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おじさんパッカー 北欧編(20)

16.06.21

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世界の企業ビル(ヘルシンキ)

 

「バルト」、知ってるかい…?

 

午後3時過ぎ、ストックホルムまでの乗船チケットを手に入れるため、降りしきる雨の中を船舶会社「シリヤライン」の事務所を目指して歩く。路面電車を両側から挟むように車の列が続いている。雨で黒光りした石畳を、水しぶきを上げながら疾走する車の合間を縫うように横断する街の人たちにならって、私も駆け抜ける。うっかり車にはねられでもしたら、『日本人中年男性、ヘルシンキ港で…』と、日本の新聞に出るのだろうかと、道ゆく人たちに目をやりながらそんなことを思い描いていた。

 

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把瑠都(相撲協会)

 

シリヤラインの事務所が見つかった。30分ほど待たされる。隣の中年男性が話しかけてきた。「日本からヘルシンキに来た。明日、ストックホルムへ行くつもりだ」。そう答えると彼は「エストニアからヘルシンキに出稼ぎに来ている。ちょっと船旅がしたくてね」と会釈した。しばらくして、「あなたの国はスモウが盛んだってね。エストニアから一人の若者が入門したよ。……知っているかい」。「知らない」というと、「エストニアでは大変な話題になっている。バルト(把瑠都)というんだ。彼は柔道でエストニアジュニア王者の栄冠に輝いたこともある。まだ入門したばかりだからね。これからだよ。体もでかいし力持ちだから、そのうち絶対に出世するよ。応援してくれよ」と、中年男性は、わが家族のことのように力がこもっていた。
係の若い女性にパスポートと欧州鉄道周遊券を差し出すと、ストックホルムまでのチケットをくれ、乗船料はいらないという。10時間近い船旅なのにユーロパスのみで乗船できる。儲けた。喜び勇んで事務所を出ようとすると、「傘忘れていない?」と、先ほど話していた人のいい出稼ぎの男性が声をかけてくれた。慌てて傘立てへ。「バルトだよ」と別れ際、彼は軽く会釈して手を振った。
※ 把瑠都(バルト)は尾上部屋所属の元大相撲力士で、スウェーデン系エストニア人。得意技は右四つ・左四つ・寄り・投げ・吊 り。最高位は東大関。2012年1月場所に幕内優勝を成し遂げる。しかしその後度重なる故障で2013年9月場所前に十両の地位で現役引退となった。

 

宿舎は学生寮

 

朝食の後、「これからヘルシンキへ向かう」と、お世話になったロヴァニエミの民宿のおかみさんにいうと、「北極圏のこの町に比べるとヘルシンキは何もかも物価が高いよ。とくにホテル代は目が飛び出るから」そう言いながら、親切なおばさんは携帯を取り出すとヘルシンキの宿へ電話を入れてくれた。
ヘルシンキ中央駅の向かい、中央郵便局前の広い道路をまっすぐ進み、8分ほどで到着と記された略図が添えられていたが、途中工事で通行止め。8分どころか1時間以上かけてようやくたどり着く。

 

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学生寮

 

カウンターで指示された部屋は6畳ほど。ベッドはもちろん、食料がたっぷり収納でき日常生活が十分営めるほどの大きな冷蔵庫まである。驚いたのには、壁面に本棚が取り付けられ勉強机が窓際に向かっている。どう見ても、単なる宿泊施設じゃない。
翌朝、フロントの男性にそのことを訊ねると、この施設は大学の学生寮だという。7月から8月まで夏休みになるので、その間はユースホステルとして利用されているらしい。宿泊費用は、朝食付きで1泊4000円程度だ。お値打ちらしく、連日満室という。「その日の朝に電話して予約できたなんて、君は幸運だよ。きっといいことがあるよ」と、フロントの30半ばの男性が目を細めて笑っていた。
朝食は食堂でバイキング方式。学生寮ということもあってか、これまでのような中年や家族連れの姿は少なく、若者の顔が並んでいる。本を手に黙々と食べ物を口に運ぶ学生風の若者や、4,5人で小難しい議論を続けているテーブルがあちこちに目につく。どうやら彼らは、夏休みも大学で勉強しているようだ。「なるほどね。ここは大学の寮なんだ」と、周囲を見渡しながら一人つぶやく。

 

石畳の道

 

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石畳の道(ヘルシンキ)

 

雨が激しくなってきたので観光案内所の軒先で雨宿りしていた。目の前は10センチ角ほどのブロックを敷きつめた石畳の路面。路面電車の車輪が軋む音。激しく行き交う大型バスやトラック、タクシー、乗用車などがかなりのスピードで走り去る。ガタガタと細かい震動が足元に広がり、それらの騒音であたりは騒然としている。
石畳の凸凹道で車軸が激しく上下しているのがわかる。日本の車だったらサスペンションがすぐさま壊れそうだ。こちらの車はよほど丈夫にできているらしい。歩道に目をやるとハイヒールが石の間に刺ささるのか、正装したご婦人が飛び石を渡るように千鳥足で歩いている。いかにも歩きにくそうだ。

 

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石畳の修理(ヘルシンキ)

 

石畳じゃなく、どうして凹凸のない滑らかなコンクリートとかアスファルト舗装にしないのだろうか。現地の道路専門家に聞いたわけじゃないが、どうやら次のような理由が考えられそうだ。
道路面が破損した場合、アスファルトやコンクリートのように路面材を壊したりガレキを廃棄したりする必要がない。まず表面の敷石を取り外し、地ならしをして同じ石を元の通りに戻すだけだ。新たにコンクリートやアスファルトなどを敷きならす必要もない。そのため工事がスタートしてから現状復帰するまでの時間も短く、工事費用も安くすみそうだ。
また、歴史を感じさせる石造りの街には石畳が似合う。都市景観の柱になる石畳の道路は大切な観光資源で、より多くの観光客をひきつけると考えられているようだ。
さらに、アスファルトやコンクリートで塗り固められた道路では、雨水の逃げ場がなく一気に街に水が溢れる。そのような都市洪水と呼ばれる災害が日本の大都市でもしばしば起こっている。石畳だと石と石との間から雨水が地面に吸い込まれてゆき、浸水を防ぐのに大きな役割を果たしているようだ。

だからといって、馬車の時代じゃあるまいし、乗り心地の悪い石畳をいつまでも使うこともあるまい。と考えるが、古色蒼然とした石造りの建物がたち並ぶ風景に身を置くと、「やはり石畳じゃないと」と、納得している自分に気づく。