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おじさんパッカー 北欧編(30)

16.06.21

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カステレット要塞

 

チャーチルとアンデルセンとキェルケゴール

 

人魚姫に別れを告げて、街の中心部へ足を向ける。もときた道を戻ろうとしたが、さきほど眺めた景色を再び見たって面白くなかろうと脇道にそれる。函館の五稜郭を思わせる星形に堀をめぐらせた要塞があった。一面、芝生に被われていて周りに人影はまったくない。カステレット要塞とある。350年ほど前にコペンハーゲン港の防御のために建設されたものらしい。ここが戦いの場だったということをうかがい知ることができるのは、赤い台車に大砲が1台、まるで飾りのように置かれているくらいで、当時の争いの跡も今は緑に被われた市民の公園になっている。

 

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チャーチルの胸像

 

チャーチルの胸像が大木に抱きかかえられるように鎮座していた。なぜこの地にチャーチル? 第2次世界大戦で、ナチス・ドイツに占領されたデンマークを救ってくれた恩人らしい。この石像にイギリスへの感謝の気持ちが込められているという。そしてカステレット要塞の一帯は、チャーチル公園と名づけられているというから、デンマークの人たちはなんて義理固いのだろか。要塞の上から海を眺める。人魚姫の前に群がっていた観光客はどこかに散ってしまい、人の声はおろか物音ひとつしない。雑草に取り囲まれた古びたベンチに腰を下ろし、チャーチルと二人きりになる。遠くに目を移すと、教会の尖塔が重く垂れた雲を突き抜くように伸びていた。
11時19分をさしている。ホテルを出て3時間、とにかくよく歩いたものだと感慨にふけっていると、木立の中に古びたレンガ造りが目に入る。8階建のツィンタワーだ。両側の先端が鉛筆の先のように尖っている。建物の周りには堀がめぐらされ、2人がやっとすれ違える程度の板張りの質素な橋が建物と公園を結んでいた。赤茶けた石造りの建物に誘われるように橋を渡る。ガイド本にはローゼンボー離宮とある。クリスチャン4世王が夏の離宮として1630年に建設したようだ。60クローネ(1050円)を払い、中年夫婦の後に続いた。狭い通路を抜けるとぱっと光が差し込んだ。通路の片隅にA4用紙の案内図が置かれていた。驚くなかれ日本語のものもある。感激。このひなびた城を訪れる日本人がそんなにいるのだろうかと、思わず首をかしげる。廊下はなく部屋を通り抜けながら移動。王の寝室、接客の間と続く。どの部屋も天井はフレスコ画で覆われている。天使が天上界を舞い、見上げるわれわれをいざなうような眼差しで見下ろしていた。歴代の王や王妃の肖像画が周囲の壁を埋め尽くし、床は大理石が敷き詰められていた。

 

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ローゼンボウ離宮(ネットより)

 

私の前を行く白人の中年夫婦。ベッドや玉座などが目に入ると奥さんがその脇に立ち、何食わぬ顔でポーズをとる。すかさず旦那がシャッターを切る。普通ならそこで終わりなんだろうがこの奥さんは違う。旦那が撮ったカメラのディスプレイを覗き込み、ダメ出し。すぐさま撮り直し。ダメ出し、また撮り直しと続く。王妃の彫像の前では、10回くらいダメ出しが出た。その都度、奥さんから旦那を叱責するような甲高い声が飛ぶ。頭が薄くなりかけ、お腹の出た旦那は、まるで下僕のように無言で奥さんの指示に従っている。日本でいう「カカマカレ」どころではない。なぜこれほどまで奥さんに頭を下げないといけないのか。「いい加減にしろ」と声を荒げるわけでもなく、額に汗をにじませてシャッターを押す旦那に心底同情する。人の悪い私は、ことのてん末を見届けるためその場に立ち尽くしていた。ようやく、「オーケー」が出て、ポケットからハンカチを取り出し旦那は汗を拭った。次に王妃のベッドの前で彼女がポーズをとった。旦那はカメラを向ける。ここでもダメ出し。奥さんのワガママは際限がない。この宮殿から今日中に旦那は解放されるのだろうか。私はカメラを構える旦那の脇を「大変ですね」と呟きながらそっと離れた。
地下の宝物庫に、この宮殿を建立したクリスチャン4世王と息子の5世王の戴冠式に用いられた王冠があった。クリスチャン4世王の王冠は、絶対君主制以前のもので頭部が開いており、クリスチャン5世王の王冠は、国内を統一したという意味で、頭部がひとつにまとまっている。と説明書にある。この王冠は、展示物の目玉のようで展示ケースに人々が群がっていた。

 

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アンデルセン童話劇に集う親子

 

