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おじさんパッカー 北欧編(6)

16.06.21

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叫 び(ムンク美術館 オスロ)

イタリア君の心遣い

 

ノルウェーの首都オスロは、約53万人。ノルウェーの人口は約512万人位だから10人に1人強がここオスロに住んでいる勘定になるようだ。

洗顔をすませ部屋に戻ると、「朝食だ。待っていたよ」と、イタリア君が食堂に案内してくれた。

カウンターの前にはハム、ソーセージ、豆、炒り玉子、鱈のムニエルなど20種類もの料理が並んでいる。一口にソーセージといっても、焼いたもの、煮たもの、蒸したもの、そのまま口にするものなど幾種類もがある。赤、黄、緑…と、色とりどりの料理がまるで花園にでも来たようにカラフルだ。

すでに30人ほどが食事をしていた。家族連れや老人夫婦が目立つ。ユースホステルは若者中心だと思っていたが、むしろ中年以上の人が多い。

「どちらからですか」と、向かいの席の親子連れに声をかけられた。傍らの息子さんは10歳だという。

「『ムンクの叫び』を見に行こうと思ってね」と、イタリア君。両手で頬を押さえ、口を大きく伸ばし「叫び」のポーズを真似た。向かいの親子連れが「似ているよ」と褒めるものだから、立ち上がったイタリア君は得意になって周囲の人たちにも披露した。「グー」と親指を突き上げる中年夫婦や拍手する若者たち。食堂に笑いが広がった。さすがイタリア君。異国に来ても物怖じしないのは立派だ。

 

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ノルウェーのお父さん(宿舎の食堂 オスロ)

 

丘を下った先に路面電車の停留場がある。そこからイタリア君とムンク美術館を目指すことになった。

3両連結の電車。待機している運転席の女性に「日本知っているかい?」と声をかけると、「知らないねぇ~」とひと言。世界第二の経済大国だぜ、名前くらい知っててよ。

そんな気持ちはノルウェーの人たちには通じない。世界中の誰もが日本を知っているなんて考えるのは、自分勝手な思い上がりだった。

いよいよ電車が動き出す。現地の空気を胸いっぱい吸い込み、ようやくオスロの住民になった気分だ。

 

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路面電車の運転手(オスロ)

 

シートに身を沈めガラス越しに街の風景に目をやる。明るく、カラフルに飾り付けられたお店、大理石の真っ白い建物。背筋をピーンと伸ばした金髪の女性が優雅に歩く姿。日本でイメージした、そんな写真で見るような景色はない。車窓から見る街中は人影がまばらで、長い年月で灰色にくすんだ外壁、朽ちるがままの建物が、肩を寄せ合って並んでいた。

足早に歩を進めるサラリーマン風の若者。ビニール袋から野菜や果物がのぞく買い物帰りのおばさんやレストランの扉を押し開く男性など、これまで見慣れた日本の風景を重ねながら、車窓から見るオスロの人たちの日常に思いを向ける。

ところがその間にも、イタリア君は何やら早口で話し続けている。イタリア語、英語が混じりその上、街の騒音が交錯していてさっぱり聞き取れない。「お願いだから少し黙っていてくれない。じっくり街の様子を見たいんだから…」。そんな私の気持ちなんぞ、彼の頭にはまったくない。

ムンク美術館は広い公園の木立の中にひっそりとたたずんでいた。受付の中年女性に料金(60クローネ約960円)手渡し、館内に足を踏み入れる。

1963年にムンクの生誕100周年を記念してオープンした。収蔵品は、ムンクの遺族からオスロ市に遺贈された2万点もの絵画や版画、彫刻などが収蔵されているという。

展示室に足を踏み入れると、すぐさまイタリア君の声が館内に響く。「この絵は春先の海を描いたものだ。それにしも光が少ない。イタリアじゃもっと明るく描くよ」とか、「細かくて小さな作品ばかりだ。イタリアの彫刻家は壮大だ。君も知ってるだろう『ダビデ像』を…」と、ここでも、彼の話は途切れることはない。

「一人一人別々に見ようよ」と、イタリア君に言った。「一緒に見たっていいじゃないか」と彼は唇を尖らせたが、「美術鑑賞は作品と自分との対話なんだ。一人で静かに見る。これが日本の流儀なんだ」と、彼と離れたい一心で大見得を切った。「世界遺産の国イタリアじゃみんなでわいわい言いながら見るんだけどなあ」と言っていたが、彼を無視して別のコーナに移動する。ようやく一人の時間を持つことができそうだ。

あの「叫び」があった。波打つ空と海。橋の上で両方の手を頬に当て恐れおののくひょうたん顔の男。二重、三重に波打つ真っ赤な雲と押し迫る入り江の深い青。単純な構図と鮮烈な色彩が、一気に見る人の心に入り込み突き抜けてゆく。館内を巡回しながら三度、合計1時間ほどこの絵の前に立った。周囲に人はなく、贅沢にも「叫び」を独り占めだ。

展示室を出ると先に鑑賞をすませたイタリア君が手招きして「ランチはどうかね」と言ってきた。彼に振り回されそうだからここらあたりが潮時ときめ「ノールカップを目指してこの街を出るんだ。中央駅で切符を買ったり、船の予約を入れたりと午後から、あちこち行かなければならない」と説明する。「俺がサポートしてやるからどう」と迫ってきたが、「せっかくイタリアから来たんだから、私にかまわず旅を楽しんでよ」と、彼の誘いを断った。

午後7時過ぎ宿舎に戻る。イタリア君のベッドはシーツがはがされていた。同室の若者に聞くと、6時過ぎ「イタリアに帰る」と出て行ったという。

「ところで、朝から彼と一緒だったのではなかったの?」と、私に視線を向けた。「途中で別れた」と話すと、「そうだったの」と口にしながら、若者はイタリア君の話を始めた。

「イタリア人はいつも陽気だね」と彼が話しかけると、「イタリア人だって明るい人ばかりじゃない。たとえ陽気な性格でも、時としてネガティブな心情にとらわれることだってある。たった一度の人生なんだから、くよくよしたって始まらない。嫌なことは極力顔に出さず、にっこり笑っていたいね。周囲の人たちと一緒にね」。イタリア君がそんな話をしていたという。

私が思うに、と同室の彼が話を続ける。「イタリア人を陽気でおせっかいだと思っちゃいけない。いかに私たちをなごませようか、イタリア人たちが必死になってくれているんだな、と思うことも時には必要だと思うよ」。

その話を聞きながら、イタリア君の優しさに気付かなかった私。申し訳ない気持ちがこみ上げ、思わずイタリア君が過ごしたベッドに頭を下げた。