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おじさんパッカー 北欧編(23)

16.06.21

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ストックホルム市庁舎(正面奥)

ノーベル賞晩餐会会場であのオジサンと再会

 

午前7時過ぎ起床。隣のベッドにいたドイツ人青年の姿はすでになかった。大きなリュックも消え、シーツも剥がされていたので朝早くどこかに旅だったようだ。
ユースホステルの玄関前に立つと、目の前に波ひとつないまるで鏡のような水面が、朝の光に輝いていた。その柔らかい陽射しに包まれて、入り江巡りの真っ白い遊覧船が次から次に島の間を抜けてゆく。遊覧船のデッキから観光客が手を振っていた。欧米から来た中年夫婦だろうか、手すりに身をゆだねながら上半身を海に突き出し、両手を左右に揺らしながらなにやら叫んでいる。私も大きく手を振る。向こうも負けじと返してくる。まるで手旗信号を送っている水兵のような気分で互いに朝の挨拶を交わす。

 

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帆船ユースホステルから望む

 

朝食の後、ストックホルム中央駅を目指す。距離にして宿舎から2キロ足らずだ。ほどなく赤いレンガ造りの建物が目に入った。ストックホルム中央駅らしい。まるで教会のように両脇に尖塔があった。
正面の建物から入る。コンコースの両脇に観光案内所、郵便局、ATM、チケット売り場が置かれ、マクドナルド、レストラン、衣料品店、キオスクなどが店舗を構えている。ホールの中央に目指す鉄道案内所があった。円形のカウンターを前にして、30前後の女性が私の顔を見ると会釈した。
「コペンハーゲンまで行きたいのですが」、「何時頃の電車?」、「午前中で10時以降のダイヤを教えてください」。スウェーデン語なんて知らないから、すべて英語。それも拙いもの。すぐさまキーボードを叩き、ストックホルム発、コペンハーゲン行きの時刻表を打ち出してくれた。途中のおもだった駅の到着時刻やもちろん乗換駅のものも。これ一枚あればひと安心。日本式に腰を折り、頭を深く下げ丁寧にお礼を言うと、「よい旅を…」と彼女は満面に笑みをたたえ右手を左右に小さく振った。

中央駅の西、徒歩5分ほど。川を渡った所にストックホルム市庁舎がある。1911年から12年間かけて建設されたものだ。赤いレンガで覆われ、まるで宮殿のような落ち着きを見せている。水辺に面した建物の角に造られた高さ100メートルもの塔が目に飛び込んできた。街のランドマークにもなっているという。
この市庁舎は毎年12月10日、ノーベル賞授賞者の晩餐会が行われることで有名だ。ストックホルムを訪れ、真っ先にここを選んだ。市庁舎の入り口付近で佇んでいると、「写真をお願いします」と、日本語が。振り向くと二人連れの若い女性がカメラを差し出してきた。「よく私が日本人だと分かったね」というと、「とりあえず言ってみただけ」と、屈託がない。
楕円形を半分切ったような形の入り口に足を踏み入れ、しばらく庁内を歩いていると、団体客が群れをなしているところに出くわした。大理石の白っぽい床、3階部分まで吹き抜けの大広間が目に飛び込んできた。赤いレンガの壁が両側から押し迫ってくるような圧迫感がある。バスケットコート二面ほどの広さだ。20人ほどの団体さんを前に大声で説明している人がいた。顔立ちがそれらしき人たちなので「もしや日本人団体客では」と、人の輪に身を寄せた。ところが残念、中国語だった。

 

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ノーベル賞晩餐会会場

 

