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おじさんパッカー 中欧編(23)

16.06.21

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EU本部

 

市内遊覧

 

ドーヴァー海峡を渡ってイギリスに行くため、フランスの港町カレーまでの列車時刻を知ろうとブリュッセル中央駅に立ち寄った。ダイヤの記された紙切れを手にし、さて今日はどうするかと駅前にぼんやり立っていると、30前後のインド人らしき男性が駅から吐き出されてくる人たちに向かって何やら大声で叫んでいる。背後に観光バスがあるので「市内観光はいかがですか」とでも、フランス語で言っているようだ。彼は「3時間、15ユーロ」と書かれたプラッカードを右手に持ち上げ、呼び込みに懸命だ。「約2000円か。せっかくだから乗ってみるか」と、ステップに足をかける。まてよ、アムステルダムの運河巡りはオランダ語でまくしたてられ、さっぱり説明が聞き取れなかった。「日本からだけど」と彼に迫ると、バスのボディーに描かれた日の丸を指さ し、「OK!」と右手親指を突き上げる。乗客は25,6人ほど。ほとんどの乗客は見通しのいい2階に駆け上がるので私も彼らに従う。バスが走り出すと風が冷たく思わず身震い。イヤホンを日本語にセットし耳に挟む。ブリュッセルは小さな街だが、ヨーロッパ連合の本部があるなど欧州の中心的存在だ。グラン・プラスのある旧市街とEU関係の施設が集まっている新市街とが東西に区分されている。

 

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市内遊覧バス

 

「ようこそ、ブリュッセルにお越しくださいました。ベルギーは小国ですが欧州の要です。オランダ、ドイツ、フランスなどの大国に翻弄された歴史があります。こんにちではアメリカ、日本など世界の企業がこの国を拠点に経済活動をしています。中世の香りがする旧市街と新しい息吹に満たされ発展する新市街をご堪能ください」、そんな口上で市内観光が動き出した。バスはノンストップで旧市街を抜け、新市街へと進む。屋上からの眺めは360度視界を遮るものはない。街路樹の枝が顔に当たりそうになり、思わず首をすくめる。街を見下ろす気分は最高だ。乗客の大半は二人連れ。いろんな言葉が飛び交い、座席は笑顔で埋まっている。一人旅は制約がなく、気楽でいいのだが「あんなことがあった。こんなことを思った。あれは美味しかった」などなど、旅を共有できる人がいないのが悲しい。流れ行く景色とイヤホンガイドから流れる若い女性の声が、さしずめわが友だ。

バスが初めて停車した。「かつての万博会場だから下車して見学して下さい」とのこと。どうやらかなり郊外に出たようだ。家並みは少なく、樹木が壁のように街路の両側に伸びている。前方から巨大なモニュメントが飛び込んできた。とてつもない大きな球体が太いパイプで連結され、まるで大観覧車だ。正面から陽射しを受け銀色に輝いている。高さ103メートル、ひとつの球が直径18メートルという巨大なもの。各球を結ぶパイプにはエスカレーターが通っており、球内は展示場やレストランとして利用されているという。この巨大モニュメントは「アトミウム」と呼ばれ、1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたものらしい。鉄の結晶構造を1650億倍に拡大したものだ。大阪万博の太陽の塔のようにブリュッセル万博のシンボルの役目を果たす。グラン・ブラスの市庁舎や小便小僧とともにブリュッセルのシンボルとして人々に親しまれているという。

 

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巨大モニュメント「アトミウム」(ネットより)

 

近くで写真撮ろうと300メートルほど先のモニュメントへ歩きかけると、「ここで下車されてもいいですよ」と、インド系の車掌が背後から声をかけてきた。「どうします?」。「せっかくの機会だから、モニュメントにこの手で触ってみたいが…」と、ちゅうちょしていると、バスのエンジン音がした。運転手がハンドルを握りしめ、いまにも発車する姿勢で見つめている。一緒に下車した乗客の姿は辺りになく、みなさん車内に戻っていた。私一人だけが路上に立ち尽くしている。「どうされますか?」。車掌の最後通告を受けた。「やはり市内観光を続けたい」と、慌ててバスに駆け足で戻る。もたもたしていたら置いてゆかれるところだった。目が合った運転手が苦笑いで迎えてくれた。

バスは新市街の歓楽街に車を寄せた。「このビルには27の映画館があります。ここでは好きな映画をつぎつぎと観ることができます。映画好きにはたまりません」、イヤホンからそんな日本語ガイドが流れた。「シネコン」という言葉をここで初めて耳にした。狭い石畳の道を縫うようにバスが走る。車体がビルの窓にいまにも触れるんじゃないかと、気をもむ。屋上の席からはビルの2階で仕事している人たちとしばしば目が合う。街並みを外れ広い道に出た。バスのスピードも上がった。「ベルギーは国民一人あたりの貿易額が世界一。欧州はもちろん、日本やアメリカなどの自動車や工作機械はここベルギーで組み立てられヨーロッパ中に輸出されている」。そんな音声ガイドを聞きながら、延々と続く工場群のなかをバスは走る。どうやらここは日本や欧米諸国の工場がある企業団地らしい。

 

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ワーテルローの戦い』を再現(ネットより)

 

「今日は月曜日で博物館や美術館は休みで立ち寄ることができません。残念です」と、車掌が車内のマイクで話している。「入場料金がバス料金に含まれているんだろうから、その分安くして欲しい」と、乗客の一人が車掌と交渉を始めた。「もともと博物館や美術館の入場はフリー(無料)です」との返事に、注文をつけた乗客はバツの悪そうな顔で下を向いた。背後の乗客の笑い声に合わせ、彼は顔を上げ頭をかいた。そのひょうきんな仕ぐさに車内が再び沸く。このおやじさんのおかげで皆の心が開かれ、車内に和やかな空気が漂う。
「Waterloo(ワーテルロー)」と書かれた道路標識が目に留まった。ナポレオンの「ワーテルローの戦い」が頭をよぎる。いまから200年前のこと。1815年6月にイギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍が、皇帝ナポレオン率いるフランス軍を破った戦いである。ナポレオン最後の戦いとして知られ、英雄ナポレオンは失意のもとエルバ島に島流しされる。「そうかベルギーが戦場になっていたのか」と、感慨深く標識を見つめる。

 

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ブリュッセルの街中

 

バスはブリュッセル中央駅に戻った。きっかり3時間の市内遊覧だった。ほとんど車中からの眺めだったが、日本語ガイドのおかげで少しはブリュッセルの街が理解できたかも。見上げると分厚い灰色の雲が空一面をおおっている。8月初めだというのになんて寒いのだ。これまで欧州の国々を歩いているが陽射しが終日差し込むことはない。晴れ、曇り、小雨が4,5時間間隔で繰り返しているようだ。ホテルを出るとき青空が広がっているのでと、軽装で街に出るが必ずや曇りだし、細かい雨粒が降りかかる。しばらくすると雲間から太陽が顔を出し、また曇りと一日で目まぐるしく空模様が変わる。こちらの人は傘を使わない。雨が降り出すと上着の襟を立てて足早に駆け抜ける人もいるが、ほとんどの人は何事もなかったかのように、小雨の中を悠然と歩いている。