろう。駅からホテルに向かいながら夜空を見上げる。あいにくベルリンの星空は、厚い雲に覆い隠されていた。