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おじさんパッカー 英国編(15)

16.06.22

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「禅の庭」銘板

 

グラスゴーの石庭と少女3人組

 

ロンドンが東京ならエディンバラは古都京都、グラスゴーはしいていえば京に近い大阪ですか。
グラスゴーは、エディンバラから西に70キロのところにある。エディンバラが歴史ある古い建物が建ち並ぶのにくらべ、グラスゴーは新しいビルが林立し今も発展著しい商工業の町で、スコットランド最大の都市である。人口は約75万人(エディンバラ約38万人)で、ロンドン、バーミンガム、リースに次いでイギリス第4の都市でもある。

午前11時前、グラスゴーの中心にあるクィーン・ストリート駅に降り立つ。駅前は大理石だろうか一面、白っぽい石が敷き詰められた広場になっていた。広場の真正面に豊かなたてがみをなびかせたライオンの石像が、活力ある都市を象徴するかのように鎮座している。駅近くの新聞売り場をのぞく。15種類ほどあった。「日本語の新聞は?」というと、「そんなのないよ!」と、そっけない返事。腹立ちまぎれに、「アラビア文字の新聞があるのに…。日本の新聞がないなんておかしいよ」と、日本語で言ってやったら売り場のオヤジさんは、一瞬怪訝な顔をし、そしてにっこりと愛想笑いをした。

 

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聖マンゴー宗教博物館

 

東の方向に大聖堂やプロバンド領主館などグラスゴーの歴史地区があると知り、歩き出す。北国スコットランドには珍しく太陽が顔を出している。フリースの長袖を着込んでいるがそれでも寒い。夏でこうだと冬はどんな具合だろうかと想像がつかない。緩い坂道を30分ほど登る。振り返ると目の下にグラスゴーの街並みが広がっていた。「ここに行きたいのですが」と、ガイドブックの写真を差し出す。仕事帰りなのかどうか、疲れた顔をした中年のおじさん。「どれどれ」とメガネをポケットから出し、「ああ、この先だ。大変だろうがこの坂を20分ほど登るんだなあ」と。見上げると、そこからさらに急な坂道が続いていた。

ガイドブックに紹介されていた聖マンゴー宗教博物館の前に立つ。館内に足を踏み入れると、目の前に十字架や表紙がよれよれの古びた聖書、イエスの肖像画などキリスト教にまつわるものや、東南アジアやインドの仏像も展示されている。日本の雛人形もあった。ヒンズー教やバラモン、また、回転させることで経文を読んだとされるという、円筒部分に経典を納めたチベット仏教の「マニ車」によく似たものもある。そんななかで目を引いたのが、ダリが描いた「十字架のキリスト像」だ。キリストが十字架で息絶え、うなだれている姿を上方からの目線で切り取ったもの。背中から肩口にかけて力なく崩れるキリスト。これまでに見た十字架のキリスト像は正面ばかりだったので、顔のないキリストは鮮烈だった。

 

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ダリの「十字架のキリスト」(ネットより)

 

博物館の中庭に日本庭園。それも竜安寺の石庭を思わせる白い小石に大小の岩を配したものだ。こんなところで日本を感じられるなんて、最高。正面にしつらえた巨石に『人間空間 禅の庭 設計施工田中安太郎 1993年春』とある。庭の真ん中に佇む。館内は人が溢れているのに、なぜか中庭の庭園には人の姿がない。「無駄なものをそぎ取った簡素な造り。西洋人にはわからんだろうな。かわいそうに」と、京都の寺院に身をおくように、静寂な時間にしばらく浸る。修行中の禅僧になった気分だ。

