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おじさんパッカー 英国編(10)

16.06.22

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エディンバラ市街 中央にウェイバリー駅

 

エディンバラへ

 

10時34分の列車でヨーク中央駅からエディンバラをめざす。暖房のきいた車内はむし暑い。「7月半ばこの時期に暖房なんて」と、日本の夏を思い浮かべているが、緯度の高いこちらでは秋風が吹き、朝晩は確かに冷える。海が見えた。北海だ。列車は海岸線をひたすら北に進んでいる。空も海も濃い灰色に塗り込められ、光のない寒々とした光景がどこまでも続く。まるで能登半島の晩秋の海岸線を眺めているようだ。冷たい雨が窓ガラスを濡らす先には、レンガ色の家々が散在する小さな集落が目に入る。暗くて寒々とした車窓の風景が人々の心を閉ざすのか、乗客は黙りこくったままだ。しばらくするとイングランドにはなかったそそり立った山々の峰が連なっている。風景が立体的になってきた。どうやら北方の地、スコットランド地方に踏み込んだようだ。
めずらしく車内にアナウンスが入った。雑音まじりで聞き取れないでいる私の不安げな顔を見て、「大丈夫。心配しないで。そろそろエディンバラよ」と、向かいの席のおばさんが優しい眼差しを送ってきた。エディンバラには、ウェイバリー駅とヘイマーケット駅がある。どちらで下車すべきか迷っていると「そりゃウェイバリー駅よ。エディンバラ城にも近いし、何といっても街の中心だもの。私も降りるわよ」。おばさんの一言で決まった。おばさんは外国人であろうとなかろうと、分け隔てなく親切でおせっかいだ。これまでの旅でおばさんにどれほど助けられたか。おばさん万歳だ。

 

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ウェイバリー駅ホーム

 

13時過ぎ、スコットランドの首都エディンバラ、ウェイバリー駅に滑り込んだ。「よっこらしょ」の掛け声でおばさんが立ち上がった。「元気でね。ところであなたどこの国の人?」何時間も一緒だったのに今更と思いながら「日本からです」。「はて? 名前は聞いたことあるけど…、日本ってどのあたりかな?」、そう言いながら両手にカバンを提げホームに降り立ち、「じゃネ~」と、出口に向かった。大きな背中が瞬く間に、人ごみに消えていった。
おばさんを見送った後、しばらく降り立ったホームに佇む。ホームは窪地になっていて、見上げると両側から石造りの古びた建物が覆いかぶさるように迫っている。かつての蒸気機関車の煙ですすけたのだろうか、どれもが黒ずんで見える。目を遠くに移すと、今にも崩れ落ちそうな切り立った崖っぷちに、円筒形をした城壁がかろうじて建っている。視界に入るあたり一面は古色蒼然とし、中世にタイムスリップしたようだ。谷底にある駅は、日があたらず薄暗い。駅構内を行き来する乗降客も、黒っぽいジャンパーに身を包み、気のせいか背を丸くし、うつむき加減に足を運んでいる。
駅の外に出た。冷たい風が頬にぶつかり、思わずジャンパーの襟を立てる。「まずは今夜の宿だ」と駅近くの観光案内所に足を踏み入れたが、蛇のように曲がりくねった順番待ちの行列が入り口近くまで伸びている。でもよく見ると、せいぜい30人くらいといったところだろうか。最後尾に立つ。窓口は5つもあるのでたいした時間はかかるまいと、腕時計に目をやる。ところが1時間たっても10人と進まない。観光客は自分の順番がくると、リュックを肩から外し、かばんを足元に置き、窓口のカウンターに覆いかぶさるように体を乗り出し、笑顔を交えて話しはじめる。

 

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馬上の警察官

 

「宿を探しているのですが?」とでも言っているのか、係の人は席を立ちパンフレットを手にして戻ってくる。場所のこと、値段のこと、部屋の飾り付け、窓からの眺望まで注文しているようだ。係員は、観光客の注文にそのつど席を立ってパンフレットを取りにゆく。時には、ドアの向こうに行ったまま10分くらい戻ってこないこともある。別の窓口では、旧知の仲のように親しく世間話をしている。何時間も後で待っている人たちがどのような気持ちでいるのかなんて、頭にない。アパートを探しているんじゃないんだから……と、怒れてくる。3、4人と複数で旅しているグループが相談しているときは大変だ。そこだけでゆうに1時間近くはかかる。ああでもない、こうでもないと、全員の合意を得るまで係員も笑顔を交えて根気よくつきあう。それがこの国のルールなのだろう、文化なのだろうが、いいかげんにしてほしい…、と思ったってどうしょうもない。“郷に入れば郷に従え ”我慢強く待つとしょう。
3時間ほど待たされてようやく私の順番がきた。「1泊50ポンド位(約1万円くらい)、朝食付、駅から歩いて10分以内の所をお願い」と話すと、「明日からフェスティバルがあってこのあたりの宿は混んでます。少し離れますが1泊90ポンド(約1.8万円くらい)ならありますよ」と。しばらく逗留するつもりでいるので、バックパッカーには少々贅沢だとそろばんをはじき即座に、「ノーサンキュー」と席を外す。その間わずか3分ほど、私の後ろにいた若い女性が「もう終わったの」といった顔で私に視線を向けた。
相談時間が長いのは、「これだけ待たされたのだから、自分の番がきたら納得ゆくまで相談にのってもらおう」とでも思っているのだろうか、無意識のうちに。それは報復の論理に似ている。これだけ待たされたのだから、同じ時間かけて相談するのは当然だ。そんなことかも…。どうりで、文句一つ、嫌な顔一つせず、苛立つそぶりもなく、皆さん静かに行列をつくっている。それより、自分の考えを整理しておきポイントだけ相談して、すばやく次の人に譲るというほうが、全体としてより多くの人が窓口を利用できると思うのですが。「このパンフレットを見て選んでください」、「それでしたらあそこで聞いてください。…はい、次の方どうぞ」と、てきぱき交通整理をする日本の観光案内所がピカピカ光ってまぶしかった。

