トップ> どんぐりsひろば> 旅を語る、旅を想う おじさんパッカー 英国編(22)

どんぐりsひろば

旅を語る、旅を想う

その他の読み物

おじさんパッカー 英国編(22)

16.06.22

image154

 

シェイクスピアの生家

 

シェイクスピアの町へ

 

7時半過ぎ、ベッドからゆっくりと身を起こす。今朝もどんより曇っていて肌寒い。車のエンジン音や歩道を行く人の話し声が、容赦なく窓から飛び込んでくる。ぼんやりしているのは私ぐらいで、マンチェスターはすでに活動モードに入っている。
朝、目を覚ますとお腹の具合はどうか、手足などどこか痛いところはないかなど、無意識に体のあちこちを触りながら確認するのが習慣になってしまった。一人旅、それも見知らぬ外国では、病気や怪我は絶対避けなければならない。そんな思いが無意識に働いているのだろう。

朝のニュース番組で、新兵が訓練している映像が流れている。アメリカと連携してイラクやアフガニスタンに軍を派遣しているイギリス。戦争の当事国でありながら戦場のニュースは全くといっていいほど目にしない。街を歩いていても戦争反対の看板もなければ、それらしき動きもない。むしろ参戦していない日本の方が反対デモや戦場報道が流れているように思う。知らせない方が国民の関心を戦争からそらすことができるという、英政府の意図もあるのだろうかと勘ぐりたくもなる。

朝食をすませ、ホテルのロビーでぼんやりしていると「見慣れない顔だね」と、60前後のおじさんが近づいてきた。「仕事で来たのかね」。「ロンドンに行く前にストラスフォード・アポン・エイヴォンに立ち寄ろうと思って…」。「シェイクスピアだね。ここマンチェスターから200キロほど南になるが、とっても田舎でね。なかなか出かけることはないね。日本でもシェイクスピアは読まれているんだね」そんことを話すと、初老の男性は「せいぜい楽しんで頂戴」と席をたちホテルを後にした。

 

image245

 

マンチェスターピカデリー駅

 

途中3,4回ほど乗り換えし、ようやくマンチェスターからストラスフォード・アポン・エイヴォン駅に着いた。駅員2人ほどの拍子抜けするほど小さな駅だ。世界に知れ渡ったシェイクスピア生誕地の玄関口とはとても思えない。駅前に店一つなくただ空き地が広がっている。それも砂ぼこりが舞う放置されたままの土地で、あちこちに雑草が茂っていた。町の玄関口にしてはあまりにもお粗末だ。町の中心はこの先1キロほどの所らしい。こんな状態だから、駅周辺には案内所も何もない。まずは今夜のねぐらをと、ガイドブックを頼りに宿探しを始める。

 

image342

 

ストラスフォード・アポン・エイヴォン駅

 

住宅街を抜け、町の中心部にくる。どこからやって来たのか、多くの人たちで溢れている。朝食つき簡易ホテル、B&Bを探す。ところが「NO VACATION」(空き室なし)の表示ばかり。このあたりの民家は、軒並み民宿になっているようだ。ようやく「VACATION」(空き室あり)を見つける。
ドアを叩くと、60前後で金髪を後ろに束ねたオバサンが顔を出し、「いらっしゃい」と日本語でいきなり挨拶された。「日本語はこれだけね」と、笑いながら「お入り」と手招きする。「日本からの観光客がよく来るんですか?」というと、「来ますよ。だけど中国人と日本人の区別がつかないから」と、ニヤリとした。「それはそうでしょう。私でも区別できないんだから、ましてイギリス人では無理でしょうよ」と、そんな意味のことを言うと、おばさんは「そうだわね」と大きくうなずいた。急な階段を昇り2階の部屋に案内される。6畳くらいで1人用の古いベッドと洗面所があったがトイレ、シャワーは共用らしい。他にも宿泊客がいるようであちこちで足音がする。
「見ればわかることだけど、このあたりは田舎でしょう。でもシェイクスピアを訪ねて世界中からやって来る人たちで、結構な賑わいよ。シェイクスピアが生まれ育った家が向かいの道をまっすぐ行くとあるから」と、オバサンはまるで観光ガイドの様に愛想よく話していた。

 

image439

 

賑わう街の中心部

 

午後4時前、部屋に荷物を置いてさっそくシェイクスピアの街を歩く。街の中心部は駅前の殺風景な風景とは違って、洒落たレストランや赤茶けたレンガで覆われた古びた建物が混在していて、何百年という時間が混ざり合った不思議な風景がみように馴染んでいる。どこから湧き出てくるのか、歩道をはみ出すほどのものすごい人が列をなしている。

柱や梁がむき出しになった土壁の建物を背景に、観光客が群がりシャッターを押していた。正面から見ると三角形の屋根が3つもある大きな家だ。これがまぎれもなく、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リャ王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」など数々の名作を残したあの「シェイクスピア」の生まれた家なのだ。そう思うとおもわず足がすくむ。ウィリアム・シェイクスピアは、1564年にこの家で生まれた。28歳の時ロンドンに出て演劇の仕事をするようになったらしいのでその年まで、この小さな田舎町にいたのだろうか。

 

image530

 

シェイクスピアも歩いたかも?エイヴォン川のほとり

 

柳が揺れるエイヴォン川のほとりを歩く。シェイクスピアが過ごした450年近く前の風景がそのままの姿で今に残っているようだ。彼が慣れ親しんだこれらの風景が、随所に彼の作品に出てくるという。彼はもしかしたら日々、このあたりを散歩しながら思索にふけっていたのだろうかと、そんなことを思いながら、川べりを歩く。

教会の尖塔が木立の陰から見え隠れしている。「あの教会にシェイクスピアが眠っているよ」と、散歩中の地元の人が声をかけてくれた。シェイクスピアが葬られているというホーリー・トリニティ教会に足を向ける。教会はエイヴォン川のほとりにひっそりとある。大木が覆い被さるように茂る樹木のトンネルの先に石造りの教会が小さく見える。教会の扉を真正面に見据えて石畳の道を歩く。両脇には芝生で埋められた墓地が広がっていて、高さ1メートル弱、厚さ10センチほどの石版が無造作に地面に突き刺さっていた。

 

image623

 

墓地にいたリス

 

教会の門は閉ざされていて入ることはできなかった。きっとこの中にシェイクスピアが葬られているのだろう。そんなことを思いながら、教会の尖塔を背に歩いていると野生のリスが墓石に乗っかっていた。愛嬌たっぷりのどんぐり目をパチクリさせて「あんたどこから来たの?」と、言わんばかりに首を左右に揺すっている。