トップ> どんぐりsひろば> 旅を語る、旅を想う おじさんパッカー 北欧編(12)

どんぐりsひろば

旅を語る、旅を想う

その他の読み物

おじさんパッカー 北欧編(12)

16.06.21

clip_image00212

 

くつろぐ乗船客(トロムソ沖 ノルウェー海

 

世界最北の都会「トロムソ」

 

6月24日午後3時、赤白のツートンカラーの船体が、ドーボーの港をゆっくりと離れた。
つい先ほどまで日差しが眩しかったのに、いつの間にか灰色の雲が重く垂れ込めている。見送りにきた人々の姿も見えなくなり、
ドーボーの街並みや背後の山々も次第に消えてゆく。

甲板の最後尾の手すりに身をゆだねて、北極圏の夏の海をしばらく見つめていた。スクリューで巻き上げられた泡が、
大河のように帯状にどこまでも伸びてゆく。ふと佐渡島の旅を思い出した。佐渡の小木港から直江津までの航路で、
その時もやはり甲板の最後尾で海を眺めていると、白い泡がずっとずっと佐渡からつながっていた。

船での過ごし方は、甲板に出て流れゆく島々や海と空が織りなす単調な世界をただぼんやり眺めるくらいしかない。乗客の多くは、
思い思いの場所にデッキチェアーを持ち出し、本を読んだりただ横になったりと、時間の過ぎ行くままに身をおいている。
そんな生活を何日も過ごしている人たちを見ていると、忙しく観光地を巡るツアーとは違って、こうして静かに心の奥底を眺める旅もあることに気づく。

乗船客の顔ぶれは50~60歳あたりだ。世界一人気のある船旅コースと言われているだけに、英語はもちろん、ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガルなど耳慣れない言葉が飛び交っている。日本語をあちこち探したがなかった。中国、韓国や東南アジアの人たちにも出会うことはない。
甲板は、ほぼ西洋人で埋められている。

 

clip_image0044

 

船旅を続けるイギリス人夫妻

 

生活物資の荷卸しに小さな島に接岸した。出航まで1時間ばかりあるというので下船する。

「私は日本からやって来ましたが…。どちらから?」と、60過ぎの夫婦に声をかけた。

「イギリスから」と、爽やかな笑顔が戻ってくる。「私たちはこのまま船旅をつづけ、ベルゲンに戻りますが」とご主人。すると、
「あなたは?」と、奥さんが私に話しかけてきた。

「この先の寄港地、ホニングスヴォークで下船して、北の果てノールカップを目指します。
そのあと、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、オランダ、ベルギーを経て、フランスのカレーからドーバー海峡を渡ってイギリスへ行くつもりです」。

そこまで話すとお二人は、顎を突き上げ反り返るように驚いた。

「くれぐれも健康に気をつけてね。それにしても凄いわね」と、奥さんが突き抜けるように大きな声を出した。

あまりの驚き様に私は恐縮し「ありがとうございます」と頭を下げ、旅の記念にお二人の写真を撮った。

その脇を、スズキと三菱の車が続けて走り抜けて行く。

 

clip_image006311

 

歓迎セレモニー(トロムソ港 ノルウェー)

 

6月25日午後2時30分、トロムソ港に接岸した。4人編成の楽団が歓迎のマーチを奏でている。これまでの港と違ってにぎやかなお出迎えだ。

トロムソは人口6万人ほど。北極圏境界線から約400キロ北にあり北緯70度に位置する北極圏最大の町のひとつといわれている。

ここトロムソは世界最北のオーロラ観光地だが、案内書を繰ると「世界最北」がつくものがいろいろある。
「世界最北の大学」、「世界最北の病院」、「世界最北の博物館」、「世界最北の水族館」、そして「世界最北のビール醸造所」など。

町の中心部はトロムソ島にあり、ノルウェー本土とは1036メートルのトロムソ橋で結ばれている。また、全長3.5キロの海底トンネルでも
つながっているという。ここで4時間の停泊が告げられる。さっそく町に出ることにした。

 

clip_image00811

 

アムンゼン像(トロムソ ノルウェー)

 

港近くにノルウェーの世界的探検家アムンゼンの像が建っていた。人類史上初めて南極点に到達した時のいでたちだろうか、
毛皮を着込みブーツを履いている。両方の足をしっかり大地につけた姿から、強い意志が読み取れる。

銅像のあるこの辺りが町の中心らしく、ロータリー状のバスターミナルに路線バスが5台ほど停車していた。
そのロータリーを外側から取り巻くように土産物屋や衣料品店、レストランが軒を連ね、田舎風の素朴な佇まいが広がっている。
その広場周辺には、ジャンパーにジーパンといった普段着の地元の人たちの姿が目立つ。

