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おじさんパッカー 北欧編(13)

16.06.21

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ミッドナイトサン(午前零時 北極海)

 

最北の漁村「ホニングスヴォーク」

 

6月26日午前零時前、セットした電子音で目を覚ます。白夜を体感しようと急いで甲板に出る。まだまだ外は明るい。十分に新聞が読める。
冷気が肌を突き刺し、厚手のジャンパーを着込んでいても震えが止まらず、まるで冷凍庫にいるようだ。

日付が変わっても、太陽は水平線のわずか上で動かない。海面にはオレンジ色の光の帯が船に向かって伸び、雲の隙間から真っ青な空がのぞいている。
沈まない太陽をこの360度の視野でようやく体感した。夜のない世界、沈まない太陽、ずっとあたためてきた思いがいま目の前に広がっている。
言葉にできない。何も浮かんでこない。ただ、ただ見つめるだけだ。

周囲に目をやると、深夜にもかかわらずあちこちに人の姿がある。デッキチェアをベツド代わりに毛布にくるまっている人や、
手すりに身を任せながらじっと海を見つめる恋人同士?

団体観光客だろうか10人くらいが体を寄せ合ってひそひそ話している。周囲を見渡すと広い甲板には、沈まない太陽目当てに50人以上がいた。
ほぼ水平に射し込む日差しで、人々の影が長く伸びている。

時計は午前1時を指している。サマータイムで1時間針を進めているので、この時間が本来の午前零時ということになる。
あらためて水平線上に浮かぶ太陽に目をやる。どこに消えたのかこれまで飛び交っていた海鳥の姿もない。
鏡のような水面に幾筋もの光の帯がまるで高速道路のように果てしなくどこまでも伸びている。マックビールを右手に高く掲げ「白夜に乾杯!」。

眠りから覚め、甲板に出て雲一つない空を眺めていると、「こんな天気のいい日は珍しい。いつも冷たい雨が降っているんだ」と、
よく商売で訪れるという中年の男性が声をかけてきた。「日本からだって。あんたも物好きだね。ここには観光するところなんかないよ。
もともと、北極海に突き出た漁村なんだから。ノールカップね。ノルウェーの人はわざわざ行くことないね。
アメリカやフランス、スペイン、イギリスといった南の人がツアーで来るよ。それも夏の間だけね。断崖絶壁を眺めるためだけに、たくさんのお金かけてやって来るなんて俺にはわからんね」

そんなことを呟きながら、このおじさんはどこかに消えた。

 

トナカイの角・毛皮はどうかね

 

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(ホニングスヴォーク)

 

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道端に並べられたトナカイの角(ホニングスヴォーク)

 

11時49分。岸壁に船体が横づけされた。ここはノールカップの玄関口、マーゲロイ島のホニングスヴォーグ港。

船を降りると、目の前の路上に白骨化したトナカイの頭部が、10個以上無造作に置かれている。その脇にトナカイの毛皮が、布団のように何枚も積み重ねられていた。
真っ赤なターバンと大きなバラの花をあしらった民族衣装を身にまとった、70過ぎのおばあさんがいた。顔立ちは丸顔でくぼ地のような低い鼻。
日本人に似た蒙古系だ。極北の狩猟民族サーメ人と呼ばれている先住民だろうか。

物珍しそうに眺めていると、「世界中どこへでも届けますよ。いかがですか」。
そんなことを口走り、いきなり私の顔の前にひと抱えもあるトナカイの生首を差し出した。ピンポン玉くらいの黒目が迫り思わず後ずさりする。
おばあさんは笑いながら、「死んでいるんだから、怖くない」とか何とか言って「セールよ。安くしとくよ」と、売込みに熱心だ。

ここホニグスヴォーグは、ノルウェー本土と海底トンネルで結ばれたマーゲロイ島の東に位置している。人口約2900人、ノルウェー最北の漁村だ。
ここから目指す欧州大陸最北端「ノールカップ」まで、35キロほどあり、11時半と午後8時半の1日2本の定期バスが通っているという。

現地時間6月26日午後1時半。バスの時間まで7時間ほどある。町を歩くことにした。港からの細い道を抜け、車の行き交う広い道に出たところで、
横浜から来たという中年夫婦に声をかけられた。「こんなところで日本人に会うなんて……。驚きましたよ」と、旧知の仲のようにお互いに手を取り合う。
昨日、ノールカップを訪れ明日、ノルウェーを南下して日本に向かうという。辺境の地を旅することが好きだとか、これまでの旅の話に力がこもっていた。
久しぶりに日本語に接し、新鮮な空気を吸ったようで元気が出てきた。

