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おじさんパッカー 英国編(17)

16.06.22

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さようなら エディンバラ

 

エディンバラからマンチェスターへ

 

急に目が覚めた。今日、エディンバラを発つというので緊張しているのだろうか。時計は5時を指している。窓は開け放たれままで、朝の冷気が容赦なく部屋に吹き込んでいて思わず身震いする。周りに目をやると毛布も掛けず上半身裸で横たわっている若者が多い。「さて、今日でこのエディンバラともお別れだ…」と、思っているうちにまた眠ってしまったようだ。

8時前、急に騒々しくなった。隣のベッドで寝ていた若者が、ボクシングのサンドバックのような太い棒状のリュックを担いで「バァ~イ」と、誰に言うでもなく右手を高く挙げ、勢いよく廊下に飛び出した。早くから自立心が備わっているのだろうか。日本なら親にくっついていそうな、まだ幼顔の残る若者たちが一人旅を続け、次々と大きな荷物を抱えて部屋を出て行く。

「どこかに出かけるの?」と、この宿で最初に声をかけてくれたスコットランド生まれという黒装束の若者が近づいてきた。「10時過ぎの電車でマンチェスターへ行くつもり」というと、「エディンバラどうだった。楽しめた? 私はもう少しいるつもりだ。来年もこの時期にはここにいるから、ぜひあなたも来なさいよ。待っているからね」と、旅支度をしている私の傍に彼はしばらく立っていた。

このユースホステルに到着の日、部屋に足を踏み入れると、何日も洗濯していない黒ずんだコートやセーターが、無造作にベッドの手すりにぶら下がっていた。床には脱ぎ捨てられた靴やサンダルが散乱している。目つきの悪い薄汚れた若者たちが部屋の隅にたむろし、物憂げな視線をいきなり浴びせられた時は、身の危険さえ感じた。

「とんでもないところに来た。こんなところに泊まって大丈夫か」と、その時の正直な気持ちだった。ところが、何日も起居を共にしながら飾り気のない若者たちと触れ合う内に、当初の不快感はしだいに消えた。年齢、国籍などを全く意識せず、気軽に話しかけてくるフレンドリーな若者たち。それは安宿でしか得られない貴重な時間だった。

 

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ウェイバリー駅 電光掲示板

 

エディンバラの石畳を踏みしめながら、駅を目指してゆっくり歩く。スコッチウィスキー蒸留所の前を通る。一気に飲んで顔を真っ赤にしていたおじさん。それを茶化していたおばさんたち。彼女たちはまだこの街にいるのだろうか。ウィスキーが並ぶショーウィンドーを眺めながら、その時の情景を思い浮かべる。

10時前、ウェイバリー駅に着く。あらかじめ調べておいた10時6分発のマンチェスター行きの電車が、電光掲示板に出ていない。「あれれ、これはどうしたことだ」と一瞬、青ざめる。駅員に聞くと「1番ホームだ」と、なに食わぬ顔。「電光掲示板に出ていないが」と畳みかけると、「そんなこともあるさ」と言い残して、さっさと行ってしまった。「『そんなこともある』はないでしょう。こちらは西も東も分からない日本人だぞ」、そんな恨み節を呟きながら、1番ホームを目指す。

 

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自転車置き場のある『1番ホーム』

 

車内は広くゆったりしていた。ガラス窓の上に幅5センチ、長さ20センチほどのプラスチックのケースが取り付けられている。座席によっては、そのケースに紙が挟みこまれていた。しばらく覗き込んでいると、「そこに書かれている駅から乗り込んでくる人の予約席だ。それまでなら誰が使ってもいいんだよ」と、ビール腹のおじさんが教えてくれた。プレートに紙が挟まっていない席に座る。ここなら、マンチェスターまで誰も乗り込んで来ないから安心だ。リュックを足元に置き、思い切り足を伸ばす。

イギリスの列車は、日本のように指定席と自由席の車両にきっちりと分かれているわけではなく、予約が入っている場合は座席の目立つところに指定席であることを示す紙が入っている。紙がない場合は自由席として、誰でも座ることができるようだ。つまり予約が入った座席のみ、指定席になるという仕組みらしい。

電車は定刻通り走り出した。谷底から見上げると、煤にいぶされたような薄汚れた建物が線路の左右を壁のように被っている。遠くに視線を移すと、カールトンヒルやアテネのパルテノン神殿を模したナショナルモニュメントが見える。エディンバラに来た時に見た同じ景色が「またおいでよ」と、声をかけてくれているようだ。その時、「来年、待っているからね」と言ってくれた黒装束の若者の顔が浮かぶ。でも二度とここに来ることはなかろう…、そんな思いを重ねながらエディンバラの街を離れる。列車はエディンバから大西洋側にそって、ひたすら南下する。車窓には緩やかな草原がどこまでも広がっている。地平線の彼方に珍しく山が見える。どれも裾野が広くなだらかだ。

 

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ピーターラビット』ネットより

 

12時7分、カーライル駅に停車した。湖水地方と呼ばれ有名な保養地の玄関口だ。温泉もあるとあって、中高年の人が列をなしてホームに降りたった。向かいの席のおばさんが声をかけてきたので「日本から来た」というと、「『ピーターラビット』知っているでしょう」と、顔を近づけてきた。美しい山と湖に囲まれ、豊かな自然の残る湖水地方は、ピーターラビットのお話しの舞台となったところのようだ。作者であるビアトリクス・ポターが半生を過ごした土地として有名で、彼女の住んでいた家も残っているという。

湖水地方を目指す客が下車して、車内はがらんとしてきた。風景は右を見ても左を見ても、草原一色。何時間走ってもほとんど変化がない。放牧された牛や羊がのんびり草を食んでいる。逃げ出さないように高さ、幅が1メートルほどの石垣が丘の頂に向かって一直線に延びている。こんな程度の高さでよく飛び越えないものだと不思議だ。電車はひたすら、南へ向かっている。時折、農家の黒っぽい屋根の人家に混じって、工場や建築中の住宅が見え隠れしている。

13時過ぎ検札がきた。それも何の前触れもなく。駅員は赤いトレーナーに赤い帽子。周遊券を差し出すとしばらく書面に目を落とし、黙ったまま無表情にたち去った。「ありがとうございました」と、愛想よく声掛けをする日本の駅員とは違う。乗せてやっているのだとでも思っているのだろうか。よく見ると座席の窓枠下にコンセントがあるじゃない、さっそくカメラの充電をする。

 

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マンチェスターに到着

 

17時25分、定刻通りマンチェスターのピカデリー駅に到着。ガラス張りの駅舎。陽射しがまぶしい。スコットランドの暗くて重苦しさから解放されて、南国に来たかのようだ。街に出てすぐさまホテルを物色する。よく晴れていて、暑い。駅から10分ほどの所に、ホテルの看板を見つけ飛び込んだ。指示された部屋は、洗面所、バスタブ、トイレもある。値段が高いだけあって、昨夜までの収容所のような宿舎とは違った。部屋も広い。さっそく、バスタブに溢れんばかりに湯を満たし、両手、両足を伸ばしゆったり体を沈めた。たまにはケチケチから離れて、大名気分を味あわないと。気分は最高。ベッドに大の字に横たわったら、急に睡魔が襲ってきた。