オープンカフェが賑やかだ。まだ午後3時を過ぎたばかりだというのに老若男女がジョッキ片手に気炎を上げている。
日本ならまだまだ仕事中の時間帯なのに…ね。怪訝な顔でオープンカフェを道端から覗き込むと中年男性と目が合った。
彼は右手の親指を突き出し、低く太い声で何か呼びかけている。ノルウェー語なのだろうか。表情から「君もどうかね」と誘ってくれているようだ。

日本で見るビャーガーデンの雰囲気だ。一瞬、誘いを受けようと立ち止まった。もともと飲むのが嫌いではないので意気投合して、
出航時間を忘れこの地に取り残されてはと…、もう一人の自分がブレーキをかける。周りの人も真っ赤な顔で私になにやら声をかけてくれていたが、
丁寧に頭を下げてその場を離れる。後ろ髪を惹かれる思いだった。

探検家アムンゼンの展示物があるというので、北極圏博物館を目指した。トロムソ湾に沿って北東に500メートルほど歩く。

古びた板の扉を押し開くと、受付に金髪で色白の北欧美人が微笑んでいた。壁面にパッチワークやオーロラの写真、床にはシロクマ、北極キツネなど極北の動物の剥製が置かれ、赤や緑、黄など色とりどりのやわらかい照明でそれらを浮き立たせている。

 

clip_image01011

 

北極圏博物館(トロムソ ノルウェー)

 

博物館といっても単体の建物ではなく、海岸べりに建ち並ぶ倉庫を展示場にしている。いくつかに分散されている展示室には自然、
北極の動物たち、人々の暮らし、狩猟などとテーマ別に区分され資料が陳列されていた。館内は撮影禁止とあって、
この目に焼き付けようとじっくりと見入っている人が多い。

防寒具やシロクマ、アザラシなどに使う狩猟道具、鍋釜にいたる生活用品まで展示されていて、何世紀にもわたる極北の人たちの暮らしを
肌で感じさせてくれるものばかりだ。

別の棟にはアムンゼンが南極大陸を目指した時に使った道具が細かに展示されていた。アムンゼンが身に着けていたというよれよれの防寒着、
そり、テントなど等数多くの遺品が納められたガラスケートに顔をくっつけるよう見入る。目玉展示でもあり、
釘づけになった見学者の行列が止まったままだ。

アムンゼンは、イギリス海軍大佐ロバート・スコットと南極点到達を競い1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たす。
移動手段にはエンジン付きの雪上車や馬。そして防寒着に毛織物のセーターを身に着けるなど最新装備のスコット隊に対し、
アムンゼン隊は先住民が古くから使っている、寒さに強い犬ぞりや軽くて防寒性に優れた毛皮服で挑んだ。当初不利といわれながら、
極地の環境に沿った道具立てが功を奏し、アムンゼンが最新装備のスコット隊を制した話はよく知られている。

 

clip_image002111

 

アムンゼンが住んだという家(トロムソ ノルウェー)

 

博物館の脇に、アムンゼンが生活していたという平屋建てがあった。中は非公開。正面玄関左にアムンゼンの胸像、右にアザラシの銅像。
ライオンとか犬とかならよく見かけるが…。北極の見慣れた動物ということだろうか。海に向け三台の捕鯨銃が台座におかれている。
ノルウェーは日本と並んで捕鯨の盛んな国だ。禁捕鯨の世界的な高まりで今は影を潜めているという。

 

clip_image00421

 

市内観光バス(トロムソ ノルウェー)

 

トロムソの繁華街に出る。蒸気機関車に似せたバスが走っていた。黄色とレンガ色に彩られ、アザラシの顔に似せた正面と長い煙突がユーモラスだ。
これ一つだけ見るとディズニーランドのアトラクションカーのようだ。20キロ程度の低速。子ども達が窓から顔を突き出しなにやら叫んでいる。

道の両側には、白や黄色の壁とレンガ色したスレート瓦の建物が並ぶ。まるで映画のセットに迷い込んだようにカラフルだ。
空は鉛を流したように重く垂れ込めているが、街は明るい。人々の気持ちを軽やかにさせるためのこれも生活の知恵だろうか。
道行く人たちの服装も赤や黄色、青の原色に華やいでいる。

トロムソ橋の最高部に立ち、左にノルウェー本土、右にトロムソ島を眺めたり、町の人たちの息遣いを感じようと住宅地を
歩いたりと時間を忘れて動いていた。

慌てて時計を見る。出港時間まで1時間を切っている。そうそう世界最北のビール工場でつくられた「マックビール」を手に入れなくっちゃ、
とスーパーマーケートを目指す。目指すスーパーはどこ? 時間がない。焦る。レジ袋を提げた買い物帰りのおばさんがいた。
乱れた髪、太い指、サンダル履き。いかにも「ここの生まれです」といわんばかりの生活の匂いがプンプンする。
声をかけると一瞬、驚いた彼女は、「あっちだ」と右手人さし指を出した。
しばらく歩くと、おばさんが下げていたと同じマークのレジ袋を持った人たちが続々と出てくる建物があった。