大広間のあちこちに、15人程度の団体客の群れが点在している。その中のひとつのサークルから日本語が聞こえてきた。日本からの団体だ。輪に顔を突っ込んで説明を聞く。団体バッジをつけていないので、日本人観光客がじろじろと私に視線を向けてきた。まるでもぐりの学生みたいで…、後ろめたく遠慮がちに聞き耳を立てた。「このホールは、ノーベル賞受賞者の晩餐会会場です。毎年12月10日に王族をはじめ、数百人の招待客がノーベル賞受賞者を囲んでパーティーが催されます」と、日本語ガイドが声を張り上げていた。周りに耳をすませると、英語、中国語、フランス語などいくつかの言葉が大広間に響き渡っている。
田中耕一さんや小柴さんが授賞した時、晩餐会の様子がテレビ中継されていたのを思い出した。あの時の会場にいま自分が立っているのだと実感した瞬間だった。なにか特別な所に身をおいたようで思わず背筋をピンと伸ばし、大きく息を吸い込んだ。次から次へと、世界中からやってくる観光客が大広間を埋める。15分ほど説明を聞き、日本の団体さんから離れ、壁際にしつらえられた石造りの階段で2階に向かった。バルコニーになっていて、今いた大広間を上から眺めることができる。その大きさに改めて驚いた。

 

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大阪のご仁と再会

 

「あれっ?」と、思わず互いに顔を見合わせた。オスロのユースホステルでご飯を炊いていたら、西洋人に「毒ガス」とクレームをつけられたと怒っていた、大阪からやって来たというご仁じゃないか(北欧編8参照)。こんなところで会うなんて奇遇だねと改めて握手する。「オスロを出てからノールカップまで北上し、そこからバスと電車でヘルシンキまでやって来て、昨日、バルト海を渡ってストックホルムに来た」と話すと、「私はオスロからノルウェーやスウェーデンの南部の町に泊まり歩きながら2日前、ここに来た」という。「その間もずっと自炊してますよ。私は日本食しか受けつけないですからね。味噌、醤油は欠かせんですわ」と屈託がない。「ところで、オスロであったような毒ガス騒ぎはなかったですか」と切り出すと、「あれ以来、ご飯を炊くときには周りの様子を気にするようになりましたね。でも、あんなに騒ぎだすおばさんは珍しいですよ」と、笑顔で話す。大阪からの一人旅。飄々として旅慣れている。彼はこの先ヘルシンキに向かうという。私が来た方向に旅を進めるようだ。「ご無事で」と力強く挨拶を交わし、彼はそのままふり返りもせず雑踏の中に消えていった。立ち去る彼の背中から、旅に立ち向かっていくという気概を感じた。彼は旅を楽しんでいるんじゃなく、旅と戦っているのだ。私も一人旅を続けていて、そんな心境だった。

 

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黄金の間(ネットより)

 

2階の通路を歩いていると薄暗い部屋に迷い込んだ。目を凝らすと、あちこちで団体さんがガイドの説明に聞き入っている。ここでも日本語が聞こえてきた。そっとその輪の中に身を寄せた。
説明によると、ここは「黄金の間」と呼ばれるホールだ。1900万枚もの金泊モザイクで飾られた壁面は豪華絢爛そのもの。ここはノーベル賞受賞パーティーの舞踏会場として使われているという。そういえば、田中耕一さんが「ダンスができないんで」と、しょげていたのを思い出した。
1時間ばかり庁舎内を見学したあと、外庭に出た。海から吹き込む風に身をゆだねながら、ただぼんやりと目を遠くへ向けた。見学を終えたばかりの観光客が、市庁舎から外庭に続く石段に腰を下ろしている。その表情はみなさん柔らかい。日常の雑事から離れて心地よい時間のなかに身をゆだねている。周りに目をやると白人、黒人、黄色系と世界のあちらこちらからやって来た人たちが、穏やかな表情で水辺の向こうへ黙って目を泳がせていた。

 

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市庁舎外庭

 

市庁舎の出口に向かう。小さな売店があった。絵葉書が目についた。茜色に染められた夕日に映える市庁舎と教会、そして静かな入り江を配したストックホルム市街の写真が目に飛び込んだ。 購入しすぐさま中庭の石段の上でボールペンを走らせ、世界一美しい首都といわれるストックホルムの今を家族に伝えた。20分ほどで書き上げ、市庁舎の郵便ポストから投函する。「日本ですか、一週間以内には着くでしょう」と言いながら切手を買った売店の若い女性が、にっこりと微笑みかけてくれた。いつも感じていることですが、こちら欧州の人たちはなんて優しい笑顔だろうか。とくに若い女性。金髪にエメラルド色の瞳、すらっと伸びた手足。見ているだけでもうっとりするのに、絶やさぬ微笑には胸キュンだね。