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おじさんパッカー 英国編(5)

16.06.22

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ヨーク・ミンスター

 

中世の街 ヨークへ

 

洗顔をすませ、階下の食堂に顔を出す。すでに20人ばかりが席についていた。配膳室あたりにいた20歳前後の男性が、私が席につくなり近づいてきた。「ソーセージは焦げ目をつけますか」とか、「玉子は目玉焼きか、それともスクランブルか」とか、「パンの焼き具合は」などと、ちくいち伺いをたてる。5つ星レストランでもあるまいし、たかが朝食ぐらいでどうかと思うよ。でも昨日のドーバーの民宿でマスターがうやうやしく話しかけてきたところをみても、高級ホテル、安宿に限らず客に伺いを立てることはこの国、大英帝国の作法なんだろうか。食事中も配膳台の前からウェイターがこちらに視線を向けている。「どこから来たんだろうか。この先どこへ行くのだろうか。言葉も十分じゃなさそうだから心配だなあ」、なんて小柄な東洋人を気にかけていてくれるのは有難いが、こちらとしてはそんなに見つめられたらゆっくり食事もできやしない。「ほっといて頂戴」と言いたくなる。

 

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送迎バンドサービス

 

フロントに鍵を返却し、リュックを背負って外に出る。朝早くに雨が降ったのか路面に水溜りができていた。ほどなくノッティンガム中央駅に着く。通勤時間帯を過ぎ、駅構内はがらんとしていた。城壁に取り囲まれローマ時代の都市国家の面影を今も残るイングランド北東部の街「ヨーク」に向かう。10時9分、電車は静かにノッティンガム中央駅を離れ、30分ほどで乗換駅のダービー駅についた。ホームがいやに騒がしい。ブルーのチョッキに白いシャツ。丸いつばの帽子を被った男性4人組が、マーチングバンドよろしく大音量で列車に向けて演奏しているじやない。「あれなんですか?」と、近くの人に声をかけると新婚旅行、転勤、旅立ちなどを盛り上げてくれる「送迎バンドサービスだ」という。お別れの音楽と色テープで別れを惜しむ大型客船の見慣れた光景はわかるが、こんな小さな駅でよくこんな商売が成り立つものだと、しばらくその場に立ち尽くす。
イングランド北部に向かう車窓は、見渡す限りの牧草地。馬、牛、羊と区分ごとに群れが点在している。行けども、行けども、起伏のない単調な景色ばかり眺めていると、日本のように山あり、川あり、谷ありと変化に富んだ荒々しい風景が恋しくなってくる。12時半、ようやくヨーク中央駅に列車が滑り込んだ。線路やホームはもちろん、ホーム間の陸橋まで大屋根で被われたドーム駅だ。見上げるとガラス屋根から、やわらかい陽射しが注いでいる。古びた鉄骨の柱、煤でくすんだ壁が周囲を取り囲み、何十年も前に見た子どもの頃の素朴な日本の鉄道駅がここにあった。陸橋ですべてのホームが繋がっていて、陸橋に上がるとまるで3階席から見下ろすように全ホームの列車の発着や乗降する人々の動きが一望できる。

 

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ヨーク中央駅構内

 

駅の外にでる。時代を感じさせる黄土色の古びた駅舎が「ようこそ ヨークへ」と迎えてくれているようだ。「どうかね」とおじさんが背後から声をかけてきた。驚いて振り向くと左手に『ビッグイシュー(The Big Issue)』を高く掲げている。この雑誌はホームレスのみが販売できるもので、ホームレスの社会復帰のために1991年にイギリスで創刊されたもの。現在では世界各国で翻訳され販売されている。いつだったか名古屋駅で日本語版の「ビッグイシュー」を手にしたおじさんに声をかけられたのを思い出した。「本場イギリスのビッグイシューを買ったか?」って、買わなかった。右手に持った冊子を高々と振りかざし「買いなさい!」と、黒っぽいジャンパーを着たヒゲ面のおじさんに威圧されながら、目線も合わせず逃げるようにその場を立ち去っていた。

 

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ヨーク中央駅前

 