暗がりの地下室から抜け出ると、冷たい雨が容赦なく顔に当たり、思わず身震いする。今日は7月5日。日本なら暑くて、暑くてと、熱中症が話題になっているだろうが、この寒さでは熱中症でもいいから暖かさが恋しい。小1時間ほどで雨が止んだのでまた歩き出す。視線の向こうに緑豊かな公園が広がっている。ローゼンボー公園らしい。子ども達の甲高い声がする。小学校入学前の子ども達と母親達だ。芝生の大広場に赤、青、緑と原色のシャツを着た子ども達が駆け回っている。テント小屋でなにやらイベントをやっているようだ。2人の女の子にサンドイッチを与えていた母親に「何か催しでも?」と話しかけると、「野外劇場なの。アンデルセン童話劇よ」と。どうやら幕間の昼食休憩らしい。「あなたも見て行きなさいよ」。それらしいことを言ってくれたが、デンマーク語で演じられても、どうしようもない。と戸惑っていると、近づいてきた子どもが「この人、誰?」と私に視線を向けたので「日本から」と、英語で答えた。「ヤァ~、ジャパン」と甲高い声を上げる。あれっ英語じゃないの。「デンマークではたいていの人は英語できますよ。この先、安心して使ってね。ところで童話劇はどうですか。もうすぐ始まりますよ」と、30前後の金髪のお母さんがしきりに誘ってくる。「アンデルセンのお話はデンマークが世界に誇れるものよ」と、親しげに顔を寄せてき た。この国の人たちにとって、幼いころから触れてきたアンデルセンが紡ぎだした話の数々が、大人になった今も、心の中にどっしりと居座り人生の道しるべになっているようだ。親切な奥さんのお誘いを丁重に断り、公園を出る。振り向くと4,5人の子どもたちが大声をあげながらいつまでも手を振っていてくれた。うれしいじゃありませんか。

 

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アンデルセンの墓

 

アンデルセンが埋葬されているというアセステンス教会を目指す。途中、入り組んだ小路に迷い込んだ。地図を広げるが、現在位置が定かでない。しばらく呆然と立ち尽くす。すると真っ白いひげをたくわえた70過ぎの男性が、こちらに向かってくる。待ち伏せるように建物の陰から声をかけた。「私はアンデルセンの墓を毎月掃除しています。彼の誕生日には仲間と墓の前に集い、アンデルセンの童話を語り合っています」と、優しい目で私を見つめ、「日本から? 遠い所ご苦労様。案内しましよう」と歩き出した。深い森を歩くように、木立が墓碑を覆い隠している。ほどなく彼は立ち止まり私を手招きした。「これがアンデルセンのお墓さ」。蔦がからまっているような図柄の鉄格子が、腰ほどの高さで墓の周りを取り囲んでいる。6畳ほどあるだろうか。中央にたたみ一畳ほどの石の板が立てかけられていた。何行にも文字が刻まれている。『1805・4・2~1875・8・4』で、彼は70年の生涯だったのだと知る。
20年ほど前、ドイツの旅でグリム兄弟の生誕地、ハーナウを訪れたことがある。その時も、見知らぬ人に道を聞きながらの旅だった。墓前でふとそんな昔のことが蘇ってきた。歴史に残る二大童話作家の生誕地を訪れたのだと感慨深く、墓碑の前に佇む。我に返って振り向くと、案内してくれたおじさんがじっと私を見つめていた。とっくに立ち去ったものとばかり思っていたので、失礼にも「まだいたの?」といった顔でおじさんを見つめた。人のよい彼は「キェルケゴールの墓もありますよ」と…。
キェルケゴールか。学生時代「100冊の古典」で紹介されていた本を手当たり次第に手にした時期があった。種の起源、存在と無、人口論、プロテスタントと資本主義の精神、などなど。咀しゃくできず、ただ字面を追っては読んだ気でいた。いっぱしの読書家気取りだった。そのとき手にした彼の著書「死に至る病」でキェルケゴールという名前をはじめて知った。なにか弾むような語韻が40年以上たった今も口をつく。「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと死によってもたらされる絶望を回避できないと。実存主義というらしい。岩波文庫を手にし、下宿仲間と実態のない空論に酔ったものだ。

 

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キェルケゴールの墓前

 

キェルケゴールの墓は、ほどなく見つかった。台座の上に墓碑が積まれ、その上に白く塗られた十字架がテレビアンテナのように乗っかっている。墓石を被うように真っ白の銘盤が貼り付けられていた。伸び放題の芝生が人の訪れの少なさを表している。1855年11月11日に42歳の生涯を終えている。ここコペンハーゲンで生まれアンデルセンと同時代を生きた。互いに会話を交わしたのだろうか。コーヒーカップ片手に童話作家と哲学者の語らいを想像するだけでも心が躍る。
かれこれ1時間ばかりお墓で過ごした。親切なおじさんは、アンデルセン、キェルケゴールのお墓を背景に私にカメラを向けてくれた。終始にこやかで、互いに通じない言葉に戸惑いながらも会話が続く。おじさんとはキェルケゴールのお墓の前で別れた。「じゃあね」と右手を高く上げ、お墓の森に姿を消した。突然現れ、突如消えたサンタさんのような立派な白髪のヒゲをたくわえたおじさん。もしやお墓の妖精?なにかファンタジーの世界に引き込まれたようだ。うっそうとした木立に包まれた無数の墓碑の海に、わが身を漂流させているような不思議な気分でおじさんが消えた灰色の空をいつまでも見ていた。