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おじさんパッカー 中欧編(17)

16.06.21

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両岸を埋めるボートハウス

 

ボートハウス

 

「きょうはどこへ出かけるのかね」。今朝も朝食をすませフロントにルームキーを預けると、カウンター越しにいつものおじさんが、いつものせりふを挨拶代りに返してきた。「アムステルダム市内をぶらぶら歩くつもり」というと、「何かあったらホテルへ電話しなよ」と、フロントに置かれたパンフレットを差し出した。

街中の運河沿いを歩いていると、まるで両側駐車のように、船が隙間なく両岸を埋めている。きっと船上生活者の居宅なんだろう。道ばたから船に目をやる。家族なのか親しい仲間なのか、6人ほどがデッキに置かれたテーブルを囲み、にこやかに談笑しながらお茶の時間を楽しんでいる。視線に気づいたのかそのうちの一人が立ち上がり、親しげに手を振って「君もどうかね」といったようなことを口にし、笑っていた。また別の船では、サンデッキを持ち出し読書にふけっている人や、スヤスヤと気持ちよさそうに昼寝している人もいる。船上の暮らしにすっかり慣れ親しんだ様子で、運河沿いを行き交う人たちの目線をそれほど気にしていない様子だ。

 

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愛想いいボートハウスの住人

 

船内はどのようになっているのだろうかと、道ばたにしゃがみ込んでガラス越しに中を覗き込むと、8畳くらいのリビングが見える。中央にオーク材の分厚いテーブルとチョコレート色のソファー、豪華な調度品が置かれ、花模様をあしらった洒落たレースのカーテンが部屋を被っていた。壁際に風景画や家族の写真が飾られている。まさに水上に浮かぶマンションといったところだ。この船の家族の一人だろうか、学校から戻ってきたらしく、高校生くらいの若者が自転車持ち上げたまま船に乗り移った。
よく見ると運河のへりから船に向かってケーブルが何本も延びている。水、電気、排水管、ガス管だという。船上生活者用に市が用意したものだ。土地の権利同様、水上権というものがあるのだろうか。

 

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水、電気、排水管、ガス管

 

なおも運河通りを散策していると、「この船に3年住んでいる」というイギリス人夫婦が声をかけてきた。「船の中、見るかい」と、気さくだ。仕事をリタイアしてロンドン近郊の町からここアムステルダムに移り住んだという。船内は2階構造になっていた。水面の上は舳先から全面ガラス窓のリビング、キッチンと並ぶ。船尾は応接セットが置かれた客室兼家族団らんスペース。壁面は赤茶けたチーク材で仕上げられていて重厚な雰囲気。家族の写真や風景画が壁一面に飾られていた。大画面のテレビやオーデオセットもある。船底に下りると、ベッド、トイレ、バス、物置と細かく仕切られた部屋があった。「まるで豪華なマンションですね」と思わず口をつく。「街の真ん中でこれだけの部屋を手に入れようしたら、とてつもない金がいるが、ここでは係留代と電気、ガス、水道代だけですむからね」と、旦那が得意そうに頬をなでた。「ほかにもいいことあるのよ。ここに飽きたら移動すればいいしね。そろそろ、街外れの静かな所へでも行こうかと話しているの。地上の家だと動かせないでしょう」と、奥さんが身を乗り出した。「デッキでコーヒーでもどうだい」といわれたが、「明日、ベルギーへ行きます。最後のアムステルダムだからもう少しあちこち回りたい」と丁重に断り、道路に出る。「夜、暇だったらおいでよ」と、人のいいご夫婦が舳先から手を振ってくれた。

 

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リビングルーム(ネットより)

 

オランダは19世紀後半に産業革命期を迎えると、多くの人々が農村生活を捨て、工場労働者として大都市に生活拠点を移すようになった。アムステルダムの人口も年々ものすごい勢いで増え続け、そのため深刻な住宅不足に陥ったそうだ。土地や住居を持たない人達が、運河に浮かべた古い貨物船などを利用し水上で生活することをはじめた。それが水上住宅(ボートハウス)のはじまりらしい。現在、オランダには1万以上のボートハウスがあり、そのうち約2500がアムステルダムにあるという。

ホテルのおじさんが言うのには、「ボートハウスはもともと経済的に市街地の家に住むのが困難な、出稼ぎ労働者や学生が多く住んでいた。ところが今では夏は涼しくて快適だということで、リゾート気分を満喫できる水上生活に魅力を感じる外国人やお金持ちが住むようになったんだ。そんなことで人気は高まり、今では運河のハウスボートに住むことはある種、ステータスになっている」という。「お金さえ払えばだれでも住めるの?」と挟むと、「もう、市の方は係留許可を出さない方針のようだ。だって全員に許可を出したら船の運行にも支障が出るし、錆が浮き出た廃船同様の老朽船などもあって、運河の美観を損ね、街の観光にも影響が出るからね。どうやら、いま住んでいる人達で、係留許可は打ち切りになりそうだね」

 

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おしゃれなボートハウス(ネットより)

 

そんなボートハウスでの暮らしは、いいことばかりではないらしい。大きな問題の一つは船のメンテナンス。いつも雨風などに晒されているので、さび防止の塗装費、船底の清掃、係留装置の整備など結構なお金がかかるようだ。維持費を賄えなくなってボートハウスを手放す人もいるとか。もうひとつボートハウスに暮らす人々にとって大きな障害となるのが、観光客だという。ボートハウスという珍しい家は、アムステルダムに訪れる大量の観光客の興味のまと。毎日毎日、写真を撮られ、中を覗かれ、生活している人たちにとってものすごいストレスらしいです。私も迷惑をかけた一人ですのでよくわかります。

ボートハウスのことをこまごま訊くものだから、たまりかねたおじさんは、「そんなに興味があるんだったら、あんたもボートハウスに住んだらどうかね。俺の知り合いがボートハウスを手放してもいいよと言っているが。日本でどれだけ稼いだか知らないが、半端な金じゃないからね。購入は無理だと思うよ。せいぜい道ばたから覗くくらいにしておくだなあ」と、大声で笑っていた。