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おじさんパッカー 北欧編(11)

16.06.21

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夏でも線路脇まで白い(ファウスケ駅付近)

 

ようやく北極圏に来ました

 

6月23日、午後10時20分。ノルウェー最北の鉄道駅ボードーに向け、トロンハイム中央駅から夜行列車が動き出した。

しばらくすると、切り立った両側の山々がV字形に落ち込んだフィヨルドが見え隠れし、波一つない水面が深い静寂のなかに横たわっている。夕日が遠くの山々をシルエットのように浮き立たせ、空一面を茜色に染めていた。車窓から突然、目に飛び込んで来たこの幻想的な風景に、思わずオスロで見たムンクの「叫び」が蘇る。

午前零時過ぎ。太陽が西の空に消えても、遠くの山々まで見通せる程度に空は明るい。日本ではとても想像できない。夜行列車じゃない…。夜じゃなく夕方だ。そんなことを考えながら、ずっと流れ行く風景を眺めている。

4時間ばかり過ぎたろうか、現在位置を手持ちの地図に指を置いてみる。北緯66度半ばの北極圏まで、あと120キロの位置まできている。14両編成の列車が、急な山道を蛇のように体をくねらせて登ってゆく。時折、窓を開け、首を伸ばしてみる。冷たい風が頬を刺し、5分ともたない。

通路を挟んで右隣に20歳前後の若者がいた。静かに本に目を落としていて、顔をあげることはない。どうやら一人旅を続けているようだ。ドア近くには10歳くらいの女の子を連れた、中国系の女性がいた。遅い夕食だろうか、包みからサンドイッチのようなものを取り出し、叱りながら子どもに食べさせていた。紙くずをしまいなさいとか、行儀よく座りなさいとか…、何かと子どもに世話を焼いている。どこの国の母親も口うるさい。

線路の両側は低い針葉樹がおおっていて、暗く、単調な景色が何時間も続く。そろそろ飽きてきた頃、パッと視界が開けた。海だ。といってもノルウェー海から数百キロ内陸部に入り込んでいる入り江、フィヨルドだ。沈まない太陽に照り返された水面が銀色に輝いている。入り江の周りに小屋が見え、小船が浮かんでいた。赤みを帯びた屋根から煙が細く立ち昇り、人の営みが感じ取れる。漁を生業として生活しているのだろう。双眼鏡を取り出し、じっと目を凝らすが、人の姿はどこにもない。

そろそろ北極圏だろうか。「ポーラーライン」(北極圏境界線)の標識でもあればと線路脇を見つめるが、それらしきものはない。周囲の山々はすっかり雪化粧していて、線路脇に残雪が見られる。今日は6月24日、夏のこの時期、ここではすでに冬の気配が迫っているようだ。望んだとはいえ、とんでもない所まで来ている。車内もだいぶ冷え込んできた。

 

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ファウスケ駅

 

午前8時半、うたた寝していたのか、知らないうちに列車は北極圏から百キロほど入ったファウスケ駅に停車した。一夜明けたとはいえ、車中ずっと明るかったので日付が変わったという実感がない。

「虹がかかっているよ」。トロンハイムから乗り合わせている読書好きの青年が、右の人さし指を突き出し、ニコニコしながら私に教えてくれた。灰色に染まった地平線の彼方に、色鮮やかに橋がかかっている。小さな集落が虹のアーチにすっぽり包まれていた。

遠くに目をやると斜面に張りつくように、とんがり帽子の屋根が点在している。レンガ色の屋根とグレーの壁。低い針葉樹で被われた山肌をキャンパスにして、まるで切り絵のように浮かんでいる。お伽話に出てくるような風景だ。

 

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ノルウェー最北のボードー駅に到着

 

ほどなくしてノルウェー海が広がる。海沿いに街並が見えた。ノルウェー最北端の駅ボードーに間もなく到着だ。荷物を取り出し身支度を整えるため、通路に人が集まり出した。

午前9時10分、ようやくボードー駅に到着。列車から人々が吐き出されてゆく。300メートルもの長いホーム。さんさんと夏の光が照りつけていて眩い。

グレーのTシャツを着た中学生くらいの少女がいた。彼女は自分の背丈の半分ほどもある大きなリュックを、やっとのことで列車から降ろした。もうひとつ肩に布袋を提げている。リュックに寄りかかるように、長いホームの先にある駅の出口の方向に目をやったあと、意を決して担ぎ出した。10メートルも行かないで荷物の重みに耐えかねてホームに崩れる。両手で額の汗をぬぐいながら、とても手に負えそうもないといった悲しそうな顔をしていた。脇を行く大人たちも大きな荷物で精一杯の様子だ。

「私が持ってあげようか」と、ひときわ大きいリュックを右手にした。少女はよほど困っていたのだろう。見慣れぬ東洋人に「お願いします」と快く応じた。持ち上げたがずしりと重い。彼女のリュックを右手に私の荷物を背中と肩にして長いホームを屈みながら歩く。

少女は、祖母のいるここボートーで夏休みの2か月を過ごすのだと、汗で光る長い髪をかき上げながら、笑顔でそう話す。

 

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祖母のもとへ向かう少女(ボードー駅)

 