 

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極北の集落(ホニングスヴォーク)

 

海岸沿いにしばらく行くと町の中心だろうか銀行、スーパーなどが見えた。道行く人もまばらで、時折、勢いよく車が走り抜ける。

町を一望できる高台を目指して坂道を上る。家並は消え道の両側には草木もなく、岩がむき出しで荒涼としている。
これだけ緯度が高いと植物は育たないのだろうか。人の気配もなく、生活の匂いもない。「行ける所まで行こう」、そんな思いで足を運ぶ。
突然、モスグリーンの尖塔が見えた。ホニングスヴォーグ教会だ。
ペンキを塗ったばかりの真っ白い壁に、三角帽子をかぶせたように緑の尖塔がのっている。欧州最北の教会だという。

 

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欧州最北の教会(ホニングスヴォーク

 

石碑の前に腰を下ろし、何することもなくただぼんやりと一時間ほど過ごす。眼下には北極海が広がり、海岸べりに家々が軒を接するように固まっている。

いつの間にか小雨が霧のように周りをおおっている。急に肌寒くなってきた。町に向かって坂道をゆっくり下ると小さな公園に出た。
おばあさんが孫の守りをしている。人恋しくて声をかけてみた。「日本から来ました。こちらにお住みですか?」。孫はブランコを漕いでいて、
おばあさんは時間をもてあますように、かたわらのベンチからぼんやりと孫の様子を眺めている。

おばあさんは驚いた表情で私の目を見た。私の言ったことが通じたのかどうか。彼女は一人で話し出したが、私には彼女の言葉がさっぱりわからない。
ノルウェー語だろうか。極北の民のサーメ語なのか…、でもどこかドイツ語のアクセントに似ている。

私が分かっていようといまいと、おかまいなく彼女の話は続く。察するに、近年、魚が獲れなくなったとか、若い人が町を出て行ってしまい寂しいとか、
毎日、元気で過ごせることだけを願っているとか…、きっとそんな話だろうと、適当に相槌を打った。
嬉々として話すおばあさんの表情が思いのほか明るいのがうれしかった。

冬季の12月から2月にかけまったく太陽が顔を見せない厳寒の日々。どんな暮らしをしているのかぜひ、現地の人に訊ねてみたかったが…、
言葉の壁に阻まれそれもかなわない。それでも「オーロラ」を口にすると、「よくぞ話してくれた」と言わんばかりにおばあさんが元気づいた。

「この公園が青や赤や緑の光に包まれるよ。手を伸ばせば届くくらいに垂れ込めてくる。まるで川の流れのように山から海に向かって、
光の帯が流れるの。カーテンが風で揺れ動くようにね。あんたにも見せてあげたいね。この時期は暗くならないから見えないけどね」
と両方の手を上げ、オーロラを捕まえるようなしぐさで立ち上がった。

「12月に入ると太陽が顔を出さないの。一日中、真っ暗よ。それでも学校はいつものように8時過ぎには始まるし、会社だってどこだって変わらないわ。
あんたの所は冬でも明るいの。不思議ね」

おばあさんは、この町に生まれずっとここを離れたことがないという。一週間前、オスロいたって言うと、「オスロって?」と、
自分の国の首都もご存知ないらしい。「後ろの山ほどの高い建物があり、車や電車が行き交っていると、オスロの町の様子を話すがおばあさんは、
唇をとがらせ興味がないといった顔をして身振り手振りで話す私をじっと見ている。ただ、「地面の下を電車が走っている」というと、「なに、ここでは海の下を車が走っているよ」と、得意そうに鼻を膨らませた。1999年6月に本土とこの島が海底トンネルで結ばれたことらしい。

孫がぶらんこに飽きて彼女の膝に乗り、ぐずつきだしたのを機に、私はその場を離れた。

別れ際に「近くにいるんだろう。また顔をだしなよ。獲れたての魚を食わしてやるからさ」と。さっき日本から来たって言ったじゃないの。
やはり話は通じていない。日本も、近くの島の地名程度にしか思っていないのかもしれないね。となると、
「獲れたての魚を食わしてやるから」も、私の勝手な解釈でまったく別の話かもね。互いに言葉が通じていないんだから。おばあさんも私も、よく似た顔つきで近所の人と思われてもおかしくない。

