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おじさんパッカー 北欧編(18)

16.06.21

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3人の鍛冶屋(ヘルシンキ)

 

雨に煙るヘルシンキ

 

7時過ぎに目を覚ましガラス窓に目をやると、楓の樹だろうか、太い枝の先についた手のひらほどの大きな葉から雨水が滴り落ちていた。今日は生憎の雨のようだ。明日から7月だというのにとても寒い。
朝食を終えて部屋に戻り、ガイド書、筆記用具、録音機、カメラ、双眼鏡などをショルダーバックに詰める。パスポート、キャッシュカードなどの貴重品は腹巻にしまう。なんといっても一人旅は細心の注意を払わないと。海外旅行はある意味、神経戦だ。すべてがアウェーなんだから。

昨夜の午後8時過ぎ、ようやくヘルシンキ中央駅に到着した。欧州の最北端ノールカップからバスと列車を乗り継いで南へ   約1500キロ、この2日で青森から鹿児島までの距離を移動したことになる。
ヘルシンキはいうまでもなくフィンランドの首都。人口は約56万人で国土の南端に位置している。フィンランドの人口が    519万人くらいだから10人に1人強がこの町で生活していることになる。
ヘルシンキで思い出すのは1952年7月のオリンピックだろうか。物心ついたばかりのことではっきりした記憶はないが、レスリングで石井庄八選手が金メダルに輝き、戦争で打ちひしがれた大人たちが歓喜の雄叫びをあげていたのを微かに覚えている。

9時半、出発準備完了。勇んでヘルシンキの街に踏み出す。小雨があたりをおおい、街は薄暗い。それにしても寒い。真夏だというのにこれでは日本の晩秋だ。昨夜、ホテル探しに右往左往したことを忘れて、雨模様の湿っぽい空気を胸いっぱい吸い込み、 ヘルシンキの住人になった気分で胸を張る。
まずはヘンシンキ中央駅へ。明日、バルト海を渡ってスウェーデンのストックホルムに向かう。ユーロパス(欧州鉄道旅券)が、船にも利用できるとガイド書で知る。ただしヘルシンキ港ではなく、ヘルシンキから西、150キロの港町トウルクからの乗船になるらしい。駅の案内所で「トウルクに午前中に着きフェリーでストックホルムへ行きたい」と告げると、ヘルシンキ、トウルク間の午前中のダイヤを打ち出してくれた。途中の乗換駅も記されていて、大変ありがたい。窓口の中年女性が笑顔で手渡してくれた時刻表をながめ、ヘルシンキ発午前5時46分、トウルク着8時10分の電車で行くことを決め、もらったダイヤを丁寧にカバンにしまう。

 

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ヘルシンキ中央駅

 

ヘルシンキ中央駅は赤茶けた石造りのドーム型をしている。正面玄関の両脇に高さ10メートルはある長髪の若者が、サッカーボール(?)を両手で抱きかかえるようにして立っている石像が、左右それぞれ2体あった。
中央駅を背に観光スポットの多いヘルシンキ港に向かおうと足を踏み出したら、「早くしろ…」、と懐かしい日本語が聞こえ た。ふり返ったら60過ぎの日本人夫婦だった。旦那が奥さんを急かせている。思わず「どちらから?」と声をかける。驚いたお二人は一瞬キョトンとした顔をし、すぐに笑顔に変わった。「大阪から来てますねん。フィンランドの食べ物は日本でもあるが、建物はここまで来ないと見られない」と旦那さん。なかなかうまいことを言う。旅慣れているようだ。私もそうだがこの中年夫婦 も、異国の地で心置きなく日本語で会話できて満足そうだった。日本ではこうはゆかないが、外国では日本人同士がすぐに心を通わせることができる。お二人は明日に日本に戻るという。「私はまだまだ日本に戻れません」というと、奥さんが「そうなの?」と、気の毒そうに私の顔を覗き込んだ。彼女は、ようやく日本に帰れると喜んでいるふうでもあった。
「はるばる日本から来ているというのに、喧嘩ばかりしとりますわ。こいつがモタモタして予定の半分も見とらん」とオヤジさ ん。私の顔を見て、「あんたは一人でよろしおま」。「いやあ、一人も大変ですよ。話し相手もないし、頼る人もなし。いつも周りに気を配り神経が休まりませんわ」と応ずると、「そりゃそうだ。足手まといでも家内がおるだけでいいとせなあきま    せんな」。
別れ際、オヤジさんは上機嫌で奥さんの肩に手をかけた。明日は日本に戻れるという安堵感がお二人に漂っていてほほえまし い。サッカーボールの石像を背に、人のよさそうなお二人に別れを告げると、「体に気をつけて」と、まるで出征兵士を見送るような眼差しで、駅を後にする私の背に声をかけてくれた。

