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おじさんパッカー 英国編(1)

16.06.22

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ドーバー「チョーク壁」

 

イギリス上陸

 

9時半、チェックアウト。フロントの青年が「お別れですね」と笑顔で声をかけてくれた。部屋から日本の自宅へ電話したのを告げ、「電話料金を」というと、いいですよとの返事。儲かっちゃった。ホテル前の小さな公園を抜けブリュッセル中央駅に向かう。珍しく空が明るい。朝の陽射しが古びた石造りの町を包んでいる。急ぎ足で駆け抜ける人、立ち話する人、窓から顔を突き出し道行く人に声をかけている人など、普段着の街がそこにあった。
10時12分、電車は定刻通りブリュッセル中央駅を静かに離れた。通勤時間帯を外れ、車内は空席が目立つ。突然、けたたましい声がした。通路を挟んだ隣の席に、70過ぎの女性4人組が陣取っている。仲良しグループなのだろうか、まるで女学生の頃に戻ったかのように、カバンからお菓子を取り出し修学旅行気分だ。喋るわ、喋るわ、甲高い彼女たちの声が天井に響き渡る。途中2回乗り換え、ようやく13時17分、定刻どおりフランスの港町カレー駅に到着。すぐさま案内所に立ち寄る。30前後の女性に「カレー港まで歩いてどのくらいですか」と声をかけると「………(無言)」。駅近くに港があるものと勝手に思い込んでいたので、私の質問に彼女が戸惑っている様子だ。怪訝な顔で私を見つめていた彼女は、気を取り直したように「そこにバス停がありますから、そこから」とかなんとか言った。「港まで歩いては行けないのですか」と、たたみかけると、「わけのわからんことを言う人だなあ」とばかり、「ノン」とひと言、不機嫌な顔で奥に引っ込んでしまった。

 

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カレー港8番埠頭

 

バス停には大きなリュックを背負った10代の男女5人ほどが、ベンチに腰を下ろしていた。ここからカレー港までシャトルバスが出ているという。彼らもドーバー海峡を渡るというから、一緒に待つ。ほどなく、「シーフランス」と書かれた大型のマイクロバスがやってきた。口髭をつけた気難しそうな運転手だった。若者達と乗り込むと、「チケットは!」と運転手が無表情に顔を向けた。若者達はリュックからなにやら取り出した。どうやらカレー港からの「シーフランスの乗船券」を見せなさい、とのことらしい。いまカレー駅に着いたばかりでまだ購入していない。といって「ありません」では乗せてくれないだろうから、手元のユーレイパス(欧州周遊鉄道乗車券)」を差し出す。運転手は疑い深そうな顔でチケットを見つめ、無言で私の手に戻した。10分ほど走ってシーフランスの乗船口に停車した。「ドーバーまで…」と窓口に顔を出す。ユーレイパスがあれば半額でいいという。対岸のイギリスドーバーまで25ユーロなので12.5ユーロ(約1600円)ですんだ。儲けた。「どの船にしますか。次の船に間に合いますが」と、チケット売り場の女性。「それに乗ります」と即答。「時間がありませんから急いでください」とせきたてられチケット売り場の脇を通り抜け、通路の先の出国手続きカウンターを目指す。机と椅子が2セットほど置かれた殺風景な10畳程度の部屋。白人と黒人のいずれも20代の若い女性審査官が、パスポートの提示を求めてきた。白人女性が「どこから来たのか?」、「日本からです(パスポートを見ればわかるだろうに)」。「何の目的でイギリスへ?」、「滞在場所は?」、「滞在期間は?」、「今夜はどこに泊まるか?」、「知人はいるのか?」、「連絡場所は?」など矢継ぎ早に質問してきた。「ノッティンガムに友人がいる。観光目的で、約1ヶ月ほどいるつもりだ」そんなやりとりをした。質問の後、調書に日本語で署名せよという。船の出港時間が迫っているので走り書きで提出した。それを見た彼女の顔が曇った。パスポートには楷書で署名してあるので別人だと判断したのだろう か。一瞬、緊張が走る。隣の黒人審査官となにやらやりとりをし「オーケー」とゲートを送り出してくれた。ほっと胸をなでおろす。

 