港に向かって歩き出すと気さくなおばあさんは、孫を抱き上げ、白いエプロン姿でいつまでも手を振って別れを惜しんでくれていた。

雲間から太陽が顔を出し暖かくなってきた。観光案内所前に備え付けられている木製のベンチに腰をかけ、目の前を通り過ぎて行く人たちをぼんやり眺める。20代の男女5人が横切った。なにやら大声で話している。私は長袖のセーターにジャンパーを着ているのに、彼らは軽装だ。
夏とはいえこの極北を半袖で過ごせるなんてと驚く。午後7時を回っているが、沈まない太陽が天空高く輝いている。

明るいブルーのペンキに枠取りされ、全面ガラス張りの観光案内所の前の歩道に、水色のペンキで線が引かれている。
それぞれの枠の中に1~7の数字がある。2メートルほど離れて、井桁模様の印がある。

 

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ケンケン遊び?(ホニングスヴォーク)

 

私が子どもの頃、神社の境内に棒で書いた模様とよく似ている。「ケンケンパー、ケンパー」と目をつぶって片足を枠の中におさめながら歩を進め、
後ろ向きにその先のマーク内に瓦のかけらを投げ入れてよく遊んだ。極北の小さな港町で、この模様に出会うとは。
こちらではどのようにして遊ぶのだろうかと、しばらくたたずんで子ども達を待ったが…、だれも近寄らない。
歩道の模様が明るい太陽に照らされて光っている。

 

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森の妖精トロール(ホニングスヴォーク)

 

観光案内所の玄関先に、奇妙な顔の人形が二体あった。髪はボサボサ。鼻が天狗のように異様に突き出ていて、ポンホコ狸のようにお腹を突き出している。
一体は高さ1メートルほど。老人顔で髪の毛が両脇から力なく垂れ下がっている。右手には赤地に紺色の横十字をあしらったノルウェー国旗を握っている。
もうひとつはわんぱく坊主そのもの。裸足でいまにも駆け出しそうに遠くに目線を据えている。
高さ50センチほど。得体のしれないものに出会い、しばらく見つめていた。

あとで知ったが、「トロール」というものらしい。北欧の特にノルウェーの伝承に登場する妖精の一種で、手足の指の数は四本で鼻が高いのが特徴。
ノルウェーの森に住んでいて、自然を超えた力を持つ彼らは、森と妖精に敬意を払う人には幸運と富をもたらすという伝説があるとか。
脅かしたり、髪の毛をつかんだりと悪さをするが、子ども達の味方だそうだ。
現在でもこのトロールの存在を信じている人は多く、日常生活でふと物が無くなると、「トロールのいたずらだ」と言うそうだ。

突然、背後から声がかかった。「ヘィ、ユー」とでも言ったのか、振り向くと白い顎ヒゲで包まれた大柄な男性がニコニコしていた。
一見、「老人と海」のヘミングェーのそっくりさんだ。60過ぎ、元警察官でアメリカからやってきたという。
終始、笑みをたたえ初対面でも緊張させない。日本人だと知ると、京都、奈良に行ったことがあるとか、
山や川が美しかったなど大声で一方的に話していた。30分ほどいただろうか、旅の仲間が呼びに来て、その男性はどこかに消えた。

 

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知り合ったアメリカのおじさん(ホニングスヴォーク)

 

話し相手をなくし、目の前に広がる港から周囲を眺める。向かいの半島に石油備蓄の大型タンクが3本、明るい日差しをはねのけるように
銀色に染まっている。極北の最果ての町に身も心も漂わせていた。

午後8時5分、ノールカップのバス停に向かう。バス停といっても、日本のようにスタンドはなく、建物の壁面にバスストップと小さく表示してあるだけだ。ノールカップ方面のバスはどの方向から来るのか、道路の反対側だったら大変。なにせ一日2本。
今夜このバスを逃したら、明日の11時までない。路線バスだから停車時間も少ないだろうし、待っている人がいないと通過するかもしれない。

近くにいた黒人の男性にノールカップ行きのバス停を確認する。まず驚いたのは、この北の果てにまで黒人の人が住んでいることに。
彼は、脇の友人に確かめてここだよとわざわざ案内してくれた。道の両側は商店が並んでいるが、人通りはわずかだ。

向かいにデジタル表示の温度計があった。気温18度。午後8時を回っているが、太陽はまだまだ高い。背後の壁面に見慣れた映画のポスターがあった。
渡辺謙とハリウッドスターが共演する「SAMURAI」。こんなところにも日本人の俳優が…、と思わずこの町の人たちに親近感をおぼえた。

午後8時35分。5分遅れでノールカップ行のバスが来た。