 

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キャッスルロック

 

日本から持ってきていたガイドブックに「キャッスルロック」という安宿が紹介されていたので、そこを目指すことにした。広い通りに出た。馬にまたがった警察官がペアでパトロールしているところに出くわす。さしずめ日本のパトカーでの巡回だろう が、パトロールホース、略して「パトホ」か。しばらく足を止め、古びた石造りの前を闊歩する栗毛の馬と馬上の警察官をもの珍しそうに交互にながめる。
行き交う人に教えられた道をホテルを目指して20分ほど歩く。狭い小路のトンネルを抜けると目の前に切り立った岩肌が砦のようにせり上がっている。見上げると頂にエディンバラ城が巨大な漬物石のようにどっしりと座っていた。近くのみやげ物屋のおじさんに声をかけると「そこだよ」と、右手をあげた先に白い窓枠が鮮やかな2階建ての石造りの古びた建物が目に入った。狭い入り口に人がひしめきあっている。それもバックパッカー風の若者ばかりだ。カウンターの3人の若者が手際よく客からの要件を裁く。何時間も待たせる駅前の案内所とはえらい違いだ。宿泊料金一泊15ポンド(約3千円)だという。
部屋名を告げられただけでルームキーも何もない。短パン、Tシャツ、肩まで垂らした金髪の少女が、「案内してあげる」と階段を下りて行ったので、リュックを肩に彼女の後につく。2メートルほどの廊下を挟んで、教室のように部屋が並んでいる。扉もガラス窓も開け放たれ、部屋の住人に限らず誰でも出入り自由だ。プライバシーを重んじる英国紳士からは想像できない。まさに雑魚寝の巣窟だ。「英国紳士はこんな安宿には泊まらないか」。プライバシーも金次第ということか。恐る恐る部屋に足を踏み入れ る。2段ベットが6個(12名)が壁際に押し付けられるように並んでいた。床には宿泊客の荷物や靴が散乱し、雑然としている。ここで数日過ごさなければならないのか…、安いとはいえ、尻込みしそうだ。

 

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エディンバラ城

 

黒いマントに黒い帽子と全身黒装束の若者が、いきなり握手を求めてきた。「私スコットランド人。あなた何人?」。20代だろうが顔中ヒゲをつけ、落ち着いた物腰でいやに大人びている。「日本人」という私に、「ジャパ~ン」と、おおげさに語尾を上げた発音で目をくりくりさせた。「ここ私の家」と、黒っぽいカーテンで被われた窓際のベッドを指さした。衣装箱のようなものが床に置かれ、靴箱まであった。「1週間以上ここにいる。毎年この時期、ここで生活するんだ」と、神妙な顔つきで私を見た。どうやらこの安宿を生活の拠点にして、エディンバラ周辺を巡っているようだ。「スコットランドの本当のよさは冬だね。それも北極圏に近い北の方がいいね。今度来るときはそうしなさいよ」と、あごひげに右手を添え初対面に関わらず親しげに話す。
イギリスは4つの国からなっているという。ロンドンのある「イングランド」、西のアイリッシュ海に突き出た「ウェールズ」、アイルランド北方に位置する北アイルランド、そしてここエディンバラのあるスコットランド。かつてはそれぞれが独立国だった。「スコットランドは特別さ。独自の貨幣だってあるんだから。ラグビーだってイングランドの腰抜けどもには負けやしないさ」と熱弁を振るい出した。イギリスからの独立も考えているというスコットランド。エディンバラ城を基点にこれまでもイングランドとの戦いの歴史があり、現在でも対抗心を燃えたぎらせている。「いま着いたばかりで、また後で」と話をさえぎり、ベッドに上りリュックを広げる。しばらく私の様子を見ていたが、いつの間にか彼は姿を消した。
荷物の整理を終え、セカンドバックひとつで街に出た。ユースホステルの玄関先に岩山が迫っている。見上げるとエディンバラ城の石壁がひさしの様に岩山から突き出ていた。