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おじさんパッカー 中欧編(19)

16.06.21

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ブリュッセル中央駅

 

ベルギーへ

 

きょうはオランダを発ってベルギーのブリュッセルに向かう日だ。7時起床。カーテンの向こうにレンガ造りのアムステルダム中央駅が水面に浮かんでいる。ゆうべ雨が降っのか路面のあちこちに水溜りが見える。ヨーロッパを旅していて、一日中真っ青な空が広がっているという日はなかった。ときおり眩いばかりの陽射しがのぞくことはあっても長くは続かない。常に重苦しい雲が頭を押さえつけている。夏でこれなんだから、秋から冬はそれこそ憂うつな日々が続くのだろうなあと思う。朝食を終え、部屋に戻って荷物の整理をする。リュックのファスナーを開け空きベッドに広げる。下着、洗面道具、着替え、傘、爪切り、カメラ、録音機、各国対応のコンセント、数種類の地図など細々したものが30点ほどある。さらに旅の先々で手にしたパンフレットや食べ残しの菓子など。こんな小さなリュックに生活必需品の一切が詰め込まれていた。

 

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旅立ちの支度

 

10時前、フロントにキーを戻し街に出る。いきなり「ハロー」と大きな声がした。振り向くと小学生くらいの男の子がニコニコして私を見つめている。金髪で青い目をクリクリさせながら、右手を高く上げ何やら話しかけてくる。「これから学校?」と、思わず日本語で呼びかると、きょとんとした顔を残し駆け出した。少年は振り返りざま右手を高く上げ、歩道の真ん中で大きくジャンプすると水しぶきが飛び散った。「パスポートコントロール!」といきなり呼び止められてビルの一室に誘導されそうになったり、物かげからジロジロと獲物を狙うような目つきで見つめられたことなどあって、アムステルダムでは緊張が続いていた。この小学生の屈託のない清々しい笑顔と「ハロー」のひと声で、それらのことが吹き飛んでしまった。この街の人たちは明るくて、人懐こいと思えるようになった。旅の印象なんて一瞬で変わるものなのだ。

水辺ぞいに中央駅に向かう。振り返ると少年の姿はとっくに消えていた。中央駅に着くと一直線に電光掲示板に向かった。20行ほどの罫線に発車時刻、発着ホーム、列車番号、行き先などが並んでいる。めざす列車は見つかった。「10時23分発 10B ブリュッセル」とある。同じホームがA、B、Cと区分されていて、ひとつのホームで3方向の電車が待機している。Bだから10番ホームの中ほどの列車だ。何の前触れもなく列車は中央駅を離れた。赤瓦の甍(いらか)が眼下に広がっている。川があり、道があり、車が走り、人が急ぎ足で歩いている。どこにでもある日本の街の風景と同じだ。違いは人々の目が青く、金髪でがっしりした大きな体だけだ。「さようならアムステルダム。もう二度と来ることはなかろうが…。お元気でみなさん。そうだ今朝の小学生。大きくなったら日本に来いよ。生きておれば案内してやるよ」。そんなことを口ずさみながら、車窓から流れゆく街を眺める。

 

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風 車(ネットより)

 

教会の尖塔がどのような小さな集落にもある。日本のお寺のように。そして風車だ。写真で見るオランダの風車の風景がいま手の届く距離に広がっている。ずんぐりむっくりとした三角形の頂点に四本の羽。底辺に向かって達磨さんのように丸みを帯び、土で固められた土塁のように見える、いかにも重量感のある図体だ。線路間近の水路に身を乗り出すように覗き込むと、流れのない澱んだ水で満たされていた。車窓は地平線の彼方まで、青々とした緑のじゅうたんで被われている。そんな光景をぼんやり眺めていると、Tシャツとジャンパーを着た街のどこにでもいそうな、普段着の若者二人がそれぞれ車両の両側の入り口に立ち、いきなり乗車券の提示を求めた。「駅員でもないのに検札なんて」と、驚きの表情で中腰に車内を見る。乗客は当たり前のように指示に従っている。どうやら抜き打ちの検札が始まったようだ。もともと駅には集改札がない。これはオランダに限ったことではなく、ヨーロッパ全土の鉄道駅がそうなっている。「彼らは覆面パトカーのようなもので、こうして車内に潜り込んでいるのさ」と、隣席のおじさんの話。検札にひっかかると、問答無用で35ユーロ(約4000円)の罰金を払わなければならないらしい。

 

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アントワープ中央駅

 

アムステルダムを出て2時間、車窓の風景が変わってきた。田園はまばらになり民家の家並みが広がっている。ほどなくアントワープ駅に停車。いつの間にか国境を越えベルギー領に入った。大屋根の工場群が線路沿いに目立つようになった。コマツ、ヒダチ、トヨタ、ホンダといった見慣れたローマ字表記が屋根をおおっていたり、建物の壁面に大きく描かれている。日本の企業進出がめざましい。日本だけではない、米国やイギリスといった国々の工場もある。ベルギーには世界各国の企業が進出し、欧州向けの生産拠点になっているのだ。よく中国が「世界の工場」といわれるが、どうやらベルギーは「欧州の工場」らしい。
13時25分、ベルギーの首都、ブリュッセル中央駅に滑り込んだ。薄暗い石段を上がると地上の光が差し込むホールに出た。正面に切符売り場が大きな壁のように広がり、ホールの中央に案内所がある。3畳ほどの小部屋に中年のおじさんがいた。さっそくホテルなどこの町の情報をと顔を出す。おじさんはニコニコと愛想はいいが、何を言っているのかよく分からない。ドイツ語、フランス語、オランダ語を交えたような得体の知れない言葉がつぎつぎ飛び出す。何語が理解できるのかと、いろんな言葉で語りかけるが、肝心の英語はない。その中にあったのかもしれないが、ちゃんぽん麺のように言語のごった煮で、もともと語学の不出来な私には、意味不明のままおじさんの目をじっと見て言葉の区切りでうなずくだけだ。案内所のおじさんは当てにならないし…、今夜の宿をどうしょうと降り続く雨を眺めながら、見知らぬ異国の駅頭でポツンと立っ。芥川龍之介の「羅生門」に出てくる食いはぐれの浪人が、氷雨降る羅生門の下で佇む光景を、わが身に置き換えていた。「とにかく動き出さないと」と、駅の外に出る。薄日が射し込み雨はいつの間にか上がっていた。

 

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ブリュッセルの宿

 

中央駅から西、旧市街に向かう。小さな公園を抜けるとホテルの看板が目に飛び込んできた。真っ白な壁。1階が店舗、2、3階がホテルのようだ。ホテルに通じる狭い入り口ドアにVISAカードのステッカーがある。現金なしでも大丈夫だと小躍りして階段を駆け上がる。フロントには30前後で浅黒いインド系の男性がいた。「泊めてほしい」と英語で伝える。「お一人? イエス」と、彼は優しい眼差しで私の目を見た。「手持ちの現金はないがVISA OK?」。ようやくねぐらを確保した。