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おじさんパッカー 英国編(31)

16.06.22

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チャーチル

 

マダムタッソー

 

朝からとんだ失敗した。いつもトイレが混み合うので朝食前にすませておこうと、ロッカーを施錠して慌てて部屋を飛び出したのはいいが、鍵の入ったセカンドバックがロッカーに入ったままであることに気づく。フロントに駆け込み、「ロッカーに鍵を閉じ込めてしまった」と訴える。悲壮な表情を察してか、20歳そこそこの職員が「これをもって行きなさい」と、番線カッター(大型の鋏)を手渡してくれた。すぐさま部屋に戻り鍵を切り取る。このようなこともあるだろうと、日本から持ってきていたスペアーの鍵をつけ、事なきを得た。食堂に向かう途中、フロントに寄りカッターを返すと「うまくいきましたか」と、笑顔が戻ってきた。旅先でのこの笑顔は、どんな言葉よりも救われる感じがする。

9時過ぎホテルを出る。ホテル前の広い道「ユーストン・ロード」を西に向かって、蝋人形の館で世界的に有名な「マダムタッソー」をめざし歩きはじめる。道路の北側は閑静な住宅地が並ぶ。細かい細工を施した部厚い鉄格子の門扉の奥から、三角形の赤い屋根瓦を乗せたレンガ造りの邸宅が、通りを見下ろしている。40前後のこの家の奥さんだろうか、門扉を開けてお出かけの様子 だ。背筋をピンと伸ばし、私の目の前を大股で悠然と横切ると、爽やかな甘い香りが彼女の背後にたなびいていた。
しばらく歩いていると、芝生が敷き詰められた屋敷に突き当たった。短パン、Tシャツの中年男性が、庭木に水遣りをしている。その周りを3歳くらいの男の子が駆けていた。セントバーナードのような大型犬がいて、まるで外国映画の一場面を見ているよう。

 

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リージェンツ・パーク

 

30分ほど歩くうち、深い森に迷い込んだようだ。周りは木々に被われ、車1台がやっとの狭い道が深い緑の中に延びている。地図に目を落とすと、「リージェンツ・パーク」とあり、東京ドーム40個ほどが収まる広大な敷地で、北の端にロンドン動物園がある。ロンドンの中心部とはとても思えない物音一つしない静寂さだ。ベルリンにせよ、このロンドンにせよ、広大な緑地が街のど真ん中にいくつも用意されている。日本なら、工場や商店を誘致して土地からお金を生み出そうとするところだろうが。西洋人と日本人の思考の違いだろうか、彼らは市街化しないという贅沢を選択しているのだ。

 

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テニスクラブ

 

散策道の脇にテニスコートの案内表示がある。テニスの聖地といわれる「ウィンブルドンテニス」の国だけに、「どんな人たちが、どんなプレーを楽しんでいるのだろうか」と、急に気持ちが高ぶり足早にコートを目指す。周りを高い樹木に囲まれコートが見え隠れする。ボレー、ストローク、サービスとコーチの指導を受けレッスンに励む人たちや、試合形式でダブルスを楽しむグループと、8面のコート全面が熱気にあふれている。
いつもプレーする日本のテニス仲間のことを思いながら、ロンドンのみなさんのプレーをしばらく眺める。若い人がやるような「サービス アンド ボレー」はなく、どのコートもラリー戦が中心だ。やり慣れていてボールも早く、ミスが少ない。皆さんの腕前は、私より少々上とみたが…。脇に建つ茅ぶきのような部厚い屋根のクラブハウスが、テニスサークルの長い歴史を語っている。

 

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マダムタッソー

 

テニスコートを南に移動し、公園を抜けたところに「マダムタッソー」があった。車がひっきりなしに行き交う広い道路に面している。建物の壁は白く塗りこめられ、窓のない2階建ての低層ビル。看板がなければ見過ごしてしまいそうな、なんの変哲もない建物だ。よく見ると、すでに行列ができている。入場料(約4400円)を払い蝋人形館とプラネタリュームの共通チケット購入し、しつらえられた通路を縫うようにして館内に入る。

いきなりイラクのフセイン元大統領、PLOのアラファト議長が顔を出した。奥に目を移すとケネディ、シラク元米仏大統領がいて、真ん中にイギリスのブレア首相が笑顔をつくっている。今にも歩き出しそうな振る舞いに思わず、息を呑む。これが世界一の蝋人形館なのだと、そのリアルさを実感。薄暗い部屋に100人近くの見学者がうごめいていた。
私がこの部屋で見た歴史上の人物達は、リンカーン、チャーチル、カストロ、ヒットラー、ジョンウェイ、チャップリン、ヒチコック。そのほか、キャシアス・クレイ、ベッカム、ビートルズと多士済々だ。もちろんエリザベス女王もいる。テレビでしか見たことないが、背格好といい、顔つきといい、まったくもって本人そのものだ。
次の展示館に入ったすぐ脇に、Ⅴネックのピカソが椅子に腰を下ろし、向かって左側に詰襟の上着をつけたゴッホ、右に赤茶色のセーター姿のアィンシュタインが立っている。この3人の組み合わせに何か意味があるのか、……しばらく首をひねる。旅の記念にと、アィンシュタインと肩を並べて写真におさまる。

 

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ゴッホ、ピカソ、アインシュタイン

 

「ピカソは俺の友だちだ」と言いながら、蝋人形と肩を組むおじさんや、「ブレアは俺の幼馴染みだ」とおどけて寄り添う額の禿げ上がった男性など、薄暗い部屋のあちこちで、まるで花火のようにカメラのフラッシュが瞬いている。
蝋人形が立ち並ぶ館内は暗く、そのうえ迷路のようになっていて全体がどのようになっているのか飲み込めない。さらに展示物がごった返していて自分の居場所さえ定かではない。火事でもあったらとても逃げ出すことはできないだろうと、そんなことを頭に浮かべながら、人の流れに沿って歩を進めてゆく。

お化け屋敷があった。興味本位で中に入る。顔面に包帯を巻きつけたフランケンシュタィンが、いきなり暗闇から目の前に倒れかかってきた。その瞬間、私の前を歩く女性が「ギャー!」と、ものすごい悲鳴をあげて顔を伏せ、座り込んだまま動かない。恐怖におののく女性の形相の方が、お化けよりよほど怖いよ。
いきなり扉が開いたり、何かが落ちてきたりと脅かし方は日本でも見慣れたものだ。こちらの人たちはその都度、金切り声を上げ、顔を引きつらせる。この程度のおどしにこれだけびっくりするのだから、こちらの国にはお化け屋敷たるものは珍しいのだろうかね。

最上階のプラネタリュームの部屋に入る。30分くらい星座が映し出されていた。同じ北半球だから日本でも目にしたものがいくつかある。そのあと、人工衛星から撮影したと思われる宇宙のビデオが流された。しばらくの間、まるで宇宙遊泳しているような感覚に誘われる。

2時間以上いただろうか、マダムタッソーを出る。入り口は大変な行列だ。「入場まで時間がかかりそうですね。お気の毒さま」と、口ごもりながら行列をつくる人たちを横目にして、通りに出た。