 

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ヘルシンキ市内

 

駅前は路面電車と車が間断なく行き交っている。今日一日、ヘルシンキの町をくまなく歩いてみようと意気込んではいるが、生憎の雨で多少気分も湿っぽい。
雨で黒く光っている路面電車のレールに沿って、東の方向に歩く。両脇に迫る石造りのビルの谷間を縫うように線路が続く。5階程度の高さに統一されていて日本で見る、何十階という高層ビルが林立するという威圧感はない。どこを見回しても、百年以上前のものと思われる暗い灰色のビル壁が延々と続いている。

緑地帯に出た。両側を幅30メートルほどの道が走っている。一見、名古屋の100メートル道路を思い出させる。この道をまっすぐ東に600メーターほど行くとヘルシンキ港にぶつかる。
ほどなく、少女の立像が雨にかすんでぼんやり浮かんでいるのが目に入った。台座のオットセイに見守られるように噴水池の中央にその像はあった。「バルト海の乙女」と名づけられている。かつてバルト海を挟んでロシア、エストニア、スウェーデンなどが覇権争いで戦いに明け暮れていた頃からの、フィンランドの守り神だったとの言い伝えがあるという。乙女の頭上にカモメがじっとうずくまっていた。近づくまでてっきり像の一部だと思ったほど、カモメは微動だにしない。このあたりは天気がよければ多くの若者が集うデートスポットらしい。冷たい雨が降りしきる中、噴水を足元に受ける乙女像の前に20分ほど佇む。その間、  「こんな雨の中でどうしたの?」と言わんばかりの顔で、何人かの地元の人が私を覗き込みながら足早に去っていった。

 

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バルトの乙女像

 

ヘルシンキ港に出た。埠頭に赤や黄色のテントが軒を接して並んでいる。まるでお祭りの出店で見るように売り子の掛け声が賑やかだ。花屋、衣服、鍋などの生活用品から野菜やハムやチーズなどといった食料品も売られており、スーパーマーケットのテント会場さながらだ。雨のせいか買い物客は少ないが、掛け声だけは威勢がいい。
岸壁に小船を浮かべた店があった。船尾にトロ箱が3つ並べられ、日本では見たこともない小魚が無造作におかれている。雨避けのパラソルは風で折れ曲がっていた。還暦を過ぎたと思われる骨太で彫りの深い顔の男性が、傘もささず冷たい雨に打たれるままに、ジャージ姿で船の中から客の様子をうかがっている。どうやら近くの島からやって来た漁師さんのようだ。近づくとギョロリとした鋭い眼差しがわが身に向かってきた。視線の鋭さに一瞬、後ずさりする。オヤジさんは周りの屋台のように客を呼び込むこともせず、ただじっと座っているだけ。それもまるで無愛想な置物のようで、これでは客も寄り付かない。隣の船はオヤジさんとは違い、オレンジ色の大型テントが船を被い、売り子が愛想良く客に呼びかけている。船尾に海老や、やや大振りの魚が並んでいて客足も絶えることがない。

 

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売る気あるの? オジサン

 

対照的な2艘の船をしばらく眺めていた。客が寄り付かない船。呼び込む様子もなく、オヤジさんはまるで銅像のように岸壁に目をやっているだけ。根っからの漁師で商売気はないようだ。だったら、冷たい雨に濡れてまでどうして店を開いているのだ、「客を呼び込むつもりがないのなら島に帰って寝たら」と、声をかけたくなった。
狭い港に観光船、フェリー、ヨットなどがひしめき合うように浮かんでいる。小雨煙る空気の先、目を遠くに移すと真っ白な大型客船の優美な姿がかすんで見える。天気がよければすばらしい景色なんだろうが、降りしきる雨の中、寒々とした光景だけが広がっていた。