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おじさんパッカー 中欧編(1)

16.06.21

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見渡すかぎりのチューリップ (ネットより)

 

デンマークからドイツへ

 

午前5半起床。夏真っ盛りとはいえ陽射しは鈍い。洗顔をすませ食堂へ。すでに20人ほどがテーブルを囲んでいる。大皿を手にハム、ソーセージなどをトッピングしていると、「どこの大学ですか」と40前後の男性がいきなり声をかけてきた。久しぶりに聞く流ちょうな日本語に思わず振り返る。「あなたの発表会場はどこですか?」、さらに「いまコペンハーゲンで国際数学学会が開かれているんで…」と。学者とは思えない人懐っこい笑顔で私に近づいてきた。どうやら私を日本の数学者と思ってのことらしい。怪訝な顔をしていると、「わたし筑波大学のものでして…」、と言いながら物腰低く仲間のテーブルに向かった。見渡すと何組かの日本人グループが和やかに話し込んでいる。これだけ日本語が飛び交う光景はこの旅で初めてだ。食堂に広がる日本語のやわらかい調べが音楽のようだった。

 

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朝の通勤風景

 

7時半、チェックアウトをすませホテルを出る。「もう二度とこの地に足を踏み入れることはないだろう」と、そんな思いで周りの景色に別れを告げながら、コペンハーゲン中央駅へ向かって歩き始める。この街の通勤風景に驚く。日本の車のランシュはここでは自転車だ。車道と歩道の間に自転車専用レーンがあり、競輪選手がつけるようなヘッドギアを頭にのせ、猛スピードで駆け抜ける。信号待ちでは、開店前の百貨店の行列のように自転車が長い列をなす。それも3、4列にもなって。うら若い女性も髪をなびかせて疾走して行く。真っ白い太ももを大きく持ち上げ、頬を赤く染め懸命にペダルを踏む。恥じらいはどこにもなくハツラツとしている。職場でもこんな調子で仕事しているのかもね。
7時52分。ドイツへ向けハンブルグ行きの電車が中央駅を離れた。きれいに磨きこまれた窓越しから、コペンハーゲンの街並みが流れてゆく。でもやたら落書きが目立つ。防音壁、駅舎の壁、信号機の柱と。よくぞこんなところに書いたものだというものもある。幅200メートルほどの河を渡っていた時だった。鉄橋上部の鉄板にも落書きがある。10メートルもの高さによじ登ったのに違いない。ここなら絶対消されまい、「どうだ!」と言わんばかりの所だ。ここまでくると、命がけで挑む落書き野郎の心意気に感服する。いやはや恐れ入りました。

 

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大型フェリー 列車収納(ネット)

 

郊外に出ると見渡す限りなだらかな大地が広がる。空と陸の境界を仕切るように地平線が横一線に伸びてゆく。ある時、その大地がまるでパッチワークのように色鮮やかな模様を浮き上がらせる。小麦色の絨毯がしばらく続くと、チューリップ畑だろうか一面が真っ赤に変わる。しばらくして真っ黄、真っ白になる。菜の花畑もまたいい。日本でも見かけるがここではスケールが違う。電車がどのくらいの速さで走っているか知らないが、10分ばかりたってもまだ菜の花畑の黄色の海が広がっている。デンマークは欧州一の農業国だ。それだけにスケールが大きく雄大だ。お花畑がきれる頃、一面がグリーンに変身。放牧された牛や馬がのんびり草を食んでいる。人間の腰ほどに積み上げられた柵代わりの石積みが、丘の頂まで一直線だ。馬ならひと跳びで乗り越えられる高さなのに、よくしつけられているのかそんな素振りはない。まるで演劇の舞台背景を見るように、つぎつぎと車窓の風景が変わり、飽きることはなかった。
突然、一面に海が広がった。一体全体どこを走っているのか…。コペンハーゲンを出て2時間余り、パッチワークの風景にもそろそろ見飽きていたとき、そこに白波が現れ気分を変えてくれた。ほどなく、電車が停車し、乗客がぞろぞろとホームに降り立つ。どうやらハンブルグへの乗換駅のようだ。海からの冷たい風が頬に触れ、やんわりと潮の香が鼻孔をくすぐる。電車が発車してすぐさまの午前9時50分、薄暗い穴倉にもぐりこんだ。周りは鉄の壁。どうやらフェリーに車両ごと呑み込まれたようだ。地図を広げる。デンマーク南端のローラン島から約400メートルの海峡をつなぐ海上路線だ。40分ほどして対岸のドイツ領に接岸した。甲板から乗客が戻り車内は騒々しくなる。「おじさんどこから来たの?」と、6歳くらいの男の子がいきなり声をかけてきた。人懐こい青い目、カールした栗毛、真っ赤なジャージ。初対面でも物おじする様子はない。「ヤーパン(日本)」とひとこと返すと私の目をじっと見つめ、「ヤーパン?ここから遠いの?」と首を傾けながら、「○○君とサッカーした」とか、「○○ちゃんと公園で遊んだ」とか、「○○君と○○した」とか真剣な顔で話し続ける。きっと学校や近所の遊び友達のことだろうが、私にはほとんど理解できないので、「ヤー(はい)…」とかなんとか口に出し、顔を大きく前後に動かし相槌を打つ。男の子は時折、後方の母親に視線を送りながら、甲高い声でしきりに話し続ける。私の戸惑う様子を見かねたのか、「坊やどこまで行くの?」と、隣席の中年男性が子どもの相手をしてくれている。どうやら、ハンブルグのおばあちゃんのとこへでも行くようだ。

 

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風力発電

 

子どもが立ち去った後、車窓に目をやると丘陵地の頂に風力発電のプロペラがまるで立木のように連なっている。ドイツは「エコの国」だと実感させられる光景が続く。12時半、ハンブルク中央駅に滑り込んだ。ベルリンへはチェコのプラハ行きの電車で行くことになる。チェコはソ連が崩壊するまで、共産圏の国で自由に出入りできなかった。それが直通電車で行けるのだから、時代が変わったことを改めて知ることになる。発車までしばらくあるので駅の外に出る。石造りのドーム型の駅舎は、長い風雪で黒ずみ時代を感じさせるものだ。
20年ほど前、ここハンブルグに3日ほど滞在したことがある。12月間近の寒い日だった。クレーン車を横づけて、もみの大木にクリスマスの飾りつけが行われていたのを覚えている。黒ずんだ石造りの駅舎は当時と変わらないが、周りにビルが林立し、高速道路が横切るなど、街の様子はすっかり様変わりしていた。街行く人たちも心なしかせわしい。北欧の国々では、押しなべてゆっくりとした時間が流れていたが欧州の中心都市ともなると、そうもゆかないようだ。

 

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ハンブルグ中央駅

 

ハンブルグは人口は約176万でベルリンにつぐドイツ第二の都市だ。北海に注ぐエルベ川の河口から100キロほどさかのぼった所にある港湾都市で、アルスター湖を取り巻くように東西に街が広がっている。メンデルスゾーンやブラームスの生誕地でもあ る。ビートルズも下積み時代この町で音楽活動をしていたという。港町だけに欧州各地からの流れ者も数多いらしい。駅前でぼんやり佇む私にちらっと目をやり、急ぎ足で通り過ぎてゆくサラリーマンやオフイスガール、時には子連れの若いお母さん。興味本位で子どもが私に近づこうとすると思い切り手を引き、「知らない人に近づくんじゃない」とでも言っているのか、子どもを叱っていた。街の人たちから見ると私もまた、この町ではれっきとした流れ者に違いないのだ。