駅舎を出て、北極圏の真っ只なかに立つ。宇宙にそのまま突き抜けゆくような青空。北極圏のひんやりした陽射しが心地よい。ボードー駅はグレーのレンガで被われた三階建。二階に案内所やレストランがあった。ノルウェー鉄道の最北端、最終駅にいま立っている。ようやく北極圏に来たが、それほどの感慨はない。南端のオスロから約千キロ余り。草木のない小高い禿山が街の背後に屏風のようにひかえていた。

 

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ボードー駅正面

 

6月半ばから7月末にかけ日は沈まない。ところが冬の12月から1月にかけ2ヶ月近くも太陽が顔を出さないという。
ここは厳しい気象条件の極寒の地だ。冬の厳しさはとても想像できないが、オーロラのカーテンが街全体を包み込むさまは……、想像するだけで心が浮き立つようだ。

港を目指して海沿いを歩く。道に迷い工場内に足を踏み入れてしまったようだ。「何か用事でも?」と、作業着姿の工員に怪しげな目を向けられた。ことはついでと、船の発着場までの道筋を尋ねる。「ホニングスヴォーグまだ行くつもりなんですが、船はどこから出ますか」。「ノールカップにでも行くのか。遊牧民の住む大変なところだぞ。寒いぞ。大丈夫か、そんな格好で」。無精ヒゲをさすりながら、気の毒そうな眼差しでじっと私の目を見た。「日本から? それはご苦労様」と言って、「たしかあっちの方だ。わからなかったら、そこらあたりで訊いてみてよ」と、足早に仕事場に戻っていった。

すっかり地元にとけこんだ気分だ。一人旅も5日目となると物おじしなくなった。

大きな桟橋に出る。大型船が停泊し、小型のリフトカーが荷物の上げ下ろしに、船の周りをまるで象の足元に群れるハイエナのようにせわしく動き回っている。

港から町の中心部に通じる幅30メートルほどのメインストリートの脇に立つ。マツダ、スバル、三菱など見慣れた日本車が走り去って行 く。こんな地球の北の端で日本車が見られるなんて、感激だ。

港の案内所に顔を出す。受付の若い女性にオスロで手に入れた乗船チケットを差し出し、乗船時間を確認する。午後3時出港を告げられ る。案内窓口近くに公衆電話をみつけ、さっそく日本に電話を入れるが、ウンともスンとも応答がない。何回も試すが変らない。受付の女性にそのことを告げると、「壊れているのよ!」と無表情に一言。「申し訳ありません」と、頭を下げてもらおうとは思わないが、そんなにそっけない態度はないだろうよ。はるばる日本から来ているんだから。でも、そんなこと彼女には関係ないよね。

11時過ぎ、ボードー駅に戻り二階のレストランで昼食をとる。「ハンバーガーセット(ハンバーガー、サラダ、パン、スープ)」85クローネ(約1300円)。ランチではこの店で一番高額だった。30席くらいの店内に10人ほどが食事をとっている。海の見える窓側に席をとる。隣のテーブルに勤め人風の若者が、職場の話か恋人の話か、互いに笑いながら食事していた。これまで列車に閉じ込められていて満足に食べていないので、胃にしみ込むように食べ物が融けてゆく。「おいしかった」と日本語が口を突く。目を合わせた40前後のシェフが、目の前の厨房から笑顔を返してくれた。

 

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この船でノールカップを目指す(ドーボー港)

 

2時半、乗船手続き開始。桟橋をわたり、船内の受付カウンターに向かう。七福神の布袋さんのようにふくよかな顔をした男性係員の前に、長蛇の列ができている。窓口は一つなのでなかなか進まない。私の前にいたジャンパー姿の中年男性は、乗船キップが見当たらずカバンをひっくり返して探している。その間、乗船手続きは中断。イライラするがここはがまん、がまん。

ようやく私の番になったのでキップを差し出すと、あっちのカウンターだと通路の先を指示された。どうやら、個室をとっている人と一般席とは違うようだ。衝立で仕切られたその窓口は、行列もなく手続きは一瞬にして終わった。「それならそれでもっと早く言ってよ」。嫌味のひとつでも言ってやろうかと、布袋さんの顔をもう一度見る。彼はそ知らぬ顔で額に汗して窓口業務に必死だ。

この船は、ノルウェー沿岸に散在する島々に立ち寄りながら野菜や肉などの生鮮食料品から洗剤、小型の家具まで生活物資全般の輸送も兼ねた大型客船だ。船内はちょっとした百貨店のように店舗あり、食堂あり、ラウンジありとやたら広い。

この先過ごすキャビンは、四畳半くらい。ベッド、洗面台、トイレ、シャワー完備。直径50センチばかりの丸窓から外の景色が見渡せる。

300人くらい乗船しているようだ。大半が白人の夫婦連れだ。ノルウェーの南の端ベルゲンからロシアとの国境に近いヒルケネスまで往復12日間の船旅。世界最北の定期航路のようだ。ノルウェー観光の目玉らしく人気抜群。世界中から北極圏目当ての観光客を集めているという。それも時間にゆとりがありかつ、金持ちの…?お年寄りたちを。

そんなことはともかく、疲れた体をベッドに横たえる。

いよいよノールカップへの最終章。2泊3日、約700キロの船旅が始まった。