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おじさんパッカー 北欧編(21)

16.06.21

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豪華客船でスウェーデンへ(ツウルク港)

 

ボスニア湾横断 スウェーデンへ

 

午前4時40分起床。あたりは静まりかえり、宿泊客はまだ夢の中だ。洗顔をすませた後、鍵をフロントに置き周りに迷惑をかけないよう、抜き足差し足でホテルを後にする。
5時30分、ヘルシンキ中央駅に着く。早朝ゆえ駅構内は人影がまばらだ。凄いエンジン音が飛び込んできた。吸引式の清掃車が構内のごみを集めているのだ。こちらの人は所かまわずごみを投げ捨てるのか、駅構内のあちこちに紙くずや食べ残しのパン屑などが散らかっている。あまりにも手際のよい作業ぶりに目を凝らしていると、運転席のおじさんが大きく右手を振って笑っていた。
午前5時46分。ツウルク行きの電車が静かに動き出した。早朝なのに意外に混んでいる。工場勤めなのだろうか、作業着姿の人たちが互いに挨拶をかわしながら、顔を突き合わせて話し込んでいる。
街を抜けると一面、黄色のペンキを塗りこめたように菜の花畑が広がる。日本の春先のような景色だ。列車の進行に合わせるかのように色とりどりのお花畑や麦畑、牧草地が地平線の彼方まで見渡せる。山あり谷ありの日本の風景とは違って、起伏のない大地がどこまでも延びている。
途中の駅からも、どんどん乗り込んでくる。若者は決まって携帯電話を耳にして何やら話している。この国は世界有数のIT国家だと言われていて、ノキアという携帯電話機は、世界シェアだ。いつもながら車内は携帯電話の話し声で騒々しい。

 

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駅からツウルク港に向かう

 

午前8時12分、終点ツウルク駅に到着。湿っぽいヘルシンキと違ってこちらは抜けるような青空が広がっていた。駅から大型客船が見える。ブルーのアクリル板で被われた通路で駅とツウルク港が直結していた。電車を降りたばかりの人たちが港に向かって列をなして歩いて行く。人の流れに沿って300メートルも歩くとツウルク港に着いた。さっそく船会社シリヤラインの受付カウンターで乗船手続きをする。女性係員が乗船券に目をやり何事もなかったようで、ニッコリと柔らかい表情でチケットを私の手元に戻してくれた。

目の前に5階建てくらいのビルを思わせる客船が迫っている。真っ白い船体。船首はなだらかな曲線で、展望席のように大型のガラスがはめ込んである。世界一周クィーンエリザベス(やや大袈裟か)を思い浮かべるほどの豪華客船だ。どうやらこの船でストックホルムに向かうことになるようだ。これまでこのような豪華な船に乗ったことがないので、一瞬、神経が高鳴る。

午前9時前、乗船が始まる。待合室からの誘導路をゆっくりと歩く。絨毯が敷き詰められた受付ロビーに足を踏み入れると、足元から伝わるふんわりした感触に思わず足が止まった。
「私、もらっていないけど!」。「さきほどお渡ししましたよ」。
突然、日本語が聞こえた。ふり返ると中年女性が添乗員に、船内案内図を手にしていないことに文句を言っている。なにやら彼女は殺気立っている感じで周りにはばからず声高に叫んでいた。日本からの団体旅行客と思われる人たちが20人ほどいた。列を崩し我先にロビーを駆け抜ける人たちや、傍らでは別の中年男性が添乗員に詰め寄っていた。何があったのか知らないが、なにもここまで来てがたがた言うこともあるまいに。この旅で初めて日本人であることになんだか恥ずかしさを覚えた。ごたごたしていた日本からの団体さんは、しばらくするとそれぞれ仲間と広い船内に消えていった。ようやく受付ロビーは静かになった。

 

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船上から見るバルト海

 

雲一つない快晴。10分遅れで船は港を離れた。カモメの群れが船をとり巻き、金髪の子ども達が船内を走り回っている。そんな光景をしばらく眺めた後、最上階の甲板に出る。抜けるような青空、エメラルドの海、鮮やかなスカイブルーの甲板。絵画の世界に身をおいているようなメルヘンチックな感情が、体の奥から噴きあがってくる。白いデッキチェアに身を沈めて、バルト海の大海原をのんびり眺めている人たち。これまでの人生で一番いい時間を満喫しているという、そんな幸せそうな顔をしていた。