「こっち、こっち。早く、早く」。静寂を破る突然の奇声で、夢想していた京都からここグラスゴーに引き戻された。地元の女子中学生らしい3人組が、禅の庭をけたたましく駆け抜ける。「ここがいい」と、庭石をテーブルに弁当を広げた。静かな時間を破られた腹いせに言ってやった。「君達、ここをなんと思っているの。禅の庭だよ。黙って瞑想する場所なんだ」。サンドイッチを口に挟んだまま、「ここは庭でしょう。庭で食事して悪いの?」、「ここは、庭でも普通の庭じゃないんだ。特別なんだ」、「おじさん、中国の人?」、「日本人だ。この庭は日本人が造ったんだ。グラスゴーの人たちに禅の心を理解してもらおうと思ってね」、「『ゼン、ゼン』って、何のこと?」、「禅とはね、雑念を捨てて心身を統一することさ。目をつぶって自分の心に問いかけるのさ。気持ちがすっきりするよ」、と目をつぶる真似をすると、「変なおじさんね」と言い残して、彼女たちは不機嫌な顔で立ち去った。
なにか悪いことしたか? 禅の庭で禅を語ってどこが悪いの。いやはや京都ならともかく、こんな話はスコットランドでは場違いだったようで、彼女達にすっかり嫌われてしまったようだ。

 

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石 庭

 

博物館と道を挟んだ向いに、古びた教会があった。木立に囲まれひっそりと佇んでいる。苔むした石の壁、薄汚れた石柱にこれまでの長い歴史が感じとれる。6世紀、聖マンゴーによって造られたこの教会からグラスゴーの街が始まったといわれている。大聖堂の創建は12世紀になってから。その後何度も増築され今の形になったのは15世紀のことらしい。宗教改革の時、スコットランド中のほとんどの教会は破壊されてしまったが、この大聖堂はそれを免れて現存しているものの一つだという。

そんな解説を目にしたあと、教会の入り口に立つ。係りの女性が「今は昼休み。13時から入場できます」と、すげない返事。「教会に昼食休憩があるの? 会社じゃあるまいし」。思わず日本語で口走る。受付の女性は、「アイム ソーリー」と。まさか日本語が分かったのじゃあるまいしね。私の不機嫌な顔が彼女にそう言わせたのかも。
近くの古びたベンチに腰を下ろしていると、「あらっ!」と、禅の庭にいた女子中学生3人組と顔を合わせた。小難しい話をしたので、すっかり嫌われているものとばかり思っていたが、さにあらずだった。「おじさんも大聖堂を見物するの?」と、笑顔で近づいてきた。
「昼休みだって、断られたんだ」、「日本って中国大陸の東の端だよね」、「中国大陸の東だけど、海で隔てられているのだ。イギリスと同じ島国だよ」、「何? 陸続きじゃないの!」、「君達、学校で習ったでしょう」、「そんな極東の国なんか知らないわよ」と、また彼女達を不機嫌にさせてしまった。それでも、「大聖堂をバックに写真撮ってあげる」、その中の一人が私からカメラを受け取ってシャッターを押してくれた。もう二度と会うことはなかろう彼女達と、わだかまりなく別れることができてほっとする。私も精一杯の笑顔をつくった。

 

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グラスゴー大聖堂

 

午後1時きっかり、グラスゴー大聖堂に入る。どこからか聴こえてくるパイプオルガンの演奏にしばらく耳を傾ける。ステンドグラスからもれる光を頼りに祭壇を目指す。軽く一礼する人、手を合わせる人、十字を切る人、ひざまずく人、それぞれ思い思いに祈りを捧げている。祭壇のまん前に腰を下ろす。堅い木の感触と染み入る冷気で心が引き締まる。この教会も薄暗くて目が慣れるまで周りがよく見えない。疲れが出たのか眠気に襲われ、一瞬うとうとする。

ようやく目が慣れてきた。高いアーチ型の天井、それを支える太い柱、大きな窓と極彩色のステンドグラスは「荘厳」という言葉が本当にふさわしく圧倒される。地下に足を運ぶ。湿った空気の臭いが体にまとわりつく。ひときわ大きい石造りの棺が正面に据えられていた。この教会の始祖、聖マンゴーのお墓らしい。遺体が今もこの石室におさめられているのだろうか。石の棺に額をのせて祈りをささげる人たちが絶えない。
出口近くの頭上に人の動きがある。どうやらパイプオルガン奏者のようだ。肩を左右に揺らしながらの演奏が、シルエットのように天上に浮かんでいる。