まずは昼飯と宿探しが先だ。整備された街にいても心は野生動物だ。今日生きることだけに神経をすり減らしている。地図を見ると、安宿は駅の北1キロほどの所に点在しているとある。「よっこらしょ」とリュックを背負い歩き出す。30分ほど行くと街並みが切れ、果樹園や麦畑など田園風景が広がっている。こんな所に宿はあるまいと、疲れもあって駅の方に引き返しベンチでガイド書を広げる。先ほどの雑誌売りのおじさんが、髪を振り乱して道行く人を追っていた。このおじさんもわたし同様、今日一日の糧を得るため必死なんだ。多少の金がある私の方がまだ気が楽か。おじさんに見つからないように人ごみに紛れ、駅前を抜け街の中心部をめざす。

 

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街中に延びる城壁

 

駅と目の鼻の先に石造りの城壁が張り巡らされている。高さ10メートル近くはある。ところどころ切れ目があり、バスや車が城壁の中へ向かってゆく。城壁内は旧市街と呼ばれ何百年も前の建物で埋まっていて、中世がそのまま残っているようだ。規模は小さいが万里の長城のようにうねりながら町を分断している風景は、不思議をこえて異様な景色だ。それにしても、壁が障害になって町の発展が損なわれているのじゃないのかと、余計な心配をする。
塀の脇に沿って30分ほど歩くと、壮大な建物にぶつかった。イギリス最大のゴシック建築「ヨーク・ミンスター」だ。英国最大の大伽藍をもつ聖堂のひとつだと紹介されている。建物の周りはイギリス各地から来た礼拝者や観光客でごった返していた。彫刻が無数にちりばめられた荘厳な外観に見とれ、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。「そうだ。宿探しだ」と、我に返る。大聖堂を取り囲むように古びた商店街がある。その一角に「B&B(ベッドと朝食付き宿)」の看板を見つけたが周りを見渡しても人の気配が感じられないので、色あせたドアをノックする。しばらくして、「ヤア」と40過ぎの男性が顔を出した。「部屋なら空いているよ」と、マスターらしきその男性が私の顔を見るなり言った。「いくらですか」と、玄関先で話すと「1泊35ポンド(約7千円)」と無表情に答える。大聖堂と目と鼻の先のこんな観光地でこの値段なら悪くないと思い、「じゃあ、お願いします」と足を踏み入れる。8畳ほどの部屋に案内された。正面にレンガで枠どりされた暖炉がある。使われた様子はなく、部屋の飾りのようだ。その上にキリスト生誕のような宗教画が掛けられていた。窓のカーテンを引くと目の前に大聖堂が迫っている。目線を移すと、遠くまで石造りの古い建物が連なり、赤茶けた屋根がどこまでも広がっている。部屋にコーヒーと湯沸しポットが用意されていた。窓辺に身を寄せて古びたヨークの街並みを眺めながら温かいコーヒーを口にし、ほっと一息、安堵の気持ちに浸る。

 

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宿の部屋

 

街に出ようと階下に降りると「あなたの国は?」とマスターが声をかけてきたので、街の情報を得ようとマスターと少し話す。「ヨーク(York)は人口19万人ほど。これといった産業はなく、ローマ時代からの城壁や大聖堂、中世の街並みがこの街の売りだね。まあ、観光で成り立っている町さ」。「ところで、新しいヨークとかでアメリカのニューヨーク(New York)とこの町は関係があるの?」と話を移すと、「詳しいことは知らないが、全く関係ないとは言えないようだよ。もともとニューヨークはオランダの植民地で、『ニューアムステルダム(新しいアムステルダム)』と呼ばれていた。ところが340年ほど前にイギリス軍が侵攻し、オランダをその土地から追い払った。当時のイギリス国王であったチャールズ2世は、その地を弟のヨーク公(後のジェームズ2世)に与えたので、『ニューアムステルダム』は『ニューヨーク』と改称された。そのヨーク公は、当時、ロンドンに次ぐイングランド第2の都市であったこのヨーク市一帯の領主ということだからね。少しはこの町と関係あるのじゃないかと思っているんだけど。知名度や経済力、政治力、何をとってもニユーヨークとこのヨークとは比較にならないけどね」そう言うと、マスターは肩をすぼめて席を立った。