先ほどの日本人団体客だろうか、ビデオカメラを構え、せわしそうに広い甲板や急な階段を駆けて行く。「せっかく来たんだ。しっかり撮らんと!」。そんな掛け声をかけながら仲間と競うようにカメラを向けていた。そんなガツガツせず、ストックホルムまでじゅうぶん時間があるのだから、もっとのんびりしたら…、と思わずたしなめたくなった。
そんな中、手すりに身を任せながら、ゆったり佇んで海を眺めている中年夫婦がいた。「日本からですか」と声をかけた。「大阪からです」と返ってきた。先ほどの団体さんの仲間のようだ。この後、スウェーデンからノルウェーへと足を伸ばすという。私が一人旅だと知ると、「大丈夫ですか」と気遣ってくれた。「知らない街で迷わない? 私なんか住んでいる大阪でもよく迷子になるのに」と奥さん。よくぞ聞いてくださったと、私の「迷子防止法」を話す。
「地図を頼りに歩くのですが、日本と違ってこちらの地図は大雑把です。狭い道路も広いのも太さは同じ。また、距離表示もいい加減でまるで絵ですよ。困るのはなんといっても道路網ですね。日本の街の大半は格子状に区画されていますが、ところがこちら欧州は、放射状に街が広がっています。時には城壁とかで行き止まりになったりする。そこで考えました」と、一息入れると「それで?」と旦那が体を乗り出した。「目的地に向かって歩いている時は、まあなんとかなります。ところが戻れないのです。ホテルがどこだったか、自分が今どこにいるかとか…ね。そこでいい方法を編み出したのです」。「紐か何かで目印つけるとか?」 と、奥さんが目を輝かせた。「約50メートルごとに振り返るのです。振り返った街並みや景色が、戻るときの風景になるわけですから。このやり方でほぼ間違いなく戻ることができましたよ」。「さっそく、ストックホルムでやってみましょうよ」と、だんなの顔を覗き込むように奥さんが声を弾ませた。
そんなことなど小一時間ほど、大阪からのご夫婦と話す。旦那は昭和13年生まれで、「ようやく海外旅行ができた」と、大海原を眺めながら、静かに話していた。久しぶりに日本語で話し込んだものだから、忘れかけていた日本のこと、家族のことが頭をかすめる。3時間ばかり船内を歩き回ってロビーに戻る。テレビでウィンブルドンテニスの中継をやっていた。時間もたっぷりあり、しばらく画面に見入る。

 

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マリエハイムン港(オーランド島)

 

港に着いた。ボスニア湾に浮かぶオーランド島、マリエハイムン港だ。下船できないそうだから、甲板から島の様子を眺める。なだらかな木立が広がり、別荘だろうか木々の間から洒落た家々が見える。港近くは広い道路が走っていて、乗用車が行き交っている。ビニール袋を両手に提げた子ども連れの女性が歩いている。さほど広くない島だが人々の暮らしが垣間見られた。
ここオーランド島はバルト海のボスニア湾の入り口に位置するフィンランドの自治領なんですが、住民のほとんどはスウェーデン系で、公用語はスウェーデン語らしい。距離的にもスウェーデン本土から近いのに、なんでフィンランド領なのだろうか。
歴史的には、19世紀初頭にフィンランドがロシアに侵略された時、この島もロシアに併合された。その後ロシア帝国が崩壊したあともそのままフィンランドに帰属されたままらしい。1921年に、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造を中心として、オーランドのフィンランドへの帰属を正式に認め、その条件としてオーランドの更なる自治権の確約を求めたいわゆる「新渡戸裁定」が示されたという。こんなところにも日本人の名前が語られているとはね。驚きました。

 

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スウェーデンの島々

 

空と海だけの単調な風景がしばらく続く。ムービーカメラ片手に走り回っていた日本人観光客の姿は、どこかに消えていた。ツウルクを出て6時間がたとうとしていた。船は穏やかなボスニア湾を西に向かっている。もうスウェーデンの領海に入っているようだ。はるか向こうに島影が浮かんでいる。