店内はじやがいも、白菜、ホーレン草と日本で見慣れたものや、キャベツのおばけのようなものなど、まったく見たこともないものまで
所狭しと無造作に山積みされている。この極北の地では日照時間不足や土地が痩せていたりして野菜類が育ちにくいので、
南の方から輸送船で運ばれてくるらしい。

ハム、ソーセージ、チーズなど脂肪分の高そうな食べ物が広い売り場面積を占め、買い物客が群がっていた
大型バスケットに山盛りに買い込んでいる家族連れがいた。親子5人。一週間分の食料だろうか。
5歳くらいの男の子が右手にお菓子を握って離さない。「ダメ」と叱りつける母親の姿は、どこの国でも同じだ。肉の塊、パン、青く小さなりんご、
芽の出たじゃがいも、得体の知れないドロリとしたものが入ったビニール袋など、買い物カゴから現地の人たちの生活が垣間見える。

何気なくソーセージを持ち上げていたら、「それよりこっちの方がお得だよ」と、50過ぎのおばさんがいきなり10本ほど束ねられた
ソーセージを私のカゴに入れた。「そんなに食べられない」と怪訝な顔を向けると、「何回にも分けて食べればいいのよ」とか言いながら、
にっこり笑ってその場を去った。親切はありがたいが、私はただ通りすがりの旅人。
おばさんの姿が見えなくなったのを見定めて、ソーセージの束をそっと棚に戻す。

 

clip_image00821

 

世界最北醸造ビール(トロムソ ノルウェー)

 

「そうだビールを買うんだった」と、我に返ってビール売り場を探した。ダンボール箱のまま積み上げられた飲料水やジュース類に混じって
「マックビール」が顔をのぞかせていた。日本だったら、ガラスケースの中で冷やされているが、ここでは常温のままだ。
手に取ったがけっこう冷たい。それもそのはず、ここは北極圏なんだから。夏でも冷やす必要はなさそうだ。
温めるという意識はあっても冷やすなんて感覚は、現地の人にはないだろうな。

時計を横目に、缶ビール3本(500cc入)、パン、ハム、ファンタオレンジ、マーガリン、リンゴを急いで買い込む。

レジ袋を提げてアムンゼンの銅像のある港まで出る。目の前に広がる海を眺めながら、ビールをあける。目の前の人通りに目もくれず、一気に飲み干した。
癖のないやわらかい喉ごしだ。地球最北の工場で作られた極北のビールを心ゆくまで味わう。

ビールでほてった顔を潮風にさらしながら、30分くらい目の前を行き交う雑踏をぼんやり眺める。
くわえタバコの人が目立つ。ざつと勘定してみたが、男女とも半分以上が喫煙している。西欧では健康志向が強いと聞くが…。
極北の地の果てまでには伝わっていないのだろうか。また体形だ。もともとバイキングの子孫だけに体はがっしりと大きい。
しかし、歳を重ねるにつれ肩から下にかけビヤ樽のように広がる。ここにはお相撲さんがうろうろしている。
アザラシじゃないが、厳しい冬を乗り切るために脂肪を蓄積しているのだろうか。何百年という生活習慣のなかで、
そのような遺伝子が組み込まれているようだ。

ほろ酔い加減で船に戻る。下船した時、賑わっていたオープンカフェの脇を抜ける。今日は金曜日。仕事帰りの人たちで溢れていた。
4時間前に「君もどうかね」と親指を突き上げ誘ってくれたおじさんは?…、と店内を覗き込んだ。
いたいた。ますます盛り上がっているようだ。中年女性となにやら大声で話している。店内はもうお祭りだ。

ここは冬場はまったく太陽が顔を出さない暗黒の毎日だ。氷点下30度以下という異様な日々が続く。
いまビールを飲んではしゃいでいるこの人たちは、どのような毎日を過ごしているのだろうか。赤ら顔のおじさんの表情からは想像もできない。
だけどきっとこのように集まり、このようにはしゃいでるんだろうよ。生まれたときから、ここで生きてきたのだから…。
冬、太陽が顔を出さないなんて、この人たちにとっては当たり前のことなんだからね。

 

clip_image00210

 

トロムソ橋(トロムソ 対岸がノルウエー本土)

 

午後6時40分、船はノールカップにつながるホニングスヴォークに向け、静かに港を離れた。太陽は空高くまだまだ陽ざしは強い。本土とトロムソ島を結ぶ橋の下を北に向かってゆっくりとくぐった。