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おじさんパッカー 英国編(3)

16.06.22

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ロンドン ヴィクトリア駅

 

ノッティンガムへ

 

6時30分起床。ガラス窓の向こうは雲が重く垂れ込めている。洗顔をすませ、階下の食堂へ。マスターが私の顔を見るとエプロンがけでやってきて、なにやら話し始めた。朝から雑談でもあるまいしと、しばらく耳を傾ける。どうやら調理方法を私に問うているのだ。「玉子は蒸しますか、炒りますか」、「玉子焼きでしたら、半熟それとも…」、さらに「パンは焦げ目をつけますか」などなど、こと細かに注文をとる。「お腹がペコペコ。何でもいいから出して頂戴」と思っていても、とにかくはっきり意思表示をしないと次に進まない。これだけ丁寧に注文をとったのだから、さぞかし凄い朝食がテーブルに並ぶんだろうと心が弾む。10分ほど待たされ、マスターがうやうやしくテーブルに運んできたものは、玉子焼き、ソーセージ3本、生ハム2枚、コーンフレークの4品と本立てのように仕切られた金具に、三角形にカットされたパンが5枚挟まれていた。「たったのこれだけ?」と、思わずマスターの顔を覗き込み口をつきそうになる。
部屋に戻り荷物をまとめ、駅に向かう。玄関先までマスターが顔を出し、手を振って送ってくれた。「ロンドン行きの電車は?」と電光掲示板に目をやると、「オン タイム」と表示されているだけで、電車の時刻表示はない。「どういうこと?」と駅員に声をかけると、「時刻表どおりに運転されているのでご安心を」と戻ってきた。「じゃあ時刻表は?」と、辺りに視線を移すと1時間に3本程度のダイヤが記されたボードが天井近くにぶら下がっていた。

 

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イギリス鉄道の旅スタート

 

ドーバーから1時間少しでロンドン、ヴィクトリア駅に列車が滑り込んだ。イギリス各地から集まってくる人たちなのだろうか、駅構内はこれまで見たことがないほどの人で混み合っていた。私のような外国人や、地方からロンドンにやってくるおのぼりさんもいよう。さてAさんのいるノッティンガムへはと駅員に訊ねると「セント・パンクラス駅から出ている」と無表情で答える。東京や名古屋、大阪などにみられるような何本もの線が集約されたターミナル駅はロンドンにはない。例えば、スコットランドのエディンバラなど北部方面はキング・クロス駅、マンチェスターなど北西部方面だとユーストン駅、バースなど南西部方面はパテイントン駅などのように、行き先別にロンドン市内のこれらの駅に移動しなければならない。そこで地下鉄でセント・パンクラス駅に向かおうと自動改札にキップを差し込んだがバーは開かない。戸惑っていると、見かねて飛んできた駅員がすばやくキップを引き抜いた。日本と違ってキップをとらないとバーが開かない仕組みなんだ。後ろに続く若い女性に「ご迷惑かけました」とペコリと頭を下げると、「どういたしまして」と、吸い込まれそうな笑顔が戻ってきて思わず彼女を見つめた。

 

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ロンドンの地下鉄

 

初めて見るロンドンの地下鉄は、まるで大口径の下水管に似た丸い形をしている。ロンドンっ子は地下鉄のことを「チューブ(管)」というが実物を見て納得だ。トンネル断面に合わせるように電車も小ぶりだ。背後から押し込まれるように乗り込んだ。入り口付近の人は天井に頭がつかえるので、曲面に沿って首を折り曲げ、窮屈そうに立っている。停車のたびに次々乗り込んでくる乗客で押しくら饅頭のように押しつぶされそうだ。ロンドンの地下鉄は150年ほど前に運行が開始された世界最古のものだという。日本の幕末期と重なり、黒船来航、安政の大獄、薩長同盟など、国が大きく揺れ動いている時代に地下鉄が走っていたなんて驚きだ。その当時、掘削技術も機械もなく、おそらく人海戦術で掘り進んだものだろう。その後延伸され150年後の現在、総延長距離は約400km(250マイル)を超え、東京、大阪間の直線距離(403キロ)に匹敵するという。
15分ほどでセント・パンクロス駅に着いた。この先、東海岸を北上しスコットランドから西海岸を南下してロンドンに戻ってきた時の宿をと、Aさん宅へ行く前に大英図書館近くの「セント・パンクラスユースホステル」に顔を出す。ドアを開けるとフロントにいた20代の青年が、「コンニチワ」といきなり声をかけてきた。それも日本語で。空きベッドはあるという、思わず顔がほころぶ。夏休み、きっと満席で駄目もととなかば諦めていただけに、小躍りするほどうれしかった。というのはロンドンのホテルはどこも、物凄く高いと聞いていた。ここは1泊で23ポンド(約4600円)と割安だ。それも朝食つきで。さっそく5泊分前払いする。これでこの旅を締めくくるロンドンの宿は確保された。それもお値打ちに。浮き立った気持ちで小走りにセント・パンクロス駅へ向かった。

 

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原子力発電所

 

窓際に席をとり、発車間際に駆け込んだのでしばらく息を整えた。高層ビルや赤い屋並みで埋め尽くされる車窓の風景が続く。しばらくすると建物が消え、雨上がりでしっとり濡れた木々の緑が一面に広がり始めた。ロンドン市街を抜け田園地帯を駆け抜けている。磁石を取り出すと、列車はほぼ真北の方向に進んでいる。壷を伏せたような白いコンクリートの筒が、なだらかな草原に突然、現れた。それも8本も。筒の先から白い蒸気のような煙がなびいている。「これって、原子力発電所の煙突じゃないの」と、食い入るように眺めていると、向かいの中年女性が「アトミック…」と話しかけてきた。「原子力発電所よ。自然一杯のこんな所に、どうかと思いませんか」と。「排気ガスがないクリーンエネルギーだからと、このところあちこちに建設されているのよ」。眉間にしわを寄せる彼女の顔は曇っていた。「チェルノブイリの原発事故で、イギリスも放射能を浴びているというのにね。あなたはどう思いますか」と。はてさて彼女は初対面の私をイギリス人とでも思っているのだろうか。とんでもない、昨日、生まれて初めてイギリスの土を踏んだ日本人だ。しかも英語も心もとない還暦を過ぎた老人なんだけど。でもうれしいね。旅を続けて1ヶ月半ば、それなりの風格が備わってきたのかなあ、とニンマリ。ひとのいいおばさんは、「どう!」と、小粒のチョコレートを2個差し出した。「ところであなたどちらから?」。私の反応が鈍いものだから、こりゃ他所ものじゃないかとおばさんは気づいたようだ。「日本からです」と答える。「ヤォ~」と、おばさんはすっとんきょうな声をあげた。いまのいままで、私をイギリス人だと思っていたんだろうか。背格好といい、脇にあるリュックといい、よそ者は一目瞭然なのに。世界を制覇したという自尊心の強いイギリスの人は、人種をこえ国を超えて世界中で英語が話され、イギリスのことを世界中の誰もが知っているとでも思っているようだ。車掌が座席のごみを集め始めた。乗客も協力し、見る見るうちにビニール袋が一杯に詰まった。まもなく終点、ノッティンガムに到着だ。ガイド書や地図などをリュックに詰め、下車の準備を始める。