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ドーバー海峡

 

出国カウンターの部屋を出るとすぐ桟橋で、そのままドーバー行きの船につながっていた。ここで足止めされていたらやばい。冷や汗ものだった。まさかパスポートの筆跡と比べるとは思っていなかったので、走り書きですませたのは甘かった。きちんと照合するのが彼女達の仕事なんだから。14時15分、カレーの港を出る。人も荷物も車も飲み込んだ大型フェリー。かつては飛行機を除いてこの航路がイギリスへの唯一の交通手段であったが、いまでは鉄道やハイウェーが走る海底トンネルで結ばれている。甲板に出る。雲ひとつない青空。波も穏やかだ。振り返るとカレー港の石油タンクが白く光っていた。カレー、ドーバー間は約40キロ余り、かつて泳いで渡った人もいたという。薄くもやのかかった前方に、かすかにイギリス本土が見える。

 

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船内のラウンジ、売店

 

ポケットに手を入れると、ベルギーからのユーロ硬貨に気づいた。そうだ、イギリスでは使えないのだからと、慌てて小銭入れを取り出しかき集める。この船はフランス国籍なので船内はユーロが使える。階段を滑り落ちるように階下の売店に向かう。食料品から簡単な衣服や日用雑貨まで、まるでコンビニのように何でも揃っている。チョコレート、ジュース、菓子パンなど口にできるものを手当たり次第、抱えてレジに立つ。若い男性店員がフランス語で値段を言ったが、聞き取れない。硬貨をテーブルにぶちまけ、「好きなだけとって頂戴」と、ジェスチャー交えて伝える。店員は呆れたように苦笑いすると、フランス語で勘定を始め、10枚ほどのコインを私の方に戻してきた。ロビーに戻り、いま買ったばかりのチョコレートを口にする。とっても甘くまろやか だ。これまでにない舌触りに思わず「うまい」と口をつく。昼飯代わりに、パンとブリュッセルから持ち込んだリンゴを潮風に身を任せながらほおばる。まだ何枚かの硬貨が残っていた。全部使い切らないとごみになってしまう、と再び売店に足を運ぶ。わずかな硬貨ではたいしたものは買えない。だからといってごみにするのはと、ばら売りの小粒な飴を5個ほど手にし、例のごとくレジのテーブルにすべてのユーロ硬貨を広げる。計算したつもりだが、2枚ほど残った。日本円で10円ほど、「釣りはいりません」と、両手を振ると、レジの青年はにっこりして引き取ってくれた。ユーロ硬貨はこれですべて使い切ったぞ。ユーロ札は船内の両替機でイギリス通貨のポンドに換えた。これでイギリス上陸は万全だと、へんな意気込みで甲板に出る。対岸のドーバーの街並みが、大きく迫ってきていた。「チョークの岩壁」と呼ばれる切り立った真っ白の壁が防波堤のように連なっている。

 

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接岸間近 ドーバー港

 

15時40分(イギリス時間14時40分フランスとは時差1時間)、ドーバー港に着いた。甲板から見下ろすかつてのイギリスの玄関口は、人影もなく閑散としていた。一緒に下船した50人ほどの人たちと長い桟橋を歩く。この先に入国審査が待っている。イラクやアフガンに参戦していることもあってイギリス国内でテロが勃発していた。日本を出るとき、「靴の中まで調べられた」と、アメリカで入国審査を受けた友人が話していたのを思い浮かべながら、厳しい審査が待っているだろうと、不安とわずらわしさが交錯して何とも言えない重圧に押し潰されそうになっていた。リュックを背負い、セカンドバックを肩に重い足取りで足を運ぶ。うつむき加減に人の流れに沿って行くと、そのまま港の外に出ていた。「入国手続きは?」と振り返ったが、それらしき施設も係員の姿もない。下船した人たちは立ち止まっている私の脇を、急ぎ足で追い抜いてゆく。タクシーに乗りこんだり、出迎えの人たちと抱擁したりとそれぞれが家路につく。カレー港からの船中で、「入国審査」のことが頭から離れなかっただけに、緊張が一気に解き放たれ思わず両手をあげて万歳のポーズをとり、イギリスの空気を胸いっぱい吸い込んだ。