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おじさんパッカー 英国編(29)

16.06.22

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衛兵交替式

 

衛兵交替式

 

朝食をすませ1階のロビーで「さて今日は…」と、ガイドブックに目をやる。なんといっても今日の目玉は、バッキンガム宮殿の衛兵交替式だろう。
9時、ホテルを出て地下鉄のチャリング・クロス駅に降りたつ。地上に出ると、目の前にギリシャ神殿風の大英美術館が迫り、その向こうにトラファルガー広場が広がり、高さ50メートル近くはあろうか、ネルソン記念柱が天を突いていた。

いきなり背後から声がしたので振り向くと、中年の男性が「ここ知らないか?」と、なにやら書かれた紙切れを差し出した。住所だろうか。「日本から来たばかりでどうも…」というと、「私も昨夜、フランクフルトから来たばかりでね。……ドイツ人が日本人に訊いていては…ね」と、中年男性。「そうですね」と返し、二人で目を合わせながら大声で笑った。この開放感、きょうもいいことがあるぞ。そんな気持ちでドイツ人男性の立ち去る背中をしばらく見つめる。

「さてバッキンガム宮殿は?」と、地図に目を落とす。目の前には5本の幹線道路が交差し、真っ赤な「2階建てバス」が行き交い、トラックや乗用車の洪水だ。うっかり足を踏み出そうものなら命はない。ここは慎重にとは、ネルソン記念柱にもたれかかり、人や車が忙しく駆け抜ける雑踏にしばらく目を置く。
「バッキンガム宮殿は?」と、30前後のサラリーマン風の男性に声をかけた。すかさず、「あの門の先にあるよ」と、優しい声だった。城門を思わせる部厚い石の壁。アーチ型にくり抜かれた3つの門がのぞいている。「中央の通用門は女王陛下専用となっているので、一般人はその横にある通用門から通り抜けるのさ。左端の門の先を真っ直ぐ行けば宮殿だ。歩いて15分ほどかな」、そう言うと親切な男性は雑踏の中に消えた。

 

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バッキンガム宮殿に通じる門

 

門を抜け5分も歩くと、つい先ほどの喧騒が嘘のように車や建造物はすっかり消え、あたりは深い緑に模様替えしていた。どうやらバッキンガム宮殿に通じるセント・ジェームスパークに入り込んだようだ。長さ700メートル、幅100メートルもある大きな池がバッキンガム宮殿まで伸びている。池に沿って樹木が立ち並び、鴨があちこちで羽を休めていた。白鳥が長い首を伸ばし、辺りを伺っているようだ。脇のベンチに老人が一人、何するでもなく水面に視線を落としぼんやり座っていた。声をかけてみたくなったが、深いシワが刻まれた老人の物憂げな横顔には人を寄せつけない空気が漂っていて、余計なことはすまいと黙って老人のそばを通り過ぎる。

 

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セント・ジェームスパーク

 

バッキンガム宮殿の正門前に立つ。その門扉から宮殿を覗き込むと、4人の衛兵が宮殿を背に直立不動で立っていた。手前の方にいる警護の女性警察官が自動小銃の引き金に指をかけているのが目に入る。門扉の隙間からしつこく覗き込んでいたものだから、彼女と視線が合い思わず後ずさり。

しばらくすると、正門前は衛兵の交替式を待つ人たちで身動きできないくらいに混雑しだした。見上げると雲ひとつない快晴。宮殿正面前に巨大な噴水がある。中央にそそり立つ大理石の真っ白いモニュメントの頂に、「クィーン・ヴィクトリア・メモリアル」が黄金色に輝いていた。ヴィクトリア女王は、1837年から1901年まで実に64年近くイギリス女王として在位した。「君臨すれども統治せず」の立憲君主制の理念によって議会制民主主義を貫き、近代以降、英国の最も輝かしい時代の女王と言われている。そのモニュメントを取り囲む石段は、小山のように見学者で盛り上がっている。

 

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自動小銃を手にする警護官

 

11時15分、「パァ~、パァ~」と、あたりの喧騒を突き抜け、いきなりラッパの音が鳴り響いた。バッキンガム宮殿の衛兵の交替式の合図だ。イギリスはもとより、私も含め世界中からやってきた1000人以上もの人たちが、一斉に正門ゲートに注目した。栗毛色の馬にまたがった10人ほどの騎士団が先陣を切った。高々と伸びた真っ白の三角帽子に赤の装束、まっすぐ前方を睨みつけ身じろぎせず、馬の手綱を取る。

騎士団の後を追って、目まで被う黒い毛皮の長い帽子、真っ赤な軍服を身につけたおもちゃの兵隊さんを思わせる衛兵が宮殿から顔を出した。トランペットやドラムを奏でながらにぎやかな行進。横6人で8列、総勢48人ほどが大音響を奏でながらひと固まりになって整然と歩を進めてゆく。まるでひとつの生き物のようだ。こうしてこれまで護衛していた兵士が宮殿の前を立ち去ると、向こうから次の衛兵がこちらに向かってくる。途中2つの隊がすれ違うと、大群衆からの喚声や奇声や拍手が、楽団の音を掻き消すように宮殿前にこだまする。真っ青な空、真っ赤な衣装の衛兵、真っ白な宮殿前の石像。何重にも重なった列の隙間からカメラを持ち上げシャッターを切る。そして楽団の演奏や人々の歓声など、宮殿前で繰り広げられる雑踏を録音し続けた。

 

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ヴィクトリア・メモリアルを埋める観光客

 

新たに任務についた衛兵が門の前に直立不動の姿勢で立つ。交替式は1時間ほどで終わり、宮殿の門扉が静かに閉じられた。見学に訪れた観光客達がそれぞれに宮殿から離れていった。何やら大きな声がするので振り向くと、馬の前に立ちはだかる女性がいた。何ごとかと近づくと馬上の騎馬警官に「写真を撮らせてくれませんか」と、中国人の若い女性が迫っている。どうやら「ロンドンの観光記念に娘と写真を撮らせて」と、注文をつけていた。「NO!」と、馬上から母娘を見下ろすように一言。それでもひるまず、母親は執拗に警官に要求する。警察官は「NO!」と語気荒く、馬の手綱を引き寄せ、母娘を睨みつけるようにその場を去った。「これだけ懇願しているんだから、1枚くらいいいじゃないの」と、母娘に肩入れしたい気持ちになる。それにしても中国人のたくましさに改めて感服する。
潮が引いたように群集が去った宮殿前の芝生で、昼時とあって若いサラリーマンがサンドイッチをほおばっていた。大の字になって寝そべっている人もいる。これがロンドンの日常らしい。

 

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宮殿に向かう騎馬団

 

バッキンガム宮殿を背に、セント・ジェームスパークの水辺を歩く。衛兵の交替式の喧騒はすっかり頭から消え、木々に囲まれた深い森がどこまでも続いていて物音一つしない。まるで上高地を散策しているかのような気分だ(ちと大袈裟か)。公園を抜け、車の行き交う広い道路に出た。首相官邸、外務省、国防省などが建ち並ぶ官庁街だ。イギリス政府の中枢が集中する、日本の霞ヶ関のような所らしい。黒塗りの車がせわしくゲートを抜けてゆくが、乗っているのは政府高官だろうか。そんなことを思いながら、石造りの古びた建物の間をぶらぶら歩く。