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おじさんパッカー 英国編(18)

16.06.22

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鉄道開設当時のマンチェスター駅

 

ベッカムの方が有名?

 

「ベッカムはもうここにはいないよ」。サッカーファンならずとも、その名を耳にしたことのある元イングランド代表選手デビット・ベッカムは、ここマンチェスターを本拠地とするサッカーチーム「マンチェスター・ユナイテッド」でプレーしていたことがある。ホテルで顔を合わせた見知らぬおじさんは、私がこのスーパースター、ベッカムを見にわざわざ日本からやって来たものと思い込んでいるようだ。「そうじゃなく、世界初の鉄道のことが知りたくて」と話すと、「ああ、そう」と気のない返事。

マンチェスターは、北部イングランドを代表する都市で、人口は49万人ほど。歴史的には綿工業を中心に産業革命の中核を担っていたという。でもなんといっても180年前の1830年9月にマンチェスターと港町リヴァプールの間に世界で最初に鉄道が開通したことで世界中に知られている。新橋、横浜間に敷設された日本初の鉄道は、イギリスから40年余りあとの1872年10月のことだ。

 

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ベッカム選手(ネットより)

 

「今日はマンチェスターを歩くぞ」と、意気揚々と街に出る。まずは世界で最初に走った当時の鉄道に関する資料が揃っているという「科学産業博物館」を目指す。市街地図を広げると、ピカデリー駅から「科学産業博物館」へは西に直線距離で2キロ弱だ。しばらく歩くと集合住宅が建ち並ぶ一角に来た。窓辺に植木鉢や洗濯物が見られ、生活のにおいが漂っている。日本人と思われる中年女性が階段から降りてきた。右手にごみ袋を提げている。髪は乱れ、疲れた顔で無表情に私に視線を向け、「もしや日本人?」と思ったのかどうか、立ち止まり私の顔をしばらく見ていた。

「イギリスで生活している」なんて日本で聞くと、理由もなく羨ましく思うが、この疲れた様子の彼女を目の当たりにすると、「いろいろあって外国で暮らすのも大変ですね」と、思わず声をかけたくなる。イギリス暮らしという羨望の気持ちはどこかにいってしまい、むしろ「そんなに疲れるのなら日本に帰っておいでよ」と、彼女の目を見ながら心の中でそんなことをつぶやくが「余計なお世話よ」と、一蹴されそうな鋭い視線が跳ね返ってきた。

 

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初期の蒸気機関

 

午後1時過ぎ、めざす「科学産業博物館」についた。1830年に世界で初めて鉄道が開設された当時のマンチェスターの駅舎が、そのまま博物館として利用されているという。玄関正面は、格子状のガラス窓が全面を被っている。灰色にくすんだ石造りの建物の中にあって、180年余り前にはさぞかしモダンだったろう。

産業革命時代の原動力であった巨大な蒸気機関が多数展示されているという、パワーホールと呼ばれる建物に入る。館内から大きな音がするので目を向けると、直径3メートルはある木製のドラムがゆっくり回転していた。食い入るように見ていると「産業革命のきっかけをつくった蒸気機関だよ」と、作業着姿の小太りの男性が説明し始めた。どうやらここの職員らしい。

マンチェスターはもともと綿織物工業が盛んだった。1785年に紡織機に蒸気機関が導入され生産量が大幅に伸びた。1830年に港町リヴァプールとの間に鉄道が開設され、マンチェスターで生産された綿織物がリヴァプールの港を経由して世界中に輸出されたという。「目の前にある機械は、その当時のもので今でもこうして動いている」と、自慢げに話す。

 

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鉄道建設工事の壁画

 

「鉄道関係は別の棟だ」と教えられ、広い敷地を次の展示場に向かっていると、見上げるばかりの大きな壁画が迫ってきた。手作業でレールを持ち上げたり、3本やぐらでレールを敷設したり、蒸気機関車を操作するなど180年以上前の鉄道建設の様子が描かれている。世界の鉄道の原点はここにありといわんばかりの力強さを感じ、時代の先端を目指す現場の息吹きを少しでも感じとれないものかと、しばらく足を止める。

鉄道展示館には、ジョージとロバートのスチーブンソン親子がリヴァプール、マンチェスター間を世界で初めて営業運転に成功した当時の機関車が展示されていた。もちろんレプリカだろうが車体は石炭の煤で黒ずんでいて、だいぶ使い込まれた様子だ。

展示場の一角に作業場があった。10人ほどの人たちが車輪を削ったり、コークスの炎で真っ赤になった鉄の棒を延ばしたり、車体に鉄の塊を取り付けたりと、まさに鉄工所の中にいるようだ。「ここで昔の機関車や車両、時には紡織機などの修理をしている」という。それも200年近く前の技法で。「当時の技術を継承するのが目的なんだ」と、作業員の一人がハンマーを振りかざす手を休めて、見学に訪れた人たちにこう話しかけていた。「博物館らしくないね」と誰かがいうと、「展示された機関車などを見るだけじゃなく、こうした作業を公開することも博物館の役割だ」と、おじさんは自信ありげに語気を強めていた。

 

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開設当時の切符売り場

 

別の展示室に鉄道開設当時のキップ売り場、改札などがあるというので出かけた。当時の駅舎は格子がなく、腰あたりの高さのカウンターが客と駅員を隔てている。白いワイシャツにチョッキという軽い服装の男性駅員2人がオープンカウンターの内側にいる。一人はすっかり禿げ上がった頭の中高年、もう一人は30代の若者で茶色のチョッキが似合っている。客はシルクハットに黒のコートを羽織った中年紳士。つばの広い帽子を深くかぶった子ども連れの女性。彼女は薄紫色のコートを身につけている。当時の服装をしたこうした等身大の人形が、180年余り前にタイムスリップさせてくれる。話し声や足音など当時の人々の息遣いが聞こえてくるようだ。列車に乗るのに、まるで晩餐会にでも行くかのような衣装を身につけている。もしかしたら、貴族とかお金持ちしか乗ることが許されなかったのかも。

最後に航空機館に寄る。セスナなど小型飛行機がそのまま展示されていた。子ども達が次々、操縦席に身を乗り出し操作レバーを握っていた。まるで遊園地にでも来たように子ども達の歓声がドーム型の館内にこだましている。その声を背後から聞きながら外にでた。

 

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声をかけてくれた青年

 

しばらく歩いていると、不審者に尋問するかのように若者が近づいてきた。青いベルトが巻かれたツバのある赤帽子に、白いワイシャツ、赤いネクタイ姿。一見、警察官風だが、どうやら「駐車料金徴収員」かも。黒いカバンをたすきがけに下げている。「どちらからですか?」と。背格好は私と変わらず、イギリス人にしては小柄だ。「日本からね。遠い所をご苦労さん。一人旅? でも、ベッカムはもうこの町にはいないよ。残念だね」と、ねぎらいの眼差しで見つめてきた。世界初の鉄道が敷かれた町というよりも、サッカー選手の方が知名度が上のようらしいので、「そうですね。せっかく日本から来たのに残念です」と、同情してくれた彼の目を見つめる。