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おじさんパッカー 北欧編(1)

16.06.21

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この先に北極点が…欧州大陸最北端 ノールカップ岬(ノルウェー)

「白夜を見るんだ

 

20年前にもなろうか、「一日が一番長い日」のタイトルでグリーンランドの首都であるヌークの町にカメラが入った。夏至の日、人口1万5千人ほどの人たちが生活するさほど大きくない街で、マイク片手に24時間、太陽が沈まない白夜の街をレポートしていた。

深夜の午前零時、砂浜にたむろしている若者たちの輪にマイクが向けられる。

「そろそろ寝る時間じゃないの。明日の仕事に差し支えない?」

「まだこんなに明るいもの」

と、若者たちは焚き火を囲み笑顔でこたえる。パン生地を巻きつけた木の棒が火の周りに立てかけてある。炉ばたで串刺しの岩魚を焼くようにパンを焼いているのだ。

また、六十過ぎの老夫婦が夕日を感慨深げに眺めている。「どうされたんですか」と声をかけると「明るくてなかなか寝つかれないの」。こう話す老夫婦は、日本人と見まがうほどの顔かたちだ。「深夜がこんな明るいなんて考えられない」とレポーター。「日本では暗くなるの?
不思議だね!」と、かたわらの旦那が前歯の抜けたとぼけた表情で笑っている。

放送を見終わった後、無性に白夜を体感したくなった。夏のいち時期、北極圏を北上すればどこでも太陽は沈まない。世界地図に指先を置き経度に沿って北極圏をたどってみる。グリーランド、カナダ、ロシアとノウェーなどの北欧の国々が北極点を取り囲むように広がっている。

欧州大陸最北端、ノルウェーのノールカップが目に止まる。ガイド書で調べると、オスロから列車と船を乗りついで行ける。位置的には、日本列島の最北端宗谷岬と最南端に位置する大隈半島の佐多岬を北極点に向けて三つ縦に並べた先になる。途方もない北の極地だ。

一日中、太陽が沈まないって、どんな感じだろうか。日付が変わる深夜零時を過ぎても、明るい日差しが周りの建物や木々を照らしているって、どのような気分だろうか。日本に生まれ育ち、この地でこれまで過ごしてきたわれわれの誰もが知りえないこと。もし経験できれば一億分の一人になれるかもしれない。そんな高揚感が次第に私の体を支配し始めた。

「深夜、明るいところに身を置きたいって? それだったらコンビニに行くんだな。二十四時間、真昼間さ。わざわざ、北の果てなんかに行くことはあるまい。その金で一晩中明るい居酒屋で朝まで飲もうよ」と。長年付き合っている友人が、私を見下すように鼻から抜けるような間の抜けた声でつぶやいた。白夜に寄せる私の思いは、「いい大人が…」と、一蹴されてしまった。

分からんやつは相手にしない。そんな輩は命がけで頂を目指すクライマーや失神寸前まで息を詰めて素潜りするフリーダイバーの心意気なんて分かりっこないんだ。いつも安全なところにいて、「そんなことして何が面白いんだ」と、せせら笑っている連中なんだ。もう「白夜」のことは言わないと心に決め、十年以上の歳月が経った。

定年を迎え、時間に縛られることのない身分を手にし、「白夜に身を置きたい」という長年の想いを今こそ実現すべく、出立を決断した。

出発前日の日記から、思い起こしてみる。

七時起床。今朝もよく晴れている。台風が沖縄に接近しているらしい。本土上陸にでもなると明日の飛行機が心配だ。朝食をすませ手荷物の最後の確認をはじめる。パスポート、航空券はもちろん、現地で使う幾種類ものコンセントにいたるまで、三十項目以上のリストと照合する。誰に頼ることもできない一人旅の覚悟がしだいにできてくる。

二十年前、生まれて初めて海外に出た。そのドイツ旅行で使った旅行カバン用の梱包ベルトが出てきた。しばらく当時の思い出に浸りながら、ベルトを今回の旅に連れ出すことにした。ベルトに差し込まれていた黄色く変色した当時のネームカードを、ワープロで打ち込んだ真新しいものに付け替え、リュックに巻きつけた。

次男と長女は会社が休みだと言いながら珍しく終日、家にいた。「還暦を過ぎた父の海外への旅立ち。行き先も定かでない一人旅。もしや旅先で命を落とすかもしれない。この世の見納めに」、そんなことを思ってか、「何か手伝うことある?」と日ごろ耳にしたことのないことを言う。そして二人は旅の準備にこまごま動く私をそばで眺めている。「いやに親切だなあ」と言うと、「いや、別に」と二人は視線をそらした。

ところが出発前日とあっても妻は容赦ない。

「水漏れがする。帰ってくるまで待てないから今すぐに修理して」と。準備の手を止め洗面所や台所の水道栓のパッキンを急いで取り換える。続いて、「勝手口のドアノブが硬くて回らない。帰ってくるまで待てないから直しておいて」とくる。

三時前、ようやく荷造りを終える。床の間に置かれたリュックとセカンドバックを見ていて、いよいよ「出発」を実感がする。部屋に戻り、そっと遺言状をしたためた。

七時過ぎ夕食。長男はいないが珍しく家族全員で食卓を囲んだ。ビールを飲んだ。明日出発する旅の話は出なかった。私も触れないようにしてい た。「台風が心配だね」と妻が呟いた。「身を任せて飛び立つしかない」と口をついた。「台風は沖縄の南の海上に停滞している」と、テレビ画面の向こうから聞こえてくる。十一時床に着くが、